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新型インフルエンザの致死率と今後の行く末について
- 新型インフルエンザの致死率について、報道されている数字は医療体制の整っていない国や保健が充実していない国のデータであり、日本の場合は致死率が低いと言える。また、インフルエンザの感染症は他にもたくさんあり、交通事故で死ぬ可能性もあるため、日本でどこまで心配する必要があるのか考える必要がある。
- 新型インフルエンザの行く末については、感染が収まって消える可能性もあれば、全員が罹患するかワクチンを接種することで免疫を得るまで流行が続く可能性もある。致死率によって社会的な対策の必要性も異なるが、経済への影響や失業者の増加などのリスクも考慮しなければならない。
- 新型インフルエンザに関しては、医療体制や感染症の種類などを考慮しながら対策を検討する必要がある。致死率が低いとはいえ、パンデミックが発生した場合には医療機関の患者数が増える可能性があるため、十分な備蓄や対策を行うことが重要と言える。また、経済的な影響や社会機能の麻痺を防ぐためにも、慎重な判断が求められる。
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Jagar39です。 >また「全権限を持っている人」など、どこにもいません。 そうでもないです。 まあ「全権限」はオーバーというか不可能なのですが、伝染病の防疫という非常事態では、行政によってかなりのレベルまでコントロールされます。 食糧の備蓄にしても、H5N1想定の行動指針でそう示されていたから、そうする人がいるわけで、何も知らされていなかったら新型インフルエンザが発生したときに「食糧を備蓄しなければ」と思う人が果たして何人いるか。 罹患者をどこまで正確に捕捉するか、罹患者が出たときの対応(学級閉鎖等)は指針に定められていて、その指針をもとに判断し、実際の措置が選択されているわけです。 もっと深刻な事態では一時的に民主主義の枠を出る措置が選択されることがあります。その最たるものは戒厳令でしょう。今回の新型インフルエンザでも、メキシコで実際に発令されましたね。 獣医領域でも、重要ないくつかの伝染病発生時には、罹患したと"疑われる"動物の隔離や殺処分は、指示や指導ではなく「命令」で実施されます。発生地から一定の半径が設定された「移動制限」も「命令」です。 これらの「命令」のうち、いくつかの措置では行政不服審査法による不服申し立ての適用外になる等、かなりの強権が行政側に持たされています。 新型インフルエンザの行動指針でも、状況によっては罹患者を「拘束」することができることになっています。 また、交通機関の停止や、状況によっては地域封鎖まで想定されているのはご存じだと思います。もちろんこれらはH5N1を想定した指針だったわけで、今回実際に発生したH1N1の新型インフルエンザでは行使された例はありませんが。 罹患者が出たときの会社の対応も、もちろん最終的には会社自身の判断と方針によるのですが、「このような場合にはこうすべき」というガイドラインは存在します。 >南米や南半球の国でも「国全体に感染が蔓延して死者が累々」とかいう話は聞きません。 アメリカでは、6/12時点での死者数は27人だったのが約1ヶ月後の7/6で170人に増えています。それから約2ヶ月後の8/29時点で522人。 ブラジルでは7/6時点での死者数はたった1名だったのが、8/29では557人に達し、一気に死者数世界一に躍り出ました。致死率は10%ほどに達しています。まあこれは分母の感染者数が当てにならないですから(検査体制も整ってない国だし)ほんとうの致死率は判りませんけど。 アメリカやブラジルのような国は、それこそ感染者数も死者数も「氷山の一角」でしょうし。 アメリカやブラジルだって「何もしていない」わけではありません。その国毎に精一杯のできることをやっているわけです。 http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1953.html http://www.cnn.co.jp/world/CNN200908290009.html >放って置いたら「まだら模様で全員一人残らずではないが、全土に広がってしまう」というのはホントなのか? これは新型に限らず季節性インフルエンザでも毎年起きている現象です。また、過去の新型インフルエンザによるパンデミックでも起きています。というより、そもそも「全員が感染する」感染症なんてあり得ないのですが。 伝染病の感染は「確率」ですから、オセロ盤いっぱいには広がるが白駒は残る、というのはいわば"当たり前"のことです。 >それだけを考えて「目の前の脅威を1つずつ取り除く」ためにすべてを犠牲にすることはないと思っているのです。 今はむしろ「何も犠牲にしていない」に等しい状況でしょう。 H5N1想定の指針では、交通網の封鎖や地域閉鎖(これは実際にはまず選択されないでしょうが)まで考えられていたわけですから、それに比べれば国民生活には何も影響がないに等しい状況だと思いますが。 ちなみに、このH5N1による新型インフルエンザの被害想定は、2500万人が感染し64万人が死亡する、というもので、想定されている致死率は僅か2.5%です。これはスペイン風邪の致死率とほぼ同等です。 現在、WHOが公表している死者数/感染者数の致死率は約1%ですから(真実の致死率は判らないので推計値の0.5%の方がまだ信憑性がありそうですが)、たかだか2.5倍の差でしかないわけです。 日本の致死率が非常に低いのは、医療体制の充実と国民全体の教育レベルの高さによるものです。 感染者数が予想以上に増えれば医療体制も容易に崩壊しますし、タミフルの備蓄だってすぐに底をつくでしょう。現に現在の予測ですら、ピーク時にはタミフルが足りなくなると見込まれている自治体もあるくらいですから。 ですから「今までは序の口、これからが本番」なのです。 >弱毒とわかってかなりたったのになぜ指針が示されないのでしょうか? 示されてますよ。それもかなり前に。 http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou04/index.html 指針(新型インフルエンザ対策行動計画及びガイドライン)そのものは専門家集団が何年もかかってようやく策定したもので、今年現実に発生した新型に対して即改訂あるいは新規に作製できるような代物ではありません。 