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人生が畦道になってきたのでスーパーカーから4WDに乗り換えたのに…
所詮、車でしかなく…。 人生の畦道にはどんなものに乗って進めば良いというのでしょうか? 仕事も一時は本気で頑張った。 でも、このまま突き進んで人生終えてはいけないと漠然とどこかでそう考えていた。 極めたところで所詮、仕事じゃないか、俺は生きてる。 こんなことだけを一生する為に生まれてきたんじゃない、と。 だから、独身で金が多少あることを良いことに今度は豪勢に本気で遊ぶことにした。それで何かが掴めそうな気がした。 兎に角、この際、何でもやってやろう。 そうして違った価値観にも触れた上でまた改めて考えればいいじゃないか、俺は頭がいい、これは名案だと考えた…。 その一環で?女とも手当たり次第に寝てみた。(抱かれてみた) 一時はその日常とは違った新鮮さに感動を覚えた。 今度こそ生きているとも思えた。 しかし、それも束の間だった。 だから、今度はそういう巷の猥雑なるものから一切離れて ≪自然≫と対峙して向き合って生きていこうと考えた。 それで無骨な4WDを買った。 すべて経験してからモノを言う人間になろうじゃないかと・・。 車にしても人生にしても…。 やっぱり俺は天才だ、人生のプロだ、そう考えた。 禅の勉強もした。 生活レベルも贅沢から質素へとシフトダウンもした。 食生活やらの生活習慣から変えてみたら心もどうにか落ち着きを取り戻せた。 進む時間も確かにゆっくりとなった、気がした。 自然の恵みさえ受けていれば俺は幸せなんだ、と考えようとした。 だけど心のどこかでそれもまた違うな、と感じている自分がいた。 紆余曲折しつつの波乱万丈なる人生になってきたな、と考えていた時に 偶然に観た映画の中の彼女に本気で恋心を抱いた。 そうだ、実物、実在するもの、実像を追うから幸せだと感じられないのだ、とやっと分かったぞ、やっぱり俺はきっと悟れる人間だと。 お金や物質に捕らわれない世界に生きよう。 それで今度はその彼女の幻影を追って新しく買った4WDで一人旅に出た。 今度こそ幸せになれそうな気がしていた。 しかし、目的は果たせど…以前より何か更に不幸になった気がした。 ここでまた、以前のオンロードを疾走した時の高らかな官能サウンドが心の中で鳴り響き始めています。 今度は何に乗って何処に行けば良いというのでしょうか?
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>今度は何に乗って何処に行けば良いというのでしょうか? 4WDとかスーパーカーは人生の比喩に感じましたが、貴方は貴方と言う車にしっかりと乗っておられるようですので、それでいいのではないでしょうか。 答えは一生出ないかもしれませんが、途上中人は悩み、トライし、歓喜し、時には挫折もしたりして前へ進むのだと思います。 少なくとも貴方にはその進むパワーが皆様よりあるのですから、心配する事は無いような気がします。 内面の充実は一生のテーマですし、その答えは生きているうちに出たら生きる意味が無い・・・と自分は思っております。 混沌とした今に生きると言う意味は、各自の立ち居地で千差万別。自分の未来は自分でしか創造出来ないし、貴方のバージョンは貴方なりに価値がある事です。
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- toturenzu
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再び失礼します。 そうですか、何を言いたいか理解できませんでしたか。 車なんて走ればいいじゃないか、です。 オン・ロードでもオフ・ロードでも燃費よく故障せず走れば、なんだって充分です。 形にこだわり、価格にこだわり、スタイルにこだわり。 40過ぎなのに、子供みたいなことを言って、なんだか同年代として恥ずかしくなります。 今度は何に乗ろう? 車の車種に合わせて人生変えるなんて、金がありあまってる道楽者の思考です。 道楽に禅の教えなんて持ち込むから話がややこしくなります。 単に禅を勉強したと言いたいだけですよね? 一流の人しか興味が無い? 自慢しに、質問ですか? 世のため、人のために頑張りたいなんて大口叩くなら、一流と思う人以外も見てください。 一流の人なんて全人口の1%にも満たない少数です。 まだ理解頂けないなら、スペースシャトルにでも乗ったらいいんじゃありませんか?
