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萌え系アニメを観ている人の心理とは
- 萌え系アニメを観ている男性は、作中のキャラクターによって自分の理想を投影し、非現実的な恋愛や性的興奮を楽しんでいます。しかし、一部の人はその内容に違和感を覚え、自分自身を恥ずかしいと感じることもあります。
- 萌え系アニメは男性の劣情や性欲を煽る要素があり、自己愛を満足させる作品として視聴されています。しかしこのような作品を観ている男性は、その非現実的な内容や性的な描写に疑問を持つこともあります。
- 萌え系アニメを観ている人は、作品を楽しむ一方で、自分自身を恥ずかしいと思うこともあります。社会的な視点から見ると、萌え系アニメは一部の人にとってはマイナーなジャンルであり、それを観ることに対して抵抗感や違和感を抱くことがあるためです。
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質問者が選んだベストアンサー
どうしても気になったのと答えが明らかなので答えさせていただきます。 「らき☆すた」を見てそういう風に感じたのは仕方がないかな、と思います。 「らき☆すた」を連載している雑誌は角川書店出版の「コンプティーク」という雑誌なのですが、この雑誌は漫画も連載しているんですけどどっちかといえばジャンル的にギャルゲー情報誌で、メインはエロゲ情報なんですよね。漫画もほとんどがエロゲのコミカライズなんです。というかオリジナルは「らき☆すた」ぐらいです。最近、投稿作品で人気が高かったものも連載開始されましたが。(コンプティークは全年齢向けですのでゲーム紹介の画像でもきわどいものはあっても明らかにアウトなのは載っていません。他のギャルゲー雑誌だいたいは平気で載っています。ですがコンプティークは全年齢向けのゲームの紹介もあります。角川系ですので他の角川誌の宣伝もあります。) つまりエロゲを買う人向け、そういう人が受けるように作られた漫画なんです。(以降「読者」はコンプティークの読者) キャラもゲームのよくあるヒロインのタイプぽく性格づけていたり(読者にウケる性格を考えると自然にそうなるのかな)、読者が共感できるあるあるネタも多いんですよ。 恋愛が入っていないということでしたが、ゆるさを売りにしてたり、日常系の漫画でしかも4コマだと恋愛を入れるのは難しいのではないかと思います。(入れるとシリアスになったり生々しくなったり、4コマ目でいちいちオチを入れるのが大変、なにより恋愛は同誌のほかの漫画がカバーしているので恋愛を売りにするのは難しい。さらに「らき☆すた」の場合は同誌のほかの漫画がカバーしているので雑誌側からすればむしろ恋愛以外をカバーする漫画が求められる)。 ほかの普通の漫画雑誌の同系統の漫画においても 「みなみけ」(非4コマだがページ短く、ゆるさ売り)では恋愛が入っていますがそれをネタ(ゆるいギャグ)として扱っていますし、「ひだまりスケッチ」(4コマ、日常系)は恋愛の話が出たりはしますがメインキャラが恋愛することはなく、日常のほんわかするようなネタで構成されています。 男性に変換しても違和感がないことについてですが、 実際の女子高生と性格が性格がかけ離れていることとも関係してきます。 乙女ゲーム、BLゲームと呼ばれるものを知っていますか? 乙女ゲームはギャルゲーの性別を逆転させたものです(主人公の女の子が男の子を攻略するゲーム)。BL(ボーイズラブ)ゲームは主人公も男で攻略対象も男のゲームです。 はっきり言ってギャルゲーの性別を変えただけ(女性向け恋愛アドベンチャーゲームですから当然ですが)で、色々なタイプの攻略対象が出るということは変わりありません。そして攻略対象が複数存在する恋愛アドベンチャーゲームは、キャラの差別化が重要です。同じ様なキャラばっかりはまずいですから(双子が出ても性格は正反対)。複数のキャラが特徴的、個性的でそれぞれがはっきりしていてなおかつ魅力的でないといけません。 要するに「王子様(お嬢様)」的キャラが必要なんです。そして『「王子様」に負けなくて「王子様」とは明らかに違うキャラ』が必要です。さらに[「王子様」に負けなくてなおかつ他の「王子さまに負けなくて「王子様」とは明らかに違うキャラ」にも負けなくてなおかつそのキャラとも明らかに違うキャラ]が3人は必要です。そんなキャラ達が普遍的なはずがありません。となると当然普通の人とはかけ離れた性格になります。 それを追及しているうちに恋愛アドベンチャーゲームとそのキャラの性格(属性なるもの)が確立していきました。性別が違っても性質が同じなら同じことです。 従って「らき☆すた」のキャラが性別が逆転しても違和感がないのはここらへんが関係していると思います。 これでギャルゲーのヒロインの性格やそれをモデルにした「らき☆すた」のキャラが普通の女子高生とは違うことも説明できます。 ですが、男がいてもコンプティークでは受けません(女性読者もいますが)。