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苦しみの境界線を越えて、無に至ってしまったとき
最近、自分で人生を終えることに対する、自分や周囲への罪悪感、 申し訳なさなどからくる抵抗感が消えつつあります。 本人がそこまでして選んだ選択なのだから、もう仕方ないんじゃないか と思うようになりました。 苦しみから楽になる一つの方法ではないか、と。。 少し前までは、生来のうつ気質に加え、慢性化した気分障害が 悪くなっていたのか、生きているのがしんどくて仕方ありません でした。本当は今もまだ苦しんでいるとは思うのですが、 日々、ベッドに横になりながら考えていたら、 死を選ぶことは悪いことばっかりじゃないのでは、と 突き抜けてしまったのです。 十分、治療にも努力してきました。 遠い県の信頼出来る長い付き合いのお医者さんに、 十年近くお世話になりました。 でも、外科的な手術で治るものでもないし、 気の持ちようといっても、年老いるまでこの鬱を持ち続けるのは、 やっぱり疲れます。。 他人すべてに、事情を詳細に説明出来るわけもなく、 だから他人は勝手なことを言う。責められるし、甘えだと言われたり もする。 前向きに楽しく考えるようにと言われても、もう映画とか旅行 とか、楽しかったことも面倒で、ハードルが高いんです。。 何を相談したいのか、自分でもよくわからなくなってきてしまって 読みづらい文章ですみません。 同様に悩む人や、同様に突き抜けてしまって今後について考えて いる人など、何か書いてもらえたらうれしいです。 よろしくお願いします。
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お礼
ご回答ありがとうございます。 そうなんです・・・ 別に死ぬことになっても、いいや、、と思えて これが開き直りなのか、いい加減なのか わからないんですが、虚飾が見えてくる、というか 仕方ないじゃん!って思えるようになりましたね。。 今は、何とかわかってもらおうと言葉を尽くしたりしましたが、 完全に他人に理解してもらうのも、そんな簡単じゃないって わかりました。あとはもう、今後の生き方姿勢などで だいたいわかってもらうのがいいかな、と。 もっと悲惨な境遇でも毎日を生きておられる方はいます。 生産能力のない自分は消えてもいいと思っていましたが、 何かしらの形で、これでも人の役に立ちたいと思います。