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エース番号とか永久欠番とかどうですかね?

考え方が後ろ向きであったり、意味のない慣例化であったりすると思うので、廃止したほうがいいと思うのですが、どうなのでしょうか? 永久欠番にされている本人たちも、あまり快く思わないのではないでしょうか?

みんなの回答

  • nama777
  • ベストアンサー率26% (183/699)
回答No.7

他の人の言われていることに補足ですが、野球には勝ち負けに関する目の前の 「勝負」 を味わう楽しみ方のほかに、過去から連綿とつながる 「記録」 を味わう楽しみ方というものがあります。 2000本安打とか、歴代のチーム4番とか、歴代開幕投手とか、あるいは年間失策数のキングとか、後者にあたるものは多いですね。 質問者さんがそういった過去の記録に興味がうすいようなのは、個人の嗜好であり構わないことですが、廃止まで提言されるとなると、野球の楽しみ方を不当にせばめることに繋がりかねず、気になります。

garcon2001
質問者

お礼

名誉なこと、特別なことには変わりないのですが、それと「永久欠番」は何も関係ないのではないでしょうか。別に何のとりえのない選手がその偉大な番号を使ったって一行にかまわないと思いますよ。どうも、一般の人は「シンボル」というのを大事にしたがるようですね。私はそんなものには一門の価値も感じていません。偉大な存在はその「存在」だけで偉大だからです。

  • eiji5620
  • ベストアンサー率14% (78/538)
回答No.6

永久欠番は偉大な記録を残した選手に対する表彰なんですよ、ホームラン世界記録の王、400勝投手の金田 巨人一筋の長島茂雄、赤バットの川上など優秀選手のみ与えられるあかしです もちろん断ることも可能です私は日本球界に偉大な記録を残した記念として前球団1、34、51は永久欠番にするべきだと思います今だに破られていない偉大すぎる記録ですよ ちなみに51はあこがれだった針さん越えをしたイチローの背番号です彼には世界のピートローズ越えを目指して欲しいと願いを込めていれました

garcon2001
質問者

お礼

名誉なこと、特別なことには変わりないのですが、それと「永久欠番」は何も関係ないのではないでしょうか。別に何のとりえのない選手がその偉大な番号を使ったって一行にかまわないと思いますよ。どうも、一般の人は「シンボル」というのを大事にしたがるようですね。私はそんなものには一門の価値も感じていません。偉大な存在はその「存在」だけで偉大だからです。

  • ryosuke-s
  • ベストアンサー率24% (60/250)
回答No.5

質問文の本人たちが心良く思わないというのが理解できませんね。一時期おかしなトレーニングして勝手に野球と関係のない怪我した選手の背番号シールをヘルメットに貼るのが流行しましたが、あんなものとは次元の違う話です。永久欠番は一球団または球界全体に貢献した選手の証であり大変名誉なことです。日本では現役選手に一部の背番号を強制するような風潮があったので反対意見を投じる余地を与えましたが、本来はMLBの背番号42(制定前から着けているM・リベラ以外は着用禁止)のように現役選手の意思は尊重しつつ当該選手の功績を皆で噛み締める素敵な慣習のはずです。

garcon2001
質問者

お礼

名誉なこと、特別なことには変わりないのですが、それと「永久欠番」は何も関係ないのではないでしょうか。別に何のとりえのない選手がその偉大な番号を使ったって一行にかまわないと思いますよ。どうも、一般の人は「シンボル」というのを大事にしたがるようですね。私はそんなものには一門の価値も感じていません。偉大な存在はその「存在」だけで偉大だからです。

noname#100678
noname#100678
回答No.4

正式な永久欠番ではないのですが、元福岡ダイエー(当時)ホークスの藤井将雄選手(背番号15番)の例をご紹介させていただきます。 1999年に中継ぎ投手として大活躍をしながら肺ガンに侵され、翌2000年に亡くなった伝説的な投手です。 彼の成績は、長いプロ野球の歴史から見ればたいしたものではありません。 しかしホークスの15番を欠番にすることによって、彼の存在をいつまでも残していくことが出来ると思うのです。 最近になってホークスファンになった人でも、過去にこういった人がいたと知ることが出来るので、永久欠番のもつ意味は大きいと思います。

