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大学工学部の成績の付け方がいいかげんに思うのですが
私は工学部の電気系学科に所属する大学生なのですが、大学の講義について疑問に思うことがあります。 私の学科の専門科目のテストは問題自体はしっかり作ってあるのですが、問題が毎年似たようなものばかりなので、過去問題さえあれば簡単に解けます。またレポートにいたっては毎年まったく同じ課題が出されるので、解答さえ手に入れればコピーで満点が取れてしまいます。大体テスト:レポートの配点が70:30で合計60以上で合格なので、過去問さえ手に入れば簡単に優が取れます。逆に過去問がないと単位取ること事態、結構しんどいです。 こういう状況ですともはや、成績の評定は学力のものさしとして機能していないのではないかと疑問に思います。馬鹿でも過去門さえ手に入れば成績優秀者になれるのですから。 一応私の大学は国立で学科全体がJABEE認定を受けているのですが、それでこのありさまなのですから、うちより下の大学の成績はもっと当てにならないのではないかと思うのですがどうなのでしょうか? また理系の場合、文系と異なり学業成績もかなりのウェイトを占めると聞いたのですが、こんないいかげんな評定でも、企業の方は鵜呑みして評価してるんでしょうか?
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質問者が選んだベストアンサー
大学の状態は、前の回答者(専門家)が書かれている状況が事実と思います。大学は教育と研究と言われますが、大学の将来に不安を感じます。質問者様の心配はもっともです。東京大学の教育目標の中のいろいろな力を意識しながら、自分で勉強し、身につけるしかないと思います。卒業後役に立ち、評価されるのは知識よりもこのような力と人格です。 東京大学の教育目標には次のように書かれています。 「東京大学は、東京大学で学ぶに相応しい資質を有するすべての者に門戸を開き、広い視野を有するとともに高度の専門的知識と理解力、洞察力、実践力、想像力を兼ね備え、・・・・、世界最高水準の教育を追求する。」 試験で分かるのは専門的知識、理解力であって、他の事項を身につける教育が重要です。就職して役立つのはこの点であると思います。現状では「勝手に身につけてください」です。お客さん(学生)に対してどのような教育をするのか、大学人は認識していないのが実情です。 定員の確保で、AO、推薦入学、入学試験でその大学のレベルに達しない学生を入学させて、「学生のレベルが低くなっているから・・・」、「留年が多くなるから・・・」、「教員は忙しいから・・」と専門家が言うのは無責任ではないかと思います。「何とかしてよ」と言いたいです。特に地方から都会の大学に入ると卒業までに約1千万円程度の教育費が必要となり、金を出すスポンサーからすると納得できないことです。 過去問の問題は、4,5年分の試験問題を準備すれば防げることです。理解させたいことについて見方を変えればいくつもの問題は作れるはずです。問題が分かっていれば勉強しなくなるのは当たり前です。意欲のある学生もダメになります。教育に対する評価が無いのも原因の一つですが、怠慢がほとんどで、学生のレベルの低下は、教官、教員のレベルの低下に影響を及ぼします。すでに兆候は出ていると思います。日本学術会議の定義で研究成果とは、研究論文が世界の他の研究者から引用されている数と特許数ですが、教育もきちんとしない、論文数を増やすだけで研究の成果も上げられない教官、教員は何をしているのでしょう。
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- gn_drive
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日本は偏差値社会なので大学の入学試験で厳しく選別されているので、それで十分です。そして卒業するまでに大学内でそれなりの評価で優劣がつけられるのですから、それで良いんではありませんか。 大学での試験問題は最低限覚えて欲しいことばかりですが、毎回変えて難易度を上げたら合格点取れる学生が居なくなってしまい、留年生だらけになってしまいますよ。 ただあなたが心配するとおりJABEE認定学科を卒業して技術士になる人のレベルが落ちてきて、それに併せて技術士の一次試験レベルが落ちてきているのも事実です。
試験と言うものは、本来、そのときに学んだことの中で特に重要な事項から出題されるのが本筋だと思います。また、講義に関しても重要なことから教えるべきであると思います。だとすれば必然的に似たような問題になってしまいます。 入学試験のような選別を目的とした試験ならいざ知らず、評価のための試験であれば、重箱の隅をつつくような難問奇問を出題するよりもはるかに教育的だと思います。 >また理系の場合、文系と異なり学業成績もかなりのウェイトを占めると聞いたのですが、・・・ その認識は正しくありません。単なる点取り虫で無能な学生は選抜の過程で無能ぶりを露呈してしまいます。そもそも、理系で専門能力を必要とする職に就くのであれば大学院まででていることが求められ、通常、大学院の成績は全優が普通です。なので、学部時代の成績が問題になるのは、きわめて成績が悪い場合のみです。
No.1の方(たぶん私と同業者)の方の回答でいいかと思います。 付け加えるなら,「教育そっちのけの教員は理系に多い。」 および,「成績評価方法がどうだろうと,自分がちゃんと勉強して何かを得ればいいでしょう?」 >うちより下の大学の成績はもっと当てにならないのではないか それは余計なお世話というものです。
- bullet_5
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まず過去問について。 問題傾向がいつも一緒、というのは教員の手抜きという見方もできますが 一方でテストに出ること、レポートの課題にすることは 教員が学生に対して「これだけは学んでおいてほしい」と考えていることでもあります。 ですので、問題がいつも同じ=ダメ とは言い切れません。 余談ですが、私が大学生だった時には、試験二週間前に20問ほど問題が乗ったプリントを渡し 「このなかから5問出題する」と宣言した先生がいました。 次に、学校の成績はあてになるかですが 実はそもそも成績表を要求しない企業がかなり多いです。 質問者様がお考えの通り、大学の評定なんてあてになりませんから。 理系の場合は主に大学名と研究内容で学力を判断することになります。
二つの原因があります。 1.法人化:国(公)立大学が法人化され、その「評価」が三-四年毎に行われます。その時の評価基準が専ら、論文数、特許数、企業との連携件数です。 専ら最先端のテーマでの評価になりますから教員は大学院の「予算獲得」、「論文作成」、「成果の広報」に忙殺されます。 結果、学部の授業、特に入門程度の授業の向上に時間を割ける、「教育」に有能な教員は「評価」されません。 2.少子化、受験産業の弊害:なにしろ、真面目に高校の過程の勉強が身についている学生が少なすぎます。はっきり言って、まともな試験問題を出したら半数が追試か留年か。 追試には全く違う問題を考えなくてはなりません。半数留年したら社会問題になります。仕方がないので、教養程度の試験は易しくします。 でもおかげで専門課程に入ったらぼろぼろ落ちこぼれだらけ、理系の学生が修士まで行かなきゃならない現状の半分は学生の質が低いから。