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性格について悩んでいます。

性格について、変な考え方で悩んでいます。  多くの方は、生れつきのような、自分の性格というのがあると思います。誰か自分の理想の人物の性格を真似して、なりきっているというという様な事は、ないと思います。  ですが私は、自分の理想の人物の性格を真似すれば、その人のような雰囲気の人になれる、と思っています。そして様々なタイプの人物に憧れ、どの人の真似をするか、一人に決まりません。    そんな考えは止めて、自分の性格でやっていけばいいと言われるのですが、誰の真似でもない自分の性格とはどういうものか、分かりません。理想の人物の性格を真似すれば、その人のように理想の性格になれるのでは、と思ってしまいます。    それなら、誰の真似でもできる、と思い、様々な人に憧れ、誰の真似をするか一人に絞れない、となってしまいます。 本当に変な考え方だと思いますが、どうして間違っているのか、本当に分かりません。 よろしければご回答お願い致します。長文失礼しました。

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回答No.5

質問者さんはおそらく元から許容量が大きい方なのかもしれません。 相手を受け入れようとする許容量が少なければ「真似る」はされないと思いますから、そこを考えると、質問者さんは許容量の大きい方なのではないでしょうか。 ただ。 どこをどうとっても、質問者さん質問者さんだと思いますよ。 人の性格というのは 日々の時間の中、周囲の影響や、出来事によって、少しずつ変わっていってしまうところがあると思うからです。 「学ぶ」は「真似ぶ」とも言うぐらいで、人は成長するのに「真似る」という行為を必ず行っているものです。 仮に自分の性格(自分である性質のことを性格というのであれば、どれも自分の性格でしょうから。)  時に変な質問をしますが。  質問者さんは本当に「真似たい」のでしょうか?  私には「質問者さんがおっしゃられていることが、周囲の人を真似る、という手段を経て、本当のご自身の性格」というのをみつけたい、もっというと「本当の自分らしさをみつけたい」とそうおっしゃられているように聞こえます。    であるのでしたら、真似ぶから、本当の自分の性格というものをみつける、というのも全然いいと思いますし、色々な人を参考にして、本当の自分をみつけるのであれば、まだ真似ぶきれてない、つまり「学びきれてない」のだと思います。    沢山の人から学んで、本当の自分をみつけることを、無意識的にされておられるのでしたら、敢えて、誰の真似をするか1人に絞る必要はないものだと私は思います。    また言い換えてみれば  「相手を真似、学んで、自分を成長させて理想に近づけていくのが質問者さんの性格」とも言えると思いますよ。    普通の人、という定義があるかはわかりませんが  「そこまで真似にこだわる人が仮に少ない」のだとすれば、それは質問者さんの個性でもあり、同時に「それこそが誰の真似でもない、質問者さんの性格」だと思います。    変な話ですが  「相手に合わせるのも真似るのもまた才能です」    特別抜き出た個性をもちつつ産まれた人もいれば、また  真似て、学んでいくことを主とした人が産まれる、ということも、可笑しくはない話だと思いますから。    「個性の無いことが個性である」ということもありえるということです。    そしてそれがその人の性格ということもあるということです。  正確には「真似る」ということで「真似て、学ぶという個性が隠れてしまっているだけ」であって、実際は「真似て、学ぶ、ということが、個性である」と取れますからね。    その人に産まれもって備わった性質、だからそれを個性と呼ぶのであれば、まさに質問者さんの今の「真似て、学びたいとされるそここそ」が個性であり、質問者さんの性格なのだと思いますよ。    その「個性が無い」と思われているのでしたら、私からみた質問者さんの質問内容こそがまさに「個性である」とそうお伝えさせていただきたかったので。   何か参考になりましたら幸いです。  また質問者さんは特別探されなくても、すでにちゃんと個性をお持ちですよ。 恐らく気付かれていなかっただけです。

xxyou01xx
質問者

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その他の回答 (4)

noname#132831
noname#132831
回答No.4

 人気者になりたいからといって、僕がキムタクの真似をしたって木村拓哉と同じように周りは扱ってくれないでしょう。それなら自分に似つかわしい人気者の在り方を探すしかありません。人に説教をする立場でもないのに、説教の上手い人を見習っても仕方がありません。お金持ちでもないのにブランド品に詳しくなっても仕方がありません。知識もないのに情報提供パターンのしゃべり口調になっても仕方ありません。本当は神経質なのに、無理しておおらかな人物を装っても疲れるだけです。「負担にならないことしかしない」でいれば、おのずと自分らしくなりますよ、きっと^^。  「師を見るな、師が見ているものを見よ」という言葉があります。技芸の伝承において、表面上の師の仕草を真似るのではなく、その奥にある理念のようなものを見据えなければ本当に学んだことにはならないというような意味でしょうか。  「なりたい人物になる」。そうであるなら、大いに結構なことです。しかし、「他人から○○と思われる人物になる」(たとえば「陽気な人物と思われたい」とか「堂々としているように見られたい」)というのでしたら、少しずれています。陽気でなくても、堂々としていなくても、ひとから認められる在り方はあります。無理をせず自分に合った方法を探すほうが楽でしょう。    http://www.f5.dion.ne.jp/~with/seikaku.htm 性格の変え方  「他人を満足させる」ことに目を奪われて、「自分を満足させる」ことを怠っていないでしょうか。自分を満足させずして、何が己の人生ぞ。    http://www.counselingservice.jp/lecture/lec265-4.html 「自分らしさ」の出し方・活かし方  本当にやさしい人は、「嫌われたくない」から優しいのではなく、思いやりや愛があるのです。行動を真似るのではなく、その奥にあるものを真似たいものですよね。

