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これはどこの土産物?
よく海外にでかけられるみなさまにおたずねします。 添付画像の木彫りの像はどこの土産物でしょうか? 木彫りで高さは7センチ程度のものです。 写真は斜め前から撮っていますが、真横から見ると像の頭部は、後に反り返り、まるで平行四辺形のような形をしています。 この添付写真の像は、知り合いの方のお父様の遺品だそうです。 この像はその方がほんとに小さい頃(昭和20年代)から家に有り、お父様はこれを大切にしていたそうです。 お父様は戦時中、南方に兵士として従軍された経験があるので、多分そのころの南方地域で購入して持ち帰ったものではないかと推測しているとのことです。 しかしもはや故人となっており、何の像なのかわからないので、どこの地域の何をかたどった像なのかをぜひ知りたいとのことです。 宜しくお願いいたします。 (o。_。)oペコッ.
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- caramelkko
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度々すみません。 知り合いのお父様でしたね。失礼しました。 この像について画像を調べましたが、むずかしかったです。 パプア・ニューギニアの民族専門家にきいてみるのはいかがでしょうか? あと、この像は女性だと思います。胸があるので。 現地では、精霊を像にしていたり、歴史もあるので、ご自身でそちらもお調べになるとわかると思います。 南山大学人類学博物館のURLをはっておきます。
- caramelkko
- ベストアンサー率48% (13/27)
お父様は激戦地へ赴かれたのですね。よく生きて帰ってこられたと思います。 さてこの木彫り像ですが、kanoraさんのおっしゃるとおり、当時生きるか死ぬかですので、お土産など流暢に買えるはずもなく、日本の通貨は第二次大戦中の紙幣が発行されていましたが、太平洋戦争 南方戦線パプアニューギニアなどでとても使われていたとは思えません。 当時は、物資が配給されなければ現地補給(つまり奪略)でしたので、現地の方が掘ったものかもしれません。今でも米軍が持ち帰った日本兵の写真や遺品が、遺族に返還されていますよね? 時々ニュースにもなっています。 回答者のkanoraさんは日本人のお父様が彫られたといっていますが、 これはどうみても現地の彫り物です。南方戦線の場所がいろいろありますが、パプアニューギニアの木彫りで検索すると同じようなものが沢山出てきますよ。 記念に持ち帰られたものだと思います。私の叔父がボルネオから生還しましたが、調べれば調べるほど、よく生きて帰ってこれたと思い、命に感謝しています。 参考URLの一番下に似たような像があります。 漫画家の水木しげるさんもそうだったように、この国周辺にいた日本兵は慨して現地民との交流が多かったようです。 ですから、お父様も貰って大切にしていたのかもしれません。 一部抜粋 「こうした困難の中においても精一は得意の語学を活かして原住民との親交を深め、充分とは言えないながらも分隊の食糧を確保することができた。 精一は原住民からは「キャプテン、キャプテン」と呼ばれて慕われ、遥か後の平成11年には、酋長の孫から「亡くなった爺さんがよく話を聞かせてくれたキャプテンに是非彼が大切にしていた人形を渡したい」 と人伝に高さ30cmばかりの木彫りの人形(写真)を贈られている。 」
お礼
ありがとうございます。 パプアニューギニアですか。 そんな感じもしてきました。 ありがとうございます。
- kanora
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違うかもしれません。違ったらごめんなさい。 あの時代の日本の軍隊の軍人に 自由におみやげ店に買い物に行く余裕はなかったと思います。 ものすごい人数が戦死した戦争で南方は悲惨だったそうです。 私はおそらくお父様の手作り品だと思います。 7センチですよね。小さいから手の中に隠し ポケットの中に隠せますよね。 17センチでは上官に見つかったら、 殴られたでしょう。 深夜、見張り番などの時に落ちていた木片に小刀で、 遠い日本を思いながら少しづつ彫刻したのでは ないかと思います。 生きて帰りたいと念じながら作ったのではないかと思います。 お父様の無事のお守りなのではないかと思います。 もしかしたら、奥さまがモデルかもしれません。
お礼
ありがとうございます。 はい、南方戦線の悲惨さは映画や書物で存じております。 「手作り説」ですが、その方の父上様が「買った」とか「もらった」とか言っていた記憶があるので違うだろうとのことでした。 すみません。
お礼
ご丁寧にありがとうございました。