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知人の発言や体験をさも自分の意見や体験かのように思いこんでしまう
知人の発言や体験をさも自分の意見や体験かのように思いこんでしまう。そして、その体験した本人にもさも自分が体験したかのように言ってしまう精神疾患はあるでしょうか? 知人にそのような人がいて、心配しています。
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他人の知識や見解などを、「誰それが言っていたんだけど」と前置きした上で語るのであれば、さほどの問題はありません。 しかしその知識を、あたかも自力で発見したかのごとくに他の人に話すとすれば、その人は異常です。誰かの優れた見解を、それが初めから自分の思っていたことであるかのように話すのも、やはり異常でしょう。 こうした人たちは、他の人の優位に立ちたいという潜在的で非常に強い願望を持っています。彼らは、本来賞賛が与えられるべき人から、いわば賞賛を横取りしてしまうのです。こうした賞賛の横取りは、「自己愛性人格障害」という障害によく見られるもので、彼らを見分ける上での目安になります。 世界中の、数多くの精神科医が、自己愛性人格障害の患者は治せない、という点で一致しています。あなたもご自分の限界を認め、ご自分の福祉と権利のために、一刻も早く彼らとのつながりを絶つようお勧めします。
何か実際的な問題が現れ始めているのでしょうか。我々は今は自分のもののように思っていてももとはと言えばんほかの人から譲られたものがほとんどだと思います。残りのものも所有者が不明なので自分が拾ったというような感じです。われわれが使っている言葉の一つ一つもだれかが作ったものです。所有権などの問題が起きると困りますが、程度の問題ではないでしょうか。病気としては虚言症などにもつながるように思います。
補足
実は、それは夫婦で行われていて、その夫婦は聖職者です。プロテスタントは自称でできるところがあるので、特にどこかのお墨付きがあってやっているわけではないのです。そこの日曜礼拝などで、私が水曜の祈り会で話した知識を私が参加している日曜礼拝で言ってみたり、他の信徒とのつながりから知ったのか、私がブログで書いた内容を言ってみたりと非常に不思議なことが多々起きたのです。もともと猜疑心が強い性格が、私にはあるので「多分考えすぎだ」と何度も自分に言い聞かせてきたのですが、先月あたりから他の信徒さん方と喋っていると同様な体験が多々あり、薄気味悪くなってきて、他の有名な聖ペテロ・ルーテル教会や日本基督教団系列の教会を見学しているとプライバシーへの介入やそのような不気味な雰囲気が無くて、はっきりと自分が通っていた教会がおかしいことに気付きました。 私のほかに1世帯の家族が、教会を変える決心がついており、もう1世帯も変えるのは時間の問題であろうと思います。虚言癖?がある聖職者ですから後々のことが少々不安です。教会としては非常に小規模な物なのですが・・・
補足
その礼拝で普段される説教は正直、聴いていて意味がわかりません。私も含めて誰も意味が分からないみたいです。しかし、よその教会では意味がわかるんですよね。実力を分からず、それでいて他の人々より優位に立ちたがるのはまさに「自己愛性人格障害」の疑いがあるのかもしれませんね。 私は離れる決心がついています。なんだか、人って怖いですよね。