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家庭環境は言い訳ですか?
大阪の橋本知事が家庭の事情で進学できない高校生などの相手に「人生は自己責任で、環境を言い訳にしてはいけない」みたいな話をしていました。 橋本知事自体が、シングルマザーの家庭だったのにも関わらず、ハングリー精神を武器に弁護士・知事までにのし上った人間だからこそ、「うだうだ弱音言ってる暇があったら努力しろ」という気持ちだったと思います やはり、環境を言い訳にしようとする時点でその人の資質が負け組体質なんでしょうか?
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橋本知事と高校生の意見交換をYoutubeで見ようと思ったら削除されていたので、 その全貌はわからない。しかし、分かる範囲で言うと橋本知事は以下の点で間違っている。 1.努力万能主義の誤り 努力は大切だ、しかし万能ではない。しょせん人間のやることだから限りがある。 早い話、柔道の大天才がいくら努力してもボクシングの世界王者にはなれない。 貧乏な家庭の子は医学部に入れない。入るだけの成績があっても収入がないからだ。 2.いいものには金がかかる、の誤り いいものを安く提供するのが商人の仕事であり、これは行政も変わりない。 3.両足を縛っておいて「走れ!」と言う誤り 金のない家庭の子どもも私学に通える機会を与えるのが私学助成。 それを減額しておいて努力でカヴァーしろというのは 両足を縛っておいて「走れ!」と言うに等しい。 私学が無理なら公立で我慢しろ、という批判は成立しない。 そもそも公立にないものを求める人が私学を志望するものだからだ。 4.自己責任論の誤り 福祉関係の質問に対する回答で何度か書かせてもらったことだが、 「貧乏なのは自己責任」という見解は1世紀以上前のイギリスで 実施された調査で既に否定されている。しかもその調査は元々 「貧乏なのは自己責任」という見解を裏付けるために開始されたものだが、 いざ調べてみると貧乏は社会的な要因の方が大きく働いているという 結論が出たのだ。これは社会福祉の歴史を少し調べたらすぐ分かる 基礎的な事項である(ラウントリーのヨーク調査、ブースのロンドン調査)。 もちろん家庭環境を言い訳にして、できるはずの努力をしてない人もいるだろう。 それは非難されるべきだ。しかし、短絡的に自己責任で片付けるのは それ以上に大きな誤りだ。増してや行政側の人間がこれを言うのは 職務放棄に等しい。自己責任や努力で全てを片付けてしまえば 行政にとってこれほど楽なことはないからだ。
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- dell_OK
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負け組体質の感は否めない。 質問者様が書かれている橋本知事の気持ちについて、もしその通りだったとしたら、橋本知事はシングルマザーの家庭と言う環境を理由にのし上がった、のだから、これも環境を言い訳(=理由)にしていると言える。 環境ならざればそうはならなかったのかも知れないのなら、その橋本知事は何か考え違いをしているような気がします。 単純に、環境は関係なく、自分の意思(これを環境に含めないとして)で自分の人生を自分の歩みたいように歩む、と言っているのなら、さほど問題でもない。 でもまあ、自分が劣悪な環境にあって、どうにもなりそうにないほど絶望するようなら、言い訳と言うよりも、いたしかたないとしか言えないと思う。 ついでに、負け組体質で何か問題があるのかどうか私にはわかりません。
- asyanty
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確かにその通りで間違ってはいないと思います。 ろくに努力もせずに何でも環境のせい人のせいにする者は卑怯でみみっちいと言っていいでしょうね。 けれどそれを極端な主張とするようになってはいけないですよね。 例えば、橋本知事が「自分は努力したから弁護士・知事になれた。だから同じように出来ない人間は努力が足りない。努力さえすればどうにでもなる!」とか言い出したら、それは大間違いで全力で反論するし非難もすると思います。(まあ、そんな事は言わないでしょうけど) 以前、やる気さえあればどうにでもなるものだと主張しながら、出来ない者を見下しているとしか思えない主張をする者がいました。 経済的な理由があっても、成績がある程度よければ、今のご時勢でも奨学金を受けることができ、防衛大学校のようにお金のかからないところもあるから言い訳に過ぎない。 また、正社員になれず、非正規社員になるのも嫌なら、自分で起業すればよいだけのことだと。 これも、言い方は厭味ったらしく差別的だけど、もっともと言えない事もないでしょう…が、どう努力しようがどうにもならない者だっているのです。 自分が出来るからといって、いくら頑張ってもテストで50点程度がやっとの能力の者に向かって「努力が足りないからだ、バカめ!」とか、努力でどうにかならない身体の弱い者に向かって「そんな事も出来ないのは努力が足りないからだ、出来損ないめ!」と、そういっているようなものだと、立場の違う人に対するあまりの配慮のなさ、無神経かつ驕った主張に強く憤りを感じました。 もちろん努力は大切だし、努力もせずに常に何かのせいにする者は最低です。 でも、なんにしても、ほどほどが大切だと思っています。 ちなみに、負け組勝ち組って言い回しは、出現当初から好きじゃないですね。 勝ちだ負けだと白黒付けなきゃ気が済まないとか優越感に浸りたいなんて浅ましい感じがします。