現在の最新版はH21.2.17付けのものですが、行動計画はA4で69ページ、ガイドラインは181ページもあるものです。1年やそこらで作製できるものではありません。 http://www.cas.go.jp/jp/seisaku/ful/kettei/090217keikaku.pdf http://www.cas.go.jp/jp/seisaku/ful/guide/090217keikaku.pdf なので、現在はこれらの指針の"運用"で対応しています。 >アメリカでは学級閉鎖もできるだけせずに済まそう、とか割合に冷静な対応を行っているようにみえる時もあります 感染者も死者も世界トップの国(死者数はトップの座をブラジルと争っていますが)をお手本にはできないと思いますが・・・ ま、アメリカの場合はメキシコと地続きで"事が発覚した"時には既に国内に侵入を許していたりしましたし、人の移動量も世界一激しい国ですから、不利な条件が揃ってはいるのですが。 無知と冷静さは違います。何も知らされていなければ、自分の身の回りで実際に人がバタバタ死んでいくまでは「冷静」でいられるでしょう。 現在、日本が選択している対策の基本方針は、「流行のピークを遅らせ、ピークの感染者数も抑制する」ことです。 最終的な感染者数が同じでも、ピークを遅らせることによって医療体制を整える時間稼ぎができますし、1日当たりの新規罹患者数も低減させることができるので(つまりピークの感染者数を抑制できる)、罹患者に十分な医療を寄与することができ、すなわち重症化率と致死率を低減させることができる、ということです。 そのためには、学級閉鎖や罹患者の出社停止などは非常に有効な措置でしょう。ましてアメリカとは人口密度がまったく異なるわけですから、同条件で比較すること自体が無意味です。 つまりオセロ盤で言えば、「隣接するコマを黒くできる確率」を減少させることによって、黒いコマが増えていく速度を抑えることができますし、最終的にオセロ盤全体に黒コマが拡大するのは同じですが、その時に残っている白コマの数を増やすことができます。 マスコミが騒ごうが騒ぐまいが、国民が神経質になろうが無頓着になろうが、学級閉鎖や出社停止などといった措置はトップダウンで行われるので、あまり影響はないのですよ。マスコミに関してはむしろ静かになったくれた方がいろいろなことがスムースに進みますし。 私もこれらの「対策」の内部にいるわけではないので、裏事情まで知っているわけではありませんが、100点満点ではもちろんないにしろ(100点満点なんてあり得ませんが)現状でそれなりにバランスが取れている状態だと思っています。いずれにしろ、勝負はこれからですから。
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Jagar39です。 >結局のところ財布は1つしかないので何を優先するか決めざるを得ない それを誰が決めるのでしょう? 質問者さんに権限があるとして、目の前で人が感染して死んでいるのに「これはたいした脅威ではないから対策費を削減する」と決める勇気があります? >それならいくらみんなが気をつけたといってもこれ位の死者ですむものなのか。 ご自分では理解していると言われていても、まだきちんと理解されていないようですね。 現在の状況は、まだ流行がピークになる前の「序の口」の段階で、しかもできる限りの「社会的コスト」をかけて対策している結果、なのです。 仮に現在の感染者数が10,000人で致死率が0.01%と仮定しましょう。 すると死者はたった1人です。 対策にかける社会的コストをケチると、分母の感染者数と致死率の両方が増えます。 今のままの対策費で現在1万人の感染者が、流行のピーク時には100万人になると仮定します。致死率は変わらないので死者数は100人、という試算になります。 対策費をケチることによって、感染者数は5倍の500万人に増えると仮定します。致死率も5倍にすると0.05%になります。すると死者は2,500人になります。対策費をケチることによって被害は25倍にも増えてしまうわけです。 何が言いたいのかというと、対策にかけるコスト低減は感染者数も致死率も増やしてしまうため、結果である死者数が爆発的に増える危険性があるわけです。 >季節インフルエンザでも1万人死んでいると言っても、全体には年間で100万人くらい国民が死んでいるうちの中で 単一の原因で1万人以上の死者が出ることって、そんなに多くないですよ。 交通事故も年間の死者数が1万人くらいですが、交通事故対策には考えようによってはインフルエンザよりよほど多大な社会的コストを掛けています。これ、必要ありませんか? >しかも相当数は基礎疾患があったりする中での話し これもよく判らないのですが、基礎疾患がある人は死んでも良いと世間の人は思っているのでしょうか?自分が健康(だと思っている)人は、病気持ちのために社会的コストを割くことを納得しないのですか? 念のためですが、基礎疾患を持っている人だけがハイリスクなのではありません。 妊婦もハイリスクグループですし、これから秋~冬にかけてインフルエンザ以外の呼吸器感染症の流行も始まりますが、これらと重感染した場合も場合によっては「ハイリスク」になるでしょう。 つまり、誰もがハイリスクな状況に陥る可能性があるわけです。 それと報道を注意深く読んでいればお判りかと思いますが、これまで亡くなった方達の「持病」には、高血圧やてんかん、数年前の手術など、本当にインフルエンザの増悪要因になるのか疑わしいものまで既往歴として報道されています。要するに既往症がある人の場合は全て「基礎疾患あり」のグループに暫定的に分類されてきているわけです。 >やはりそんな中で莫大な負担は納得してもらえないのではないかと思ってしまうのです 世論が今のインフルエンザ対策を過大だと言っているとは思えないのですが。H5N1対策をそのまま実行しようとしていた流行当初ならまだしも。 世間の人の多くが、これから迎える流行のピークに備えた医療機関の増強はしなくて良い、と言っているのですか?感染して発症した人も出社して仕事しても良い、と質問者さんの会社ではみんな言ってるのでしょうか? では最初の、 >結局のところ財布は1つしかないので何を優先するか決めざるを得ない というところに帰りましょうか。質問者さんが全権限を持っているとして考えてみてください。 後にはH5N1のパンデミックが起きる可能性もあるから、社会的コストをかけない施策を採る勇気はありますか? その選択肢をとると、間違いなく今回の新型インフルエンザによる死者数は増えます。それも「手抜きをしなかった」場合と比べると爆発的に、です。 もしこの後数年以内に、本当にH5N1の流行が起きなければ、質問者さんは「単に対策の手抜きをして被害を拡大させただけ」という結果になります。これは世間にそう言われなくても、その選択をした貴方自身がそう受け止めざるを得ないでしょう。いわば、「宝くじに2回連続で当たるかもしれない」と言って1回目の当選金を換金しなかったようなものですから。 専門家でなくても、誰がどう判断しても「目の前の脅威を1つずつ取り除くしかない」のでは。目の前の脅威にも対処できない社会が、未来のもっと大きな脅威に対処できるはずもないと思いますし。
