>不快に思われないか >こういう患者は重たいと思われはしないだろうか
貴方様の この「相手よりご自分の方が悪いのでは」と感じがちなお言葉を拝見すると、
失礼ながら、やはり欝の傾向を感じます。但し欝が主なのかは分かりません。
又、ざっとお礼文を拝見した限りでは、几帳面(神経質)な方だな、とも感じますし、
実にしっかりされている方だな、とも感じます。
ACについて触れられていらっしゃいますが、これを「パーソナリティ障害」に置き換えても、
殆ど何ら支障はないです。パーソナリティ障害は正規の学問として成り立っていますから、
まぁ保険制度等の関係もあり、数は少ないでしょうが、パーソナリティ障害として
正規の治療を受けることもできます。
それはつまり日本では「犬」と呼ぶが英語圏では「dog」と呼ぶ違いのようなものであり、
元々の対象そのものは、同じものだということです。
又、貴方様なら専門書などをご自分で読むことで、改善・解決に向かうこともできるのでは、と感じます。
但し実践するとなれば、やはり一度医師に相談してから、ということを念のため申し添えます。
それで、私自身のパーソナリティ障害の克服を振り返ってみると、幾つか大きな転機があったのですが、
その一つは「親を客観視する心が大きく育った」ということなのです。
親は誰にとっても「特別な存在」であります。しかし「悪しき特別視」という部分があったりもします。
だからまずは「特別視」するその心を消し去ってしまって、それから「客観視」できる心を育てようとする。
でもそれは間違いだったです。
そうではなくて、それはそれとして、それとは別に「客観視」する心を育てるのです。
親は特別な存在だという心がありながら、一方では、例えば電車に乗って親と同年代の人々を見れば、
「自分の親もあの中の一人なんだ」という、親を客観視した心もあるのです。二つあるのです。
それは煎じ詰めれば、「親も又長所も短所もある一人の人間なんだ」と、理解できる心です。
親を許している。親を卒業しているのです。
すると、自分と自分以外の人間との境界線がハッキリしてくるのです。
たとえ精神分析の治療を行わずとも、どうしても精神科の医師と患者の間には、
フロイトで云えば「転移」ということが起きがちです。コフートの自己対象も同じだと思います。
ですから基本的に精神科の医師は、それに気を使うべきなのですが、大変失礼ではありますが、
そこを考えるとこの主治医の先生には、もう少し しっかりして欲しいな、と思うものです。
だって貴方は今このようなことで悩んでいるのですから。これは医師側にも責任があるはずです。
更に言えば、結局は完璧な人間などいないのです。だから完璧な親も又いない。
よって誰の心も、親との関係によって自己愛に大なり小なりの傷があるものです。
そして心の問題を抱えた人は、多くの場合この心の傷が大きいはずなのです。診断名に関わらず、です。
同じ遺伝子を持った一卵性双生児が、別々の親に育てられた。
すると方や遺伝子的要素も含む神経症等が発現し、もう一人には発現しないというケースが往々にしてあると。
これは統計的に確認されていることなのです。
パーソナリティ障害においては、その原因の最たるものとして「親との関係において自己愛が傷つくこと」
を挙げています。…お分かりですよね。
つまりはこの主治医も完璧な人間であるはずはないのです。でもそれを受け入れることができる。
そうなれば、貴方の心の問題はより改善・解決に向かったと言えるはずなのです。
どうしても心の問題を抱えた人の多くは、双極的・二極的になりがちなのです。
相手に神様を求めてしまう。それで何か少しでも問題を見つけると、まるでダメだと感じてしまう。
或いは又、その「ダメの対象」を自分に向けてしまう。
それではいけないのです。誰にでも良いところも悪いところもあるのです。貴方様も私も主治医も親も…です。
そしてそれを、そのまま受け入れることができるか、なのです。
私の心の中の「親」が変化したように、貴方様の心の中の「主治医」も変化すれば良いな、と。
私はそう思っています。
お礼
ご回答ありがとうございました。 気にかかっていたことがすっきりしました。 また克服された貴重な経験からのアドバイスありがとうございます。 私自身、乗り越えなければならない問題そのものであったので本当に参考になりました。 親切にひとつひとつわかり易くお答え下さったこと心よりお礼いたします。