- chitani
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多分橋本知事が言いたかったのは、生活環境を言い訳にして努力を放棄するなという事だと思います。 橋本知事に噛み付いている学生の言い分は、甘えととれるものばかりです。 雨の中自転車で学校に通っているのにとか、公立に受からなくて私立に来るしかなかったとか、当たり前の事をさも自分は不幸だと言いた気に声高に主張するから、そうじゃないだろうと仰ったのではないでしょうか。 本当に勉強したかったら奨学金だって取れるし、しばらく働いた後高校に入り直す事だってできます。 そういう事をひとまとめにして「自己責任」「環境」という言葉に込めたのではないでしょうか。 本当に成功する人、勝ち組の人は他人になんとかしてもらおうと考える前に、自分がすべき事をきちんとできるから勝ち組になれるんだと思いますよ。
確かに、劣悪な環境にあっても、すばらしい業績を残す人はいる。反対に、恵まれた環境にありながら、まったくぱっとしない人というのもいる。だから、「環境が悪いというのはいいわけだ」というのは、一面、正しいところはある。が、あくまで「一面は」だ。すべてじゃない。 実際問題として、環境と教育、そして就職、収入といったものがかなりはっきりした相関関係にあるのは事実だ。東京大学の生徒の親の中で、年収300万以下の人間はいない。高収入の親の子は高い教育を受け高学歴となりいい就職口を見つけ高収入になる。低収入の親の子は低い教育しか受けられず低賃金の仕事にしかつけない。そういう傾向があることは確かだ。 「環境を言い訳にせず努力すればきっと成功する」というのは、言葉としては悪くはないが、それを「こうした負のスパイラルに陥ってしまいがちな人々を救済すべき立場にいる人間」が口にすべき言葉だろうかね? ふと気がつけば「環境が悪くて底辺から抜け出せない人間は、努力してそこから抜け出そうとしないだめな人間だ。だからそんな人間を税金で救済する必要なんてないんだ」と聞こえてしまうのは、オレだけだろうかね。 なあ。人間は、「努力して成功しなくちゃダメ」なのか? 恵まれない環境にいる人間は、恵まれた環境にいる人間より努力するのが当たり前なのか? 別に「努力しなくていい世の中がいい」といっちゃいないさ。が、せめて「恵まれた環境にいても、そうでなくとも、同じ努力をすれば同じだけの恩恵を受けられる」社会であってしかるべきじゃないのかね? 恵まれた環境に育った人間は、ちょっと努力すれば成功する。劣悪な環境に育った人間は、猛烈な努力をしないと成功しない。が、これを「猛烈な努力をすれば成功するんだ、なぜそれをしないんだ?」といわれると、カチンとくる。確かにあんたは成功した人間だろう、だがだからといって「成功できなかった人間」をすべてひとまとめにして「努力しないから」と切り捨てるのは正しいのかね?とな。 「環境を言い訳にしている」というのは、確かにいいことじゃないさ。だが一人ひとりにそれぞれの事情があるんだ。十把ひとからげに「そういうやつはみんなこうだ」と断定する、それも自治体の長たる人間が。暗澹たる気分だなオレは。
- born1960
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人は生まれてくる親を、環境を選ぶことは出来ません。 生まれた時点ですでに「差」があるのは現実です。 仮に片親であったとして、両親がそろっている家庭よりも収入があったとしても、生活が楽だったとしても、その人は「片親」であることをコンプレックスに感じるかもしれません。 コンプレックスを感じた時点で「負け組体質」なのかもしれませんね。しかしそう切り捨ててしまうのもかわいそうです。最初に書いたように人は生まれてくる親を、環境を選ぶことは出来ないので。
- dexi
- ベストアンサー率14% (318/2128)
環境を言い訳にして、なにもしない人は そう言わざるをえないでしょう。 例えば行政に相談する。 例えば学校に相談する。 例えばネットで調べてみる。 例えば親戚に相談する。 打開できるかどうかは別として できることをやらずに諦めればそう言われても仕方ありません。 なんなら橋本知事に打開策を聞きに行っても良いのです。 直接おしえてくれるかはわかりませんが、 何かしらの方向性を示してくれることでしょう。 なにもできないと思いこみ、環境を言い訳にすることは ダメだと言いたかったのではないでしょうか。