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東京大学大学院生 修士論文

残念ながら、東京大学と比べれば神戸大学は偏差値的にはかなり下なのは理解しております。 ちょっと考えてみましたが、同じフィールドと仮定して東京大学大学院生と、神戸大学大学院生の修士論文を著者名を伏せて専門家に読んでもらいます。 そして「どちらの論文が優れているか」と問うと、やはり東大院生のほうが票を得るのでしょうか? オリジナリティ、研究の位置づけ、文章の構成など東大生はやはり文句のつけようが無いのでしょうか?

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  • leo-ultra
  • ベストアンサー率45% (230/504)
回答No.1

差があるのは偏差値でしょう? でも比較するのは研究能力。 勉強する能力と研究する能力はちょっと違います。 > オリジナリティ、研究の位置づけ、文章の構成など東大生はやはり文句のつけようが無いのでしょうか? (笑い) たぶん東大と神戸大50人づつの修士論文を比較して、その総合点数で争ったら東大が勝つと思うけど、神戸大のトップクラスと東大の平均のやつを比べたら、神戸大の勝ちでしょう。(最近、院から東大という学生も多いし。) もうひとつ、この競争は修士だということ。東大の教授はあんまり指導しなくてもなんとかなるけど、神戸大の先生は東大に比べれば、学生をよく指導するのでは。しないと形にならない場合もあるので。 これは東大と神戸大の教授にもいえることだと思いますが、神戸大でトップクラスの研究をやっている先生は、東大の中くらいの先生より断然すごい。

その他の回答 (5)

  • balsa0120
  • ベストアンサー率11% (7/61)
回答No.6

東京大学と神戸大学では偏差値に違いはありますが、どちらも大学院を重視している点では同じです。 理系では圧倒的大差で東大に軍配が上がります。これは研究助成金の兼ね合いもありますし、どうしても旧帝大にはかないません。 しかし、文系であれば、本と紙と鉛筆だけでも、有能な学者になれるので、神戸大等のある一定以上の大学に行っていれば、大丈夫です。 神戸大のトップ層が東大京大に流れるパターンは確かによくあります。しかし、東大のトップ層が海外の大学に流れていることは忘れてはいけません。相対的にはもちろん東大が上ですけれど、面倒見の良さでは神戸大は負けていないと思います。実際、当時、社会人だった、竹中平蔵の論文指導していたのは、神戸大の教授であり、月に何度か東京から神戸まで志望を受けに行っていたようです。 神戸大の中にも、ハーバードやイぇール、オックスフォードで大学院を出た人もいるので、東大であれ、神戸であれ、有能で面倒見の良い先生に指導してもらうことが大切だと思います。最近テレビに出ている同志社の村田教授も神戸大で博士を取っています。 大学院と言っても1,000人くらいは存在するので、ピンリキですよ。

noname#97160
質問者

お礼

皆さん回答ありがうございます

  • riku5550
  • ベストアンサー率11% (5/44)
回答No.5

そんなことは絶対にないですよ 東大にだって、・・・な人も沢山います、論文の質の問題だと思います

noname#111034
noname#111034
回答No.4

修士論文でも優れていれば学会誌(むろん査読つき)に掲載されます。あなたの分野で調べてみれば,それがいちばん実証的な解答になるんじゃないでしょうか。最後の「謝辞」のなかに,「本稿は,○○大学大学院に修士論文として提出したものに,若干の新知見を加えて修正したものである」などと表記されるのが,ふつうだろうと思います(少なくともぼくの分野では)。

noname#160321
noname#160321
回答No.3

#1のお答えが適切でしょう。 神戸大の一番優秀なグループは京大へ行くでしょうし、残るグループの先生は東大と比べて引けを取りません。 >著者名を伏せて 伏せなくても修士の名前なんか誰も知りませんよ。 頭記の様な状況ですので東大の学生のものの方がきびしく赤が入っているとは思いますが、神戸大学の学生のものが箸にも棒にもかからないはずはまず無く、中央値と標準偏差の差でしょう。 >オリジナリティ、研究の位置づけ、文章の構成など東大生はやはり文句のつけようが無いのでしょうか もしそうなら日本は天国。専門家にもピンからキリまで居ますが、「良心的」な専門家がしっかり見るとすると、「まあ、許そう」の率が東大が大きいだけ。

  • negitoro07
  • ベストアンサー率24% (389/1569)
回答No.2

あまり意味がある質問ではありません。 東大は院生を多く抱えていますが、増えすぎているという批判もあります。 東大ブランドの求心力、沢山いれば優秀な学生も出てくるなどの理由で、東大に優秀な人がいることは確かです。 しかし、平均的に優秀かどうかは別です。 また、あなたは学会や論文査読の実情を知らないように思います。 査読の問題は、読み手の好みや研究テーマが大きく影響するということです。 自分となじみのない、あるいは存在意義を疑っているような分野やテーマ、手法を用いた論文を見せられれば、酷評することもあります。でも、その分野や手法を用いる学派にとっては、それなりに意味がある内容かもしれません。 そういう査読を行う場合は、当たり外れを考慮して、複数の査読者を立てます。そのうえで、事務局からも自分の興味や好みで判断しないように注意をするんです。 それでも、その手法が新しく、発展途上の場合は、やはり「この手法だけに頼っては、実証性に欠ける。そのことを無自覚に手法に頼るのはダメだ」と却下されたり、論文より格下の研究ノート扱いにされることもあります。 研究分野にもよりますが、社会科学の場合は、こうした対立が起こりやすい傾向があります。科学を強調するほど仮説や演繹的な方法に陥りがちです。実例研究を重視する人からは、「机の上の空論」として眉つばもので見られます。もちろん、科学を強調する人たちは、「実例研究だけでは科学じゃない」と考えます。 あなたは、こうした問題について、どう考えていますか?

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