恋愛しないのに男性向け雑誌に男は必要ありません。 これら今までのことを総合すると「らき☆すた」の様になるのは必然だと思います。 女性のオタク向け雑誌やBL雑誌では4コマ漫画はゆるい漫画はあるかどうかわかりません。(さすがに守備範囲外ですので、強いて言えば「ヘタリア Axis Powers」が思いつきますがネットの個人サイト原作です。) ですが似たり寄ったりになる気がします。オタクの男女の割合が違いますし、そういうのは二次創作の同人誌(既存のゲームなどのキャラで一般人がオリジナルの話を作った本。これに関しては女性の勢いも負けてないです。)がカバーしているかと思います。 ちなみに萌え系の絵柄についてですが、 人間は根本的に目が大きくて顔が小さく丸っぽいキャラを可愛く思う習性があります。なぜなら赤ちゃんに愛情を抱けるようにするためです。 目が大きい小動物、とくにその子供がかわいく感じるのも同じ理由です。 「ちゃお」や「なかよし」、「りぼん」といった少女マンガは主人公や友達はほとんどが少女ですからキャラはかわいいほうがいいですよね? 恋愛をするヒロインはかわいいほうがいいですよね? 実物ではなく自分で顔を描ける「絵」という媒体なのですから当然かわいいならかわいいだけかわいいほうがいいです。そして同じ人間が描くのですから似ます。 後は、少女漫画の女の子よりギャルゲーのヒロインのほうが年齢は上ですから幼さや体格を調整するだけです。 実際の人間は子供の時だけ母性を抱かせればいいのですから大人になるにつれ「顔に対する目の割合」「頭に対する顔の割合」が小さくなります。 少女マンガは目の方が目の下の顔より大きいことがありますが、ギャルゲーでは目:目の下の顔は1:2かせいぜい同じぐらいです。それで幼さの調整ができます。あとは体を大きく女性的にすれば体格を変えることができます。幼い男の子のキャラでも可愛さが必要ですので大人の男性キャラより目が大きくなります。 ここからは推論なのですが、 男性(♂)は育児をしませんので(習性的に)女性(♀)の方が母性が強いです。幼い女の子も自分で髪を切ったりミルクを飲ませるたりトイレの世話をするような「子供の母性を育てる」がキャッチフレーズの人形とかで遊びますから幼くても母性があります。 なので女性は幼いほうがかわいく見えるのだと思います。幼くなくてかわいいと「綺麗」に近くなり憧れの方が強くなります。 少女漫画は主人公に読者が憧れる漫画よりに主人公に読者が感情移入する漫画の方が多いですから幼いほうがいいです。そして少女マンガの絵柄になります。 対して男性は言い方が悪いですが繁殖相手を探さないといけません。もちろん見た目がいいほうが見た目がいい子孫を残せます(遺伝子的に)。ですが出産できる年齢でないといけません。母性も必要ありません。つまり男性がもとめるのは女性らしい人です。なのでかわいさに綺麗さ、色っぽさをいれていわゆる萌え系の絵柄になるのだと思います。 が、根本的な狙い(かわいく見せる)はおなじですので共通性は出るのだと思います。 以上、また長文になって失礼しました。
その他の回答 (16)
よく見ます。 作品の状況が、現実に実現することはないという点で不自然とは思います。 羨ましいとも「強くは」思いません。 作品内のそういった事情が自分の周りにはきわめて乏しいことは事実ですが、 作品をその替わりにしたり、羨望で見ているわけではありません。 そのドンちゃん騒ぎをしているのを見ていて楽しいと思うからみています。
- rekarin
- ベストアンサー率25% (119/475)
私も数的には多くはありませんが、その手の漫画やアニメを見ます。 特に気に入った作品があれば関連商品を買ったりもします。 その一方で質問者さんがご指摘なさっているような歪みも感じます。 萌えに偏重しすぎているアニメ業界も、踊らされている自分も嫌になったりします。 やはり、不自然さを感じずにはいられません。 ただ、無性に見たくなるときはあるんですよねぇ。矛盾してるなぁと思いつつ。
- Vwiyoonn
- ベストアンサー率35% (162/455)
客を啓蒙してやろうなんて尊大な意思を持って創られたものではなく、娯楽として供せられるべく創られた作品のおおよそは、観る側の欲求を満たす要素を軸に創られているもので、その軸が『萌え』であれ『正義』であれ『団結』であれ、客の欲求を満たすことが商品しての最低条件なのですから、あなたがご覧になったそれらの作品はその最低条件をとりあえずは満たしていたということにはなるのでしょう。 もちろん、時代を超えて優れた作品と呼ばれるものは、商品としての最低要件を満たした上で、作家性であったり普遍的なものや斬新な視点が含まれていたものであって、まず前者があった上での後者なんです。…っていうか、後者だけをやってるとお芸術になっちゃいますしね。 