参考URL:
http://www.h5.dion.ne.jp/~fleur/essay2005-7.htm
xxyou01xx
質問者

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  • youchan37
  • ベストアンサー率37% (248/669)
回答No.3

貴方の年齢にもよると思いますが、様々な人の真似をするのは良いことですし、 程度の違いはあるでしょうが、大体どんな人でもそういうことをやっているものですよ。 例えば地方から東京に移り住みますよね。すると言葉が変わる人は多いものです。 方言とかイントネーションの違いなどを変えて、東京弁っぽくするのです(笑)。 大体の人がそうです。私もそうでした。但し中には頑固に方言で押し通す人もいます。 それはそれで各人の個性ですから、良いも悪いもないでしょう。 それから芸術家などの関係の人は、まずは真似です。ひたすら先人の真似をします。 沢山の人の真似をして、そしてどーしても真似できないところとか、 或いは真似したくないところとか、そんなものを見出しつつ、「他の誰でもない自分」 を創り上げるのです。 ですから貴方のやり方が、一概に「間違っている」ということはないと思いますよ。 但し、やはり一番大事なのは自分らしさです。それを探すために、様々な人の真似をするのです。 本当の自分を見つけることが「目的」であり、真似するのはそのための「手段」です。 そこを間違わないようにしさえすれば、真似するのは良いことだと思います。 >理想の人物の性格を真似すれば、その人のように理想の性格になれるのでは、 なかなかそう簡単なものではないはずです。 誰かとそっくりの性格になることは、できません。いくら真似をしても不可能です。 まぁ趣味とかエンターテイメント的に、「プレスリーのそっくりさん」とか、 そんなモノなら良いですが。 どこかの質問で、マドンナみたいになりたいと仰っていた方がいらっしゃいました。 あまり詳しくは知らないのですが、マドンナは幼児期、実父から虐待を受けていたようです。 マドンナになろうとしたら、タイムマシンで自分の幼児期まで遡って、同じ体験をしなければなりません。 自身が同じような経験をしないと、到底マドンナの本当の気持ちも分からないだろうし、 増してやマドンナになることはできません。 憧れる気持ちはよく分かるつもりです。私も若い頃は、そんな気持ちがありました。 しかし無理です。無駄です。本当の自分でいるしかありません。 どうか貴方も、早く本当の自分を見つけて下さい。 勿論これから変わっていく部分も沢山あるでしょう。 しかし、決して変わらない、そして変える必要もない部分も、必ずあるはずです。 それを探すために、時には誰かの真似をするのです。それは手段です。目的にしてはいけません。

xxyou01xx
質問者

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  • heyboy
  • ベストアンサー率21% (1852/8731)
回答No.2

なんとなく俳優とかに似ているような? 結論から言えば他の人に成りきれるのは不可能かな それに特定な人を真似するのも難しいし つーか、ある人のある部分だけ真似すれば いいと思いますし別にそれが多数の人数でも 全然問題ないでしょう 要は自分自身の価値観との戦いですかね それに貴方の考え方が間違った方向に向いても 危害が加えない限りには他人は文句は言いません まあ、真似から他人の性格を分析するのも 悪い事ではないし しっかり出来るようになれば貴方の 特徴の一部にもなる事でしょう くどいですが特定して絞る以外の 切り口も可能性の一つとお考えください。

xxyou01xx
質問者

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  • unjyama
  • ベストアンサー率52% (10/19)
回答No.1

こんばんは。 ご質問者様の年齢が記載されていないので、文面からの推測ですが中学生若しくは高校生でしょうか? >多くの方は、生れつきのような、自分の性格というのがあると思います。 ・・・生まれながらの性格って、実はないのではないと思いますよ。生活している中で、どんな環境で育ち、どんな養育者(主に両親)の影響を受け、友人や教師などを含む自分を取り巻く環境の中で「性格」は形成されていくのではないかと思います。 「アイデンティティ」って言葉を時々聞きませんか?まさしく『自我の同一性』・・・これが私だ!!・・・ということを確立するのです。 ご質問者様は、まだ「私って何?」ってところで悩み、色んな人の真似をして自分の一部として取り込もうとされているのでしょう(同一化) でも、人の真似をしても何か違うと感じて、誰の真似をすればしっくりとくるのかが分からないというところでしょうか? 人には発達する段階があります。(思春期とか青年期とか)年齢によって一応の目処がありますが、あくまでも個人差はあります。お友達がそれぞれ「自分」というものを持っていても、これからご質問者様自身も「これが私なんだ」と受け止められる時期がきっと来ると思いますので、あせらなくても良いと思いますよ! それまで人の真似をすることだって、私は悪いことだとは思いませんが・・・。(人によっては分かりませんがね) だって、自分を見つけるためのあなたなりの手段でしょ? 気休め程度の回答しか出来ませんが、是非「成長の過程」としてこれも個性だと、少し息を抜いて考えてみてくださいね。

xxyou01xx
質問者

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