お礼
>現在の状況は、まだ流行がピークになる前の「序の口」の段階で、 これもオセロ盤理論が正しいとすればその通りでしょうが、どこまでの対策をした結果なのか、そこそこの対応でも効果があったのか、はわかりませんが沖縄の感染は収束に向かっていますし、南米や南半球の国でも「国全体に感染が蔓延して死者が累々」とかいう話は聞きません。 放って置いたら「まだら模様で全員一人残らずではないが、全土に広がってしまう」というのはホントなのか? >死者数が爆発的に増える危険性があるわけです。 危険性を否定する気はありませんが、それだけを考えて「目の前の脅威を1つずつ取り除く」ためにすべてを犠牲にすることはないと思っているのです。 その辺、アメリカでは学級閉鎖もできるだけせずに済まそう、とか割合に冷静な対応を行っているようにみえる時もあります。(保険制度も確立していない国の話ですから手本になるのかどうかわからないですが) 日本ではともするとオール・オア・ナッシングで、マスコミが騒いだら100%いや120%やらないといけない。どこかで一人死んだらすぐに「いったい国は何をしていたんだ・・・」と何も知らないコメンテータがわめく。 ところがそのうちに全く何も言わなくなる。関心は別のものに行ってしまう。 もう少しバランスよくならないのか?マスコミはしょうがないとして専門家が冷静に「このレベルではここまでの対応が妥当だ」と示せないものか? いつまで「H5N1の対策レベルを参考に各自で考えろ」と言うのでしょうか? 弱毒とわかってかなりたったのになぜ指針が示されないのでしょうか? 表現が下手でわかりにくかったと思いますが、以上がまだ解決しない私の疑問です。
補足
Jagar39さま 今回も丁寧なご指摘ありがとうございます。 >それを誰が決めるのでしょう? これについては「誰かが一元的に決定する」ことは考えていませんし無理だと思っています。オール・オア・ナッシングで対策をするかしないかの二者択一ではないと思います。 また「全権限を持っている人」など、どこにもいません。 国民の全員がそれぞれ「マスクも何もしない」と言うレベルから「外出は極力控えてやむをえない時にはマスク・手洗い・うがいを頻繁に行う」更には「備蓄の食糧をできるだけ持たせて何があっても自宅を一歩も出ない」(H1N1でここまでする人はいないでしょうがH5N1ならいるでしょう)、それらの中間も含めて毎朝だれもが自分の行動を(無意識に)決めているのです。 仕事の面では、それにあわせて「通常通り出勤する」から「何があっても休ませてもらう」までを選択することになります。 会社から言えば「通常通りの勤務を求める」から「本人は大丈夫でも家族が発熱しているなら休務を命じ60%の給与を払う」あるいは「休むのは個人の事情なので給料は払わない」までのどれかを選択して社員に示差ざるを得ない、ことになります。 また企業は消費者が以上のどれかを選択するので否が応でも「通常通りモノが売れる」状態から「全くモノが売れない」という状態の間のいずれかになります。 その対応は各企業が自分で考えるしかなく、長期になると中小は倒産する可能性が高いです。国民全員が巣篭もりして給料も減ってしまうわけですから。観光産業などは典型的でしょう。 しかし幸いなことに(?)先に書いたように「国民は4月にはほとんどの人がマスクをしていたのに今はほとんどがしていない。」のが現状です。 もっと対策せよと警鐘を鳴らして啓蒙する必要があるのか、今くらいが適当なのか? 簡単に答えられるはずもなく申し訳ないのですが、いつもここで悩んでしまいます。
Jagar39です。 >しかし、対応すべきリスクは今回のH1N1だけではなく、もっともっと恐ろしいH5N1等いくらでもあるはずです。 ご存じだと思いますが、日本の(というより世界の)「新型インフルエンザ対策」は、H5N1による新型発生を想定して作られてきました。 ですので今回の新型発生直後は現実のウイルスの性質(病原性や感染力等)の性質に合わせた対策にシフトすることがスムースに行かず、社会的にムダなコストをかけたと批判されたことは記憶に新しいと思います。 つまり現在の新型に対応する「社会的コスト」は妥当なんですよ。少なくともH5N1であれば、とてもこんな程度では済まないわけです。 現在の「新型対策」は、通常の季節性インフルエンザ対策に毛が生えた程度です。H5N1だと国境封鎖や地域封鎖まで想定されていたわけですし、少なくとも社会機能が一時マヒすることは覚悟されているわけです。 このコストが妥当かどうかは、犠牲者数が増えても良いのか、という問題と直結します。 >弱毒のインフルで金もタミフルも使い果たして「無い袖は振れない」状態になったときにより深刻なH5N1が蔓延することも考えておく必要があるのではないでしょうか? 今の新型に続いてH5N1が新型になれば、人類社会が壊滅的なダメージを受けるのは確かでしょうね。「新型発生」という事態は100年に3回くらいしか起きていない宝くじ並みの頻度なのですが、宝くじに2回続けて当たることもないとは言えません。 あと1回しか使用できないバッテリー残量の電話機を持っているところに泥棒が入ってきました。その時、「次に強盗が入ってくるかもしれない」と考えてその電話で警察に通報することをためらいますか? 強盗が入ってくる時期が少しずれるだけで、ただ泥棒の被害に遭うだけ、という事態になりますし、泥棒を放置すればその泥棒が強盗になってしまうかもしれません。 結局は、目の前の脅威を1つずつ確実に潰していくしかないのでは。 >その辺中に潜水艦が潜って厳重監視しているような状態 であっても、「被害の評価」というものは、後になってデータを整理しないと判らないことが多々あるのです。