お礼
再度のご回答ありがとうございます。 でも、最近何か嫌なことでもあったのですか? 心配です。。。
自分の意識と心を分けて考え、 自分の意識が求め生じる 自分の心が求め生じるもの 自分の体が求め生じるもの その時々の条件によっていろいろなものが求め生じるものです。 (求めるもの、拒もうとするものを含め求めるものです。) >、目的は果たせど…以前より何か更に不幸になった気がした。 と思うのは、これらのバランスが取れていないからではないでしょうか? 私は禅宗とは違う宗派の仏教徒ですが、禅、禅定とは、落ちつきを持ち、あるがままを受け入れることだと思います。 自尊心が強いと自分の自尊心が傷つくことは受け入れがたく、また、難癖をつけます。 また、物事をよくよく考え、その行く着く末が、どういったものになるのか、幸か、不幸かを考えなければ、一時に幸福と感じることが不幸にもなりかねません。 感情的に、流行的に、流され、物事の幸、不幸、自身の存在、相手の存在を見極められないのが人間かと思います。そのために禅や禅定の意があるのではないかと思います。 徳の高いものが、禅をすれば、多くの真理や道理を悟ることができるかと思います。 しかし、徳の少ないものがすれば、無へ回帰、その無への回帰への願望、それが何も悟ることも、見極めることもなくなるのではないかと思います。 それが苦しんでいるものが側にいても、何も感じない境地のような。そんな人が増えれば社会は乱れるような気がします。 蛇足が多かったですね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 バランス…ですか。 これなのかなー。 自尊心は高いと思います。 自分に難癖を付けることがあるというのも図星です。 厄介な人間のようですね。 幸か不幸か、損か得か、そういった現実的なことを鑑みて生きて きた結果、人生がつまらなくてなってしまったような感がありました。 (打算ですね) それで、今度はそういったことは抜きで生きていこうとしている自分がいるようです。 この試みは上手くいかないんでしょうかね、こういう生き方も結局は…。
- next20
- ベストアンサー率25% (1/4)
質問者様は、やはり、目的をひたむきに追うだけでなく、その手段を大切にすべきです。 車の窓を開ければ自然と対峙できるというのなら、 >だから、今度はそういう巷の猥雑なるものから一切離れて >≪自然≫と対峙して向き合って生きていこうと考えた。 >それで無骨な4WDを買った。 この部分が不明です。 4WDに買い換えずとも、スーパーカーで窓を開ければ、自然と対峙できるはずだからです。 また、禅とは人生の道の途中にあるもの、と説明するのは間違っています。 道(タオ)の思想と仏教は異なるものですし、 禅とは、人生(人の生)を離れ解脱するための修行だからです。 映画の女性に恋をしたというのならば、それは禅の修行が徹底できていない証です。 以上のように、求めるものに対して、その手段がちぐはぐです。 今まで目的を一直線に求める余り、見落としてきたものを、ゆっくりと確認されてはどうでしょうか。 例えば車好きなら車の改造をしてみたり。 生涯の趣味を見つけてみてはいかがでしょう。 それこそが前途多難を解消し、人生の新たな進路を示すものと思います。
お礼
そういう意味ではありません。 >だから、今度はそういう巷の猥雑なるものから一切離れて ≪多くの自然≫に会いに行くのにも容易である道具としての4WDを買ったです。またそういう場所に煌びやかなスーパーカーに乗っていくのは相応しくないから、そのような車を買ったんだな、とは想像が付きませんでしたか。 洞察力がちょっと足りないような気がします。 禅とは解脱する為の修行というのも本などには往々にしてそのように書かれていますが、それでは80点です。 禅とは終わりなき一つの道なのです。 前述通り、常に途上にあるものなのです。 (タオもそういう意味では同じでしょう。) 