で──『萌え』なアニメのヒロインがあまりにも『男性』に都合よく描かれていることに違和感を覚えていらっしゃるようですが、これは男性アイドルであったり女性に支持されるドラマの男性主役が彼らを支持する女性たちの欲求を具現化したものであることと照応したものと考えられればよろしいのではないでしょうか。 もちろんのこと、そうした役を演じているアイドルであったり俳優に熱をあげる女性が「自分ってヘン?」だなんて考えないのと同様に、『萌え』アニメを見る客の多くはアニメのキャラクターとの擬似恋愛を楽しみたいが故にそうした作品を観るだけのことで、それを恥ずかしがっているほうが余程奇妙なことと思われます(そこにヘンな罪悪感を覚えたりすると、女王様、ダメなぼくにおしおきを…ってな歪んだ欲求の解消の仕方になっちゃうんです)。 で──『萌え』アニメにてでくるヒロインが実際に男性の理想なのかといえば、…生身で実際につき合うとなると相当重いんじゃないか、って気がしますけど、あくまでも虚構ならばあの程度がちょうどいいのかな。 と、いうか、かつてはそうした男性の欲求を具現化した形での女性アイドル(まさに偶像ですね)という存在がメジャーな存在としてあったんですけど、あなたの抱いた違和感同様の「あんな女の子なんていないわよッ!」的なつっこみと当のアイドルたちのアーティスト志向によって1990年代にはほぼ絶滅してしまったのが、たまたま『萌え』アニメという形で復活してきただけなのかもしれませんね。
お礼
>>キャラクターとの擬似恋愛 なるほど、疑似恋愛と考えれば男性に都合の良いキャラクター設定もストーリもすっきり納得できます。ただ、個人的な意見では、恋愛というのは思い通りにいかないのが面白いわけで、予定調和のストーリーや自分の設定にはやっぱり欺瞞を感じてしまいます。こればかりは恋愛観の違いなので別にこれ以上どうこういうつもりはありません。 ご回答ありがとうございました。
補足
今更ながら質問のタイトルがちょっと不適当だったかもしれません。「恥ずかしいと思っていますか」だと、萌え系の愛好者の方に失礼に聞こえるかもしれません。実際は「萌え系アニメを見ている人は、それを見ている自分自身をどのように考えていますか」とした方が適当でした。補足しておきます。申し訳ありませんでした。
- artofauror
- ベストアンサー率23% (91/393)
恥ずかしいと言うよりも、途中でバカバカしいって思うことがありますね。まぁ、それは演出の問題であって、キャラクター個々の印象ではありません。 質問内容を言い換えれば、イケメンばかりが出るドラマは、明らかに女性をターゲットとしており、それは紛れも無く女性を満足させるものです。そう言った光景も人によっては、かなり不自然なものでしかないでしょう。 作品にとって見てくれ(ビジュアル)は重要です。そして、それを見せるターゲットを誰にするかによって、その形は変わってきます。 作品を制作するに当たって、どの年代や性別に見せるかを明確に決めることは必要です。漠然と誰にでも受け入れられるでは、その内容自体があやふやなものになって、結局何がしたかったとなります。だから、ターゲットを絞って、それに合った作品を作り上げるのです。 質問者さんがそう言ったアニメを不自然と感じるのは、あくまでも個人的な見方であり、それを自然と感じる方も多く存在するのは、言うまでもないでしょう。ここ一点に絞っても、好き嫌いが分かれるのだから、多くの意見が氾濫する中で、それら全てにあった作品を作り上げるのは、不可能です……結局、好みの問題ですから、最後は嫌なら見なければ良いって考えに行き着いてしまうのだと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 要するに萌えアニメを自然に受け取る人が世の中にはいるということですか。確かに社会的に有害でなければ、特に問題はないことですし、私も気にしないようにしたいと思います。
- 3330-343
- ベストアンサー率22% (7/31)
何度もごめんなさい。 補足です。 恥ずかしくはないです。それによって、友達も増えましたし(笑)
- 3330-343
- ベストアンサー率22% (7/31)
えっと、一応女子なのですが、そういうアニメはたまにみます。 自己満足以外の何物でもありませんね、はい。 子犬を見たら和むのと同じように、かわいい女の子が会話をしているだけの内容のないアニメでも、どことなーくほわーとするもんです。 参考になれば。
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お礼
>>作品内のそういった事情が自分の周りにはきわめて乏しいことは事実ですが、 >>作品をその替わりにしたり、羨望で見ているわけではありません。 >>そのドンちゃん騒ぎをしているのを見ていて楽しいと思うからみています。 なるほど、その作品の世界に自己投入するのではなくて、外部から眺めているだけであり、それだけで楽しいということですか。穏やかな日常を見ていて癒されるということなのかもしれません。興味深いご意見でした。ありがとうございます。