リアルタイムでは見えないことがたくさんあります。 現在、当面インフルエンザではないと診断された死者について、病理解剖や抗体価の推移などの精密検査ができるかと言えば、できるわけがありません。平時ですらしていないことを、この人手も金も足りない時期にできるわけがないです。 また、超過死亡数は今現在リアルタイムに把握できるものでもないでしょう。事が過ぎ去ってから、流行時の死者数と死亡原因を統計処理し、昨年までのデータとつきあわせて初めて「これだけの死者数が新型インフルエンザの影響だったのではないか」という推計が可能なのですから。 素人(マスコミ)がどれだけ騒いでも、それで的確な現状把握や状況判断ができるわけではありません。現状把握や状況判断をするのは別の人です。それらをする職務の人はマスコミが注目していようとしていまいと、変わらない仕事をしているのですから。 (マスコミが騒げば邪魔されることは多いけど) 季節性インフルエンザにしても、マスコミが騒ごうが騒ぐまいが、年間1万人も死亡する感染症であるという認識を持ち、対策を立てて実行している人たちがいたわけですよ。 世間が注目していないから超過死亡概念を持ちだして被害を過大に見積もり、世間が注目すれば超過死亡数をカウントせずに被害を少なく評価する、なんてことは誰もしませんしそもそも無意味です。 世間やマスコミが無視しようが騒ごうが、人が病気になって死んでいくという事実は変わりありません。無視すれば死者が減るのならてくらでも無視しますけどね。 人類がすべきことは、被害を可能な限り正確に推定し、それに見合ったコストをかけて対策を実行する、ということではないでしょうか。 次はモデルの話を。 >私があのような代案を考えたのは、Jagar39さんのモデルでは辺縁部においては常に感染が広がるのではないかと考えたからです。 そのとおりです。 ですから、感染はオセロ盤いっぱいに拡大するまで続きます。 ですが、オセロ盤いっぱいに拡大して流行が終息したときに、全ての駒が黒くなっているわけではない、というのが肝心なところです。 オセロ盤は、この単純なモデルだと"集団"であればなんにでも適用できますから、家族、学校、町、日本、地球、全て基本的には同じです。 家族であればコマ数が少ないですから、結果は偶然がかなり関与します。なので、家族全員感染する家庭もあるでしょうし、1人が感染しただけで終わる家庭もあるでしょう。 これがコマ数が多い集団ほど、一定の傾向が予測できる、すなわち確率計算で予測した形に近くなるはずです。 いずれにしろ、最も大きい規模で考えると、黒いコマは世界中を席巻するでしょうが、世界中に黒いコマが見られるようになって終息しても、全てのコマが黒いわけではない、ということです。白いコマもたくさんあるわけです。 >しかし、現実には警報レベルにまで達した沖縄県の新型インフルエンザは3週連続で減少しましたね。 >やはり、おっしゃるような状態が起きているのでしょうか? 大雑把にはそういうことだと思います。 このモデルと現実が異なる点の1つは、「白いコマは黒くならないように努力をする」ので、時間と共に「黒いコマが隣接する白いコマを黒くできる確率」が変化する、ということでしょう。コマが十分賢ければ、黒くなる確率(つまり感染率)は時間と共に減少することが期待できます。 そうなると、終息は単純モデルより早く訪れ、残っている白いコマの数も多いことになりますね。
お礼
Jagar39さま いろいろ考えていたら書き込みが遅れてしまいました。 >結局は、目の前の脅威を1つずつ確実に潰していくしかないのでは。 これは、たしかにその方面の専門家からすればそういうしかない。 しかし、結局のところ財布は1つしかないので何を優先するか決めざるを得ない、というか、実際に国民は4月にはほとんどの人がマスクをしていたのに今はほとんどがしていない。いくら警鐘を発しても国民の興味がインフルからノリピーや政権交代に移って「まだそんなこと言ってんの。大した事ないんじゃないの?」と言う反応に変わってしまっている部分もある。 それは、やはり危機意識の高さ、結局は新型インフルエンザの脅威をどの程度と見るかにかかっているような気がしてなりません。 疫学的な最終結論が出ないうちはわからないとしたら、わからないで済まされてしまう。 超過死亡概念も単純に「昨年までの流行状況・死亡状況のデータから推計処理する」だけとしたら、私の考えているように基本条件が違う中で過大な数字をはじいていると言う風に考えてしまわれるかもしれない。 メキシコにしても沖縄にしてもオセロ盤のモデルから考えられるように、全国民に広がってすべての人は免疫はなかったが抵抗力があって大丈夫だったか、あるいは75%のラッキーな空白地帯にいたというのもやはり説得力がないような気がします。 それならいくらみんなが気をつけたといってもこれ位の死者ですむものなのか。 すみません。 また疑問の送り返しになってしまうのですが、おっしゃるように季節インフルエンザでも1万人死んでいると言っても、全体には年間で100万人くらい国民が死んでいるうちの中で、しかも相当数は基礎疾患があったりする中での話しなのでそれほど脅威を実感していないのもやむをえない気がします。 繰り返しになってしまいますが、やはりそんな中で莫大な負担は納得してもらえないのではないかと思ってしまうのです。と言うか、他人を納得させることができないと思うのです。
Jagar39です。たびたび済みません。2について回答するのを忘れていました。 >オセロ盤でのたとえについて私は以下のように理解したのですがこれで間違ってないでしょうか? えっと、違います。 >感染者に接触した人は必ず感染するか、体力があるので発症しないかのいずれかとなると仮定とする。 ここから既に間違いなんです。 いくらなんでも接触者を100%感染させるほど感染力が強い病原体は存在しません。なのでそういうモデルは適切とは言えません。 ま、そういうウイルスが存在すれば、確かに日本中の人間全てを感染させるまで流行は終息しないかもしれませんが。少なくともインフルエンザはそうではありません。 私はNo.2で、 >感染して黒い駒になると、隣接する駒に25%の確率で感染させることができる、と仮定します。 というモデルを提案したわけです。この25%という数字は単に計算を簡単にするために恣意的に設定した数字なので何の根拠もないのですが、まあ"当たらずといえども遠からず"といった数字だとは思っています。 "濃厚接触者"であれば感染率も高くなるでしょう。極端な話、顔面30cmの正面でダイレクトに咳やクシャミをぶちかませば、ほとんど100%に近い確率で感染するとは思いますが、そんな状況、実際にはほぼあり得ないでしょう。 また、緑の駒も設定する必要はありません。 このモデルは、「日本中の人間全てが感染するまで流行が続くわけではない」ことを検証&説明するためのモデルですから、感染した人間が発症しようがしまいが、このモデルでは「どうでも良い」のです。 肝心なのは、黒くなった駒(すなわち感染した人)は、「もう黒くすることはできない」すなわち再び感染させることはできない、ということだけです。 このモデルで理解して頂きたいのは、黒の駒の割合が増えるに伴って、「隣の駒を黒くできずに自分で"黒の連鎖"が終了する駒が増える」ということだけです。他の要素は必要ありません。 「対策」はこのモデルでは考察できません。質問者さんもお気づきのように、このモデルには「駒が動く」ことはまったく考慮していないからです。 その「対策」も、何に絞るかで考案するモデルはまったく違ってきます。 要するに、自分が考察したいこと、つまり今回のオセロ盤モデルは >インフルエンザは今後以下のどちらの道をたどるのでしょうか? を考察するために考案したのですが、その考察のために必要なパラメータだけをモデル化し、他の要素は切り捨てなければクリアな考察はできません。例えばこのモデルで「駒が動く」ことを考慮しなかったのは、世の中に感染者が増えれば駒が動こうが動くまいが、「黒駒に隣接する白駒の数」には影響しない(もしくはこの程度の大雑把なモデルでは無視できる)からです。 ですから、別に考察には別のモデルを構築する必要があるわけです。
お礼
Jagar39さま 重ねて非常に丁寧な回答を頂き本当にありがとうございます。 私があのような代案を考えたのは、Jagar39さんのモデルでは辺縁部においては常に感染が広がるのではないかと考えたからです。 当然、どんどん広がっていく面の中に虫食いのように感染から「取り残されるような部分」が出来ることは理解できるのですが、周辺に無限に広がる余地があるのに自然にそれが収まる、つまり偶然に全ての辺縁部で感染しない75%が起きるということなのでしょうか? どう考えても一旦広がりだしたら辺縁部もどんどん広がるわけでそれが同時に全部75%でそろう可能性は無いような気がしたので、「代わりのモデル」を考えたのですが? オセロの盤の縁に達したら当然止まりますが、それだと全国民にまで広がっていることになってしまうし・・・ しかし、現実には警報レベルにまで達した沖縄県の新型インフルエンザは3週連続で減少しましたね。 やはり、おっしゃるような状態が起きているのでしょうか? どうも、頭が悪くて申し訳ありません。
No.2のJagar39です。 >もしそのとおりなら分子の死亡者はほぼそのままで、分母の罹患者はもっと多い可能性があり致死率は更に >低くなるのではないでしょうか? むろん典型的なインフルエンザ様の症状を呈していればどこかでインフルエンザと診断される可能性は高いですが、必ず高熱を発するわけでもないですし、診断し損ねた症例はたくさんあるでしょう。ましてインフルエンザ単独で死亡に至ることは元より少なく、基礎疾患の影響や合併症等で重篤化あるいは死に至ったような場合は、未診断のままインフルエンザによる死者としてカウントされていない事例もあると思われます。 季節性インフルエンザによる致死率は0.1%程度、という知識はみなさんお持ちのようですが、これは「超過死亡数」の数字です。 超過死亡数というのは、一言で言うと「インフルエンザが流行したことによって総死亡がどの程度増加したかを示す推定値」です。もう少し判りやすく言うと、「もしインフルエンザワクチンの有効率が100%であるならば、 予防接種をしていれば回避することができたであろう死亡者数」のことです。 http://idsc.nih.go.jp/iasr/24/285/dj2852.html 例年、"直接的な"インフルエンザによる死者数は500-1000人くらいです。これは「死因」がインフルエンザ、と分類された数字です。 ですが超過死亡数を入れると10,000人前後という数字になるわけです。この10,000人前後という死者数で「季節性インフルエンザの致死率は0.1%程度」という数字が導かれているわけです。 http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1955.html 私も獣医領域ではありますが、伝染病の診断の仕事に携わっているので判るのですが、伝染病の診断を確実に行うのは難しいです。 採材&検査のタイミングが早すぎるとウイルスや抗体という"証拠"が検出されずに診断が下せなかったりしますし、遅すぎると既に二次感染が起きていてやはりウイルスは検出できず、ということも多々あります。それでも病理解剖すれば"ウイルスが暴れた痕跡"は見ることができるのですが、人間では病理解剖まで実施される死者は非常に少ないでしょうから、実は新型インフルエンザが関与しているのに未診断である死亡例は(そんなに多くはないかもしれませんが)ある、と思っています。 現在の推定感染者数は既に「推計値」です。つまり、未受診の感染者や検査で偽陰性が出たために診断されなかった感染者がいることも見込んでの数字です。 それに対し、死者数は今のところ「直接的な新型インフルエンザが死因の死者数」です。つまり超過死亡数は含まれていません。まあ、報道を見ていると、これは最終的に超過死亡の方に入る症例なのでは?と思うような事例もありますが。 なので私は質問者さんとは逆に、「分母(罹患者数)は大きく変わらないが分子(死者数)がもっと多い可能性がある」と思っています。 いずれにしろ、現時点で致死率が0.5%近くにまでなる、とは私も思っていませんが。 ただ、こういう話は高度な統計学を背景にしているので、ちょっと理解しづらいかと思います(実は私もよく判っていない部分が多い)。 なのでここはひとまず、「インフルエンザのような感染症による致死率は、"実数"で計算しても正確なことは判らない」くらいに認識して頂ければ良いのではと思います。 いずれにしろ、もっと病原性が高い激烈な伝染病は、リアルタイムで被害の実態が判るのですが、インフルエンザのような病原性が低い伝染病の場合は、なかなか被害の実態が掴みにくいのです。 