道元禅師はその証拠に、悟って解脱したにしてもそのまま修行を続けて励めと申して修行僧に訓戒しておられます。 ある有名な高僧も死ぬ間際に遇って「死にとうない。死にとうない。」と言って、周りを驚かせました。 本音でもあると思いますが、敢えてそう言い残して逝ったんなら、彼は相当な役者だと思います。 禅とは、解脱する為にあるんじゃないですよ。常に途上にあるもので 永遠にGOALは無いのです。 多くの皆さんがそのように間違った解釈で受け取られていますが。。 それに私は禅の修行を徹底してやろうとなどと大それた事は考えておりません、貴方と違って? また、趣味も一つの楽しみでしかないと思います。 趣味を極めるのだったら、世の中の役に立つ仕事のほうを極めたい、選びたい気も今更ながらしてきました。 真摯なアドバイスには御礼申し上げます。
- toturenzu
- ベストアンサー率31% (623/2000)
スーパーカーに乗って、スーパーカーに乗っているタイプの人間がしてるであろう生き方をして、違うと思って4WDですか…。 人の人生だから、波乱万丈でも平穏無事でも、お好きな様になさったらいいのでは? これを言っちゃあ、質問立てた意味がありませんね。 車は足より早く走るための道具です。 道具は上手く扱ってこそ、道具も生きる。 道具に翻弄されて、どうするんですか? スーパーカーに乗る男は官能系でなくてはならないって、それは質問者様の妄想でしかありません。 4WDに乗ったのなら、ついでにバイクに乗ってみてはいかがです? 全身で自然を感じられますよ。 もっとジタバタしてください。 違うと思えば次!次に行きましょう。 それにしても何だろう、この違和感は。 主な登場人物が質問者様一人です。 途中の抱いた女も街の人々も、その他大勢でしかありませんね。 機械や学びではなく、人に興味は無いのですか?
お礼
言ってる意味がよく分からないけど、何れにしても、うーん、二流、三流の男には正直興味ないかな。 ジャガイモは泥が付いたままで、枝豆は枝ごと茹でて、ワイルドに頂くと官能的で美味しい。 同じように女も丸ごと頂くと官能的で美味しい。車も人生もきっとそうなんだろう。。。丸ごと戴くしかないのか。
- next20
- ベストアンサー率25% (1/4)
乗り物から降りて、今度は歩いて行くのが良いと思われます。 ご自身で気づいておられるように、人生の醍醐味とは色々な経験をすることです。 しかし質問者様は、どうも極端に走る傾向があるようです。 仕事、遊び、禅、幻影への恋慕……。 それらの目的めがけてひた走るのではなく、道端で様々な者を見聞きすることも大切です。 自動車で路傍の花を轢き潰してしまっても、車を運転していてはそれに気づきません。 禅をし、自動車の旅に出ることで、質問者様は本当に自然と対峙できたでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございます。 動画の中に自分の声が正に「ゴホン』(誤翻?)と入っていました^^; 風邪気味だったんですよね、この日。 でも郊外にでもドライブにでも行けば、気ぐらいは晴れるかなと。。 話は変わりますが、自然とはいつでも瞬時に対峙出来ますよ。 走行中だって、窓を全開にすれば風が舞い込んできます。 それに私は登山もやりますよ、とことん歩きます。 お言葉ですが、禅とは何かをご存じなのでしょうか。 自動車に乗っているからどうとか、禅の精神には全く関係ない話ですよ。 禅とは前途にあるものです、なんて洒落は止めて 禅とは「Being on the road!」(途上にあるもの)即ち転じて道の上にあるというのが相応しい解釈です。 この場合の道は、勿論、人生の道という意味です。 それに因んで車と禅と道と前途多難と旅を総じて相談しております。 どうかご理解を^^
お礼
ご回答ありがとうございます。 確かに、人生の謎を解こうと躍起になっている側面があることは否めません。 これは性向の問題なのかもしれません。 自分バージョンですね、創出出来たら嬉しいです。