見方を変えます。 仮に、現在の日本での致死率を質問者さんの試算どおり0.00001%としましょう。私は本当は現時点でももっと高いと思っているのですが、どちらにしても0.5%には遠い数字でしょうから、ここでは質問者さんの数字を採用してみます。 この低い致死率は、現在の日本が莫大な社会的コストをかけて防疫対策を実施しているからこそ、この数字に留まっているのです。私達は医療機関の整備、タミフルの備蓄、発生時の学校や職場の休業など、既に多大なコストをかけて新型インフルエンザに挑んでいるのですが、その「成果」が現在の致死率0.00001%であるわけです。 実際はこれより高いにしても、いずれにしろこのウイルスの本来の病原性である0.5%より遙かに低い数値です。 この「成果」を見て、「致死率が0.00001%に過ぎない感染症にここまでの社会的コストをかけるのはおかしい」というのは間違っていると思いませんか? 例えば猛獣を傷だらけになって必死に押さえ込んでなんとか大人しくさせている人に、「その猛獣はそんなに大人しいのだから、そんなに必死に押さえ込むのはムダだ」と言っているようなものです。 何もしなかったら、日本中で4,000万人が感染して致死率が0.5%、すなわち20万人が亡くなる、という事態になる"可能性"がないわけではないのです。 今朝、基礎疾患のない20代の女性が亡くなったという報道がありましたが、世界的に見ると重症患者の4割が持病がない(つまり有意な基礎疾患がない)人なのだそうです。 秋くらいから、この感染症の実体がだんだん見えてくるのだろうと思いますけどね。
お礼
Jagar39さま 重ねて非常に丁寧な回答を頂き本当にありがとうございます。 申し訳ないことに先の回答でも「超過死亡概念を含む数字」と記載頂いていたのに書き込みをしてから気づいて「超過死亡概念」についてご指摘のページを見させていただきました。 読んで「氷山の一角」と言う言葉がありますがまさにそれだと思いました。毎年1万人も死んでいて非常に大きな死因であるのに、インフルエンザと特定されるのはほんの一部。氷山と同じように誰も全体を見ることは不可能なので「超過死亡」という概念を用いる。用いざるを得ない。非常によくわかりました。 しかし、今回の新型インフルエンザについては「騒動」と言われてしまうほど全国民の関心事になっています。マスコミは大騒ぎするか全く無視するかどっちかしかありませんので(私も含めて)「毎年1万人も死んでいたの!」という状態です。 ですから例年のようにマスコミに無視されているときには「氷山の一角」化するのは当然だと思います。でも、今年の新型インフルエンザ「騒動」で氷山の一角化しているのか?疑問に思ってしまいます。むしろ今の状態は、「その辺中に潜水艦が潜って厳重監視しているような状態」ではないか?それなのに「超過死亡概念」を適用して3桁も過大評価(?)するのは正しいのだろうかという疑問が残るのです。 ワクチン等の対策をしなかったらこれだけ死んでいただろうという数字ということですが、WHOが自分たちの存在意義を証明するために算出している数字のような気もしてしまいます。
補足
Jagar39さま 重ねて非常に丁寧な回答を頂き本当にありがとうございます。 >この低い致死率は、現在の日本が莫大な社会的コストをかけて防疫対策を実施しているからこそ、この数字に留まっているのです。 これについては全くその通りだと思います。 しかし、対応すべきリスクは今回のH1N1だけではなく、もっともっと恐ろしいH5N1等いくらでもあるはずです。今回のH1N1が変異する可能性がよく言われますが、その可能性を考えるならもっと他の可能性も考える必要があるのではないでしょうか。 それらを全て考えて「莫大な社会的コスト」を何度も払うことは現実問題として無理なことです。 国や企業はもちろんそうですし、個人も例外ではありえません。H5N1が実際に強毒性なって国が外出禁止命令を出し、出勤不能になった際は企業はその間の給料を払う義務はありませんし、家族が罹患して会社が出勤を止め判断をした場合にも通常の6割の給料しか支払われない可能性があります。 それが長期化したり何回も起これば、企業は倒産し、国民も食べていけない。国も成り立たなくなる可能性があります。 弱毒のインフルで金もタミフルも使い果たして「無い袖は振れない」状態になったときにより深刻なH5N1が蔓延することも考えておく必要があるのではないでしょうか?
獣医師でウイルスに専門知識を有しています。 致死率の数値というのは、「推計値」です。推計というのは、罹患者数も死者数も正確な数字は把握されていないことを前提に統計解析によって算出する数字です。 ちなみにスペイン風邪などの過去の新型インフルエンザ・パンデミックによる罹患者数や死者数も推計値ですし、そこから導かれる致死率ももちろん推計値です。 検査で陰性となったため、インフルエンザと診断されなかった罹患者も大勢いるでしょうし、そもそも受診しなかった罹患者もたくさんいるでしょう。その内の何人かが既に亡くなっていても、彼らはインフルエンザにより死者にはカウントされませんし、当然報道もされません。 そういう人は日本にも既にいる、と考えるのが自然でしょう。 http://mainichi.jp/select/science/news/20090818ddm003040091000c.html もちろん日本では0.5%より低い致死率となることは予想されています。世界でも有数の医療体制が整備されている国ですから。 ですが、これから冬になると他の呼吸器症(季節性インフルエンザも含めて)の流行も始まるので、それらと重感染したり併発したりすると、重篤化する人や犠牲になってしまう人も増えてくるでしょう。 毎年の季節性インフルエンザは、ヒトの方にある程度の免疫がある状態で流行を繰り返しているわけです。その状態で致死率がおよそ0.1%程度で推移しているわけです(超過死亡概念を含む数字)。 新型はヒトの免疫はまったくのバージンなわけですから、仮にウイルスの性質がまったく同じでも、その免疫的な要因だけで病原性は高くなって当然です。 なので、この0.5%という推計値は妥当なところなのでは。 感染症の危険性というのは、病原性(致死率)だけで決まるのではありません。致死率と感染率で決まるのです。 感染率が低く、1000人しか感染しない致死率50%の感染症と、1億人が感染する致死率0.1%の感染症では、人的被害は後者の方が遙かに多くなります。 世に感染症は数多くありますが、3月に世界の一地方で始まった流行が、半年経たないうちに全世界に拡大する疾病はインフルエンザくらいなものです。 ですから、他にも怖い感染症はたくさんありますが、それでもインフルエンザは重要視されるべき「危険な感染症」です。新型に限らず季節性インフルエンザですら重要視されている感染症です。季節性インフルエンザで毎年1万人前後の方が亡くなっていますが、それ以上の死者数の感染症って他にありますか? なんだかんだいっても致死率0.5%なので、パニックになる必要はどこにもないのですが、かといって甘く見て良いわけではありません。感染拡大の規模が現在の予測より拡大すれば医療機関もパンクするでしょうしタミフルも足りなくなるでしょう。タミフル耐性株が流行し始めればまた事情も変わってきますし。 2の新型インフルエンザの行く末ですが、過去の「新型インフルエンザ」すなわちスペイン風邪、アジア風邪、香港風邪は、いずれも「そのまま季節性インフルエンザとして毎年の流行を繰り返す」という行く末を辿っています。そしてその際には、必ず「従来の季節性インフルエンザ」は姿を消しています。ソ連型だけはちょっと違うパターンなのですが。 なので、正確な予測は誰にもできませんが、今回の新型もそうなる可能性は十分あるでしょう。現在のソ連型と香港型のどちらか片方、あるいは両方が消える可能性もあると思います。 なお、今回のような「免疫的に全くバージンの集団で感染症が流行する場合」も、決して全員が感染するわけではありません。 ちょっと考えてみれば単純な話なのですが、流行が続くとその集団で「罹患経験者」が増えてきます。この人たちは感染防御ができる免疫を持っているので、流行が続けば続くほど、「1人の感染者が感染させる人数」は減ってきます。そして「誰にも感染させられず、そこが終わってしまう」系統も増えてきます。 すごく単純なモデルで考えると、大きなオセロ盤に駒がびっしりと並んでいると想像してみて下さい。始めは全て白い駒です。 感染して黒い駒になると、隣接する駒に25%の確率で感染させることができる、と仮定します。始めにどこか1つの駒が感染して黒くなると、その駒は8つの駒と隣接していますから、確率的にはそのうち2つの駒が感染して黒くなるわけです。その感染した駒はさらに隣接する駒を25%の確率で黒くして・・・と流行が拡大していくわけです。 初めのうちは黒の駒が順調に勢力を伸ばしていきますが、黒の駒が増えるに従って「黒の駒の増え方」が緩やかになっていくのがお判りでしょうか。 周囲4つの駒が黒い状況では、1つも感染させることができずに終わる黒駒が増えてきます。 まあ、こんな単純なモデルでもきちんとした推計をするには複雑な計算をしなくてはならないのですが(統計の専門家ではないのでそのあたりはさっぱり判りません)、一応このモデルでは黒駒が半分を少し超えたあたりで黒駒の増加が止まる、すなわち「流行が終息する」と推測できます。 余り判りやすいたとえではなかったかもしれませんが、こんなわけで「全ての人間に感染するまで流行が止まらない」わけではないのです。 それでも例えば2,000万人が感染したとして、致死率0.5%なら10万人もの人が亡くなってしまう計算になります。これは十分「大惨事」だと思いますが・・・? 日本では致死率が0.5%に達しない、というのは整備された医療体制等があってのことですから、対策を怠って流行規模の拡大を許してしまえば、致死率が高くなることが懸念されます。 流行規模拡大ということは、分母の罹患者数も増えているわけですから、犠牲者数は飛躍的に増えてしまうことになります。 そういう性質の感染症ですから、社会的に大きなコストをかけて防圧を試みるのは当然だと思いますよ。
お礼
Jagar39さま 非常に丁寧なお答えを頂きありがとうございます。 2.については非常によくわかりました。 オセロ盤でのたとえについて私は以下のように理解したのですがこれで間違ってないでしょうか? 感染者に接触した人は必ず感染するか、体力があるので発症しないかのいずれかとなると仮定とする。 罹患の結果、死亡する人はとりあえずいないことにする。 未罹患者は白、感染者は黒、感染後発症あるいは未発症だが免疫を獲得した人は緑になるとする。 オセロ盤の全てが白で埋まっていてその内の1つが黒になる(罹患)するとその周りの8個の駒について20%が 黒に、残る80%は緑になる。 これが繰り返されると黒または緑の駒が増えていくものの、黒に接して黒くなる数の4倍の駒が緑になるので、 黒または緑に変っていく境界線が全て緑になった時に感染は停止する。 つまり緑の駒(免疫獲得者)が防波堤の役割をする。 実際にはオセロのように1手進むとすぐに次の手(次の感染)が来る訳ではなく潜伏期間があり、更に一旦黒になっても 1週間もすると回復して緑(免疫獲得者)に変る。 中には感染の結果死ぬ人が出るが、その場合はオセロ盤から除かれる(死んで社会生活から脱落する) 従って緑に囲まれて白のまま残る駒は相当数出てくる。 実際には感染者と接触しても、マスクや手洗い等の対策が功を奏して全く感染しない人もあり、 その場合は白のまま緑に囲まれて残る・・・ ただし、人間の場合はオセロの駒のように一点に止まっていることはないので、このとおりにはならないでしょうが。 対策としては (1)マスクや手洗いで出来るだけ白のままでいるようにする (2)もし黒になったらオセロ盤から出て行く(家に籠って社会に出ない) これにより蔓延を出来るだけ先に延ばし境界線が緑になるのを待つ。 それに対する社会的コストは別問題ということにするしかない、というわけですね。
補足
Jagar39さま 非常に丁寧なお答えを頂きありがとうございます。 1.についてはもう少しお教え願えますでしょうか? 厚労省方針を転換したことですし全数把握はもとより全く不可能なことだということは良くわかっているつもりです。 完全な全数把握は死亡者も罹患者も無理なことは明らかですが、私が思うに今のマスコミの報道もあり 死亡者の方がより把握しやすいのではないかと思います。通常であれば高熱を出して死亡するような場合 保健の未整備なアメリカなどとは違い、日本においてはほとんどの人が医療機関を受診しているでしょう。 そうすれば社会的関心がここまで高い現在の状況なら一応はインフルを疑うはずでしょうから死亡例を見逃す確率は そう高くないと思います。 逆に罹患者のほうは判りません。新型インフルだと診断されることを嫌って受診しないような人も中にはいるでしょう。 もしそのとおりなら分子の死亡者はほぼそのままで、分母の罹患者はもっと多い可能性があり致死率は更に 低くなるのではないでしょうか? そうでないとしても0.0001%の数字が色んな要因で「ぶれて」0.5%になる。そこまで「ぶれる」ものなのでしょうか? 3桁以上ぶれるということなら下ぶれでなく3桁上ぶれしたら500%! こうなると数字を語ること自体無意味になってしまいます。 せっかく専門家の方に教えて頂いているのに反論めいて申し訳ないのですが、以上のように何がどうなっているのか 判らない状態でそれでも最大限の対応をする必要があるのか? これにコストがかからないのならその通りでしょうが、家庭も企業も当然、国家も莫大な費用がかかる。 それでいて豚インフルエンザの対応だけで安心かといえば鳥インフルエンザが流行したらこんなものではとても済まない。 「どうしたらいいのか?」と聞いて答えが出るものではないことも承知しているのですが、 現在の状況の中でどうするのが「妥当」な対応だと一般的に思われるのか知りたいのです。 (実は会社でそれを考えろといわれています)
- chiki777
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私素人ですけど。 患者数の正確な数は誰にも把握できていないと思うので、 致死率は嘘。 もう誰も心配してないから、マスク着用者は少ないですね。 いろんなところに感染者が居るので、 予防しきれないと思っているのと同時に、 感染したところで、「自分は」重篤な症状にならないだろうと思っているので こんな感じなのでしょう。 ただ、国民全体として心配すると言うより、 他の病気を持っている人が重篤化しやすいみたいなので、 これは要注意、ということで、 更に、インフルエンザは冬の物という認識がほとんどの人にある現状を、 新型インフルエンザは、冬だけの物ではないということを認識し直させる必要もあるので、 だから、報道機関はそれなりの報道をしているんでしょう。 温暖化が進めば、更にやばい病気が流行りやすくなるはずなので、 そのうち新型インフルエンザどころの騒ぎじゃなくなるような時代になると思われます。 報道というのは、恣意的な内容が多いので、 話半分でいいんじゃないでしょうか。 全部が全部真に受けると、面白くないですよ。 まだ、感染しやすい(ウイルスが飛散・生存しやすい)温度や湿度とか研究されていないと思うのですが、あ 暑いときでも寒いときでも感染力に違いがないのなら、 年がら年中、感染するかもしれない病気として残っていくでしょう。 (1)飛沫感染するウイルスなら、難しいかもしれませんね。 (2)赤ちゃんが生まれたら、抵抗力がないときに感染して死んでしまうかもしれませんね。 他の病気を持っている人も症状が重篤化しているようですので、 そういう人本人や、その家族は細心の注意を払い続ける必要があるでしょう。 他の人はそこまでしないでしょうから、社会機能が麻痺することは無いと思います。 経済は現在、十分に麻痺してますから、会社も倒産し失業者だらけですから、まぁそこは他の要素の方が大きく影響すると思いますよ。
補足
>温暖化が進めば、更にやばい病気が流行りやすくなるはずなので、 そのうち新型インフルエンザどころの騒ぎじゃなくなるような時代になると思われます。 これは、どのような病気でしょうか? 本当とすると大変ですね。 沖縄では2・3年前から夏でもインフルエンザがはやるようになり 今回の新型インフルエンザも一時は定点当り30人の警報水準を突破しました。 それも今は峠を越して沈静傾向のようです。 ほとんどの人がかかるまで行かなくて鎮静化するということは、全員が予防策 を徹底した結果なのか、それとも何か別の原因があるのでしょうか?
お礼
Jagar39さん 詳しい解説ありがとうございました。 確かに今回の新型インフルエンザはそれほど「超緊急事態」ではありませんが、たとえばエボラ出血熱などが発生したらそれこそ「全権限」を持って、有無を言わせずにすぐに対応しないととんでもないことになりますね。インフルエンザもH5N1で本当に毒性が強ければ、それに準じた対応を行う必要があるわけですね。 その辺を想定して作られた指針があることもよく承知していますがそれをそのまま今の状況に適用できないので「運用で対応」ということになるのは止むを得なかったと思うのですが、私としてはもう強毒ではなくて弱毒もしくは中くらいと判って何ヶ月もたっているので、それに対応したレベルが示せるのではないか。当然、ゼロから作るなら何年もかかるでしょうが、出来上がったものを元にその対応を緩和したいわば縮小対応版を作るのに、それ程の困難は無いのではないかと思ったもので、先のようなことを書いたわけです。 主体となる厚生労働省が「運用で対応で十分」という見解なら、それ以上言ってもしょうがないことではあります。 そうなれば各企業が各々実情に合わせて工夫するしかないということですね。
補足
>現在、日本が選択している対策の基本方針は、「流行のピークを遅らせ、ピークの感染者数も抑制する」ことです。 その間にワクチンも出来て準備態勢が整う、ということですね。 >マスコミが騒ごうが騒ぐまいが、国民が神経質になろうが無頓着になろうが、あまり影響はない それもそうかもしれませんが、マスコミもあまり馬鹿には出来ないのではないかと思います。 全く別の話になってしまいますが、以前にマスコミが騒ぎすぎてワクチンの副反応が過大に問題視された日本ではワクチンの義務付けも無くなって、いまだにハシカが発生したりして国際的にワクチンについては後進国になってしまいました。 以前には大手メーカーもワクチンを手がけていたのに、今は中小メーカーしか残っていないので、今回のような事態になってもなかなか増産もままならない。 つい先日開かれたワクチン学会では、日本の場合はHAワクチンでアジュバンドも入っていないので、効果が極端に弱い。 ワクチンが30万本しか使われなかった94年と、2000万本以上も使われている現在とを比べ、国内のインフルエンザの死者や重症に陥った患者数はさほど変わっていない、との報告があったそうです。 つまり日本では副反応は非常に小さいがほとんど「水と変らない」ワクチンを使っているのだそうです。 そんなことになってしまったのも以前にマスコミが騒ぎすぎた結果だと思います。 ワクチンの副反応で死ぬ確率と感染で死ぬ確率を比べてみたら問題にもならないと思うのですが。