参考URL:
http://www.nishinippon.co.jp/nishispo/hawks/rensai/fujii/fujii-1.html
garcon2001
質問者

お礼

ダイエーの投手、なくなった方いましたね。 でも、それはもちろんお気の毒なのですが、この例に私は最も違和感を覚えます。人はいつか早いか遅いか死ぬものですし、藤井くらいのレヴェルの投手で十分長生きしてなくなったら、それも永久欠番にしなきゃおかしいんじゃないか?といううがった考え方をしてしまいますね。 早世したから「伝説化する」というのは、なにかあまりにもセンチメンタルな大人気ない姿勢な気がします。

  • tws615
  • ベストアンサー率17% (3/17)
回答No.3

あくまでも、野球ファンである私個人の意見です。 長年、チームの勝利に貢献してくれた名選手、良い成績は残せなかったけどここぞというときに活躍する記憶に残るような選手など、それぞれのファンがそれぞれに応援してきた選手が引退してしまうとき、私たちは名選手たちのおかげで感動をもらう事ができた感謝の心を忘れたくないし活躍を称えそして尊敬しつづけ、ファンひとりひとりの今後の人生の良い思い出となって一緒に歳をとっていくもんだと思うんです。だからたとえ名選手でなくても“この背番号はあの選手しかない、他の奴にやるのは勿体無い”と考える野球ファンはほとんどではないでしょうか。 ちなみにアメリカのメジャーリーグやバスケットは良い選手は永久欠番になる可能性が高いです。永久欠番が増えるという事はファンの気持ちを尊重し大切にしている球団の気持ちの表れではないでしょうか。名選手を欠番にしないという事はファンの気持ちを喜ばすよりも、現役選手の気持ちを喜ばしているだけのような気もします。

garcon2001
質問者

お礼

個人の中で「伝説」は作られる。そして社会に広がっていく、でもその「伝説」というのは「妄想」と紙一重ともいえる要素があるのではないでしょうか。名選手が何度チャンスで凡退したか、何度逆転されたかわからないですよね。 結局はファンあっての興行ということなのですが、そのファンたるや、なにか妄想癖と紙一重のところにいて、どんどん利用可能な番号を奪っているということも言えるのではないでしょうか。

  • Meifu
  • ベストアンサー率30% (18/59)
回答No.2

永久欠番については既に述べられてますので。 エース番号などについて意味の無い慣例とは思いません。 「エース」と呼ばれる事により、本人のモチベーションが上がったり、「格」というものが上がります。 勝負事において大事な事ではないでしょうか? 永久欠番にしろエース番号にしろ、リスペクトというものがあって成立しています。 快く思わないという事は無いと思いますよ。

garcon2001
質問者

お礼

どうでしょうね。 慣例化というものがそれこそ当たり前だと思われているのではないでしょうか。だから、かりにエース番号というものがなくて、任意の番号の投手がエースになるという状況なら、それはそれで問題ないのではないでしょうか。「番号」というものに、なにか必要以上の余剰イメージを与えて一般人にこびている気がするんですね。「格」というのも同様のニュアンスだと思います。

  • norikhaki
  • ベストアンサー率25% (1154/4593)
回答No.1

>あまり快く思わないのではないでしょうか? 永久欠番になるというのは そのチームにとって一種伝説の選手なので なろうと思ってなれるものじゃありませんから そうは思いません。 巨人で永久欠番と言えば1番王、3番長嶋、4番黒沢、14番沢村、 16番川上、34番金田 と球界で伝説と化した方ばかりです。 (4番の黒沢は現役中に病気で死亡したためですが) これらの番号を後年誰かが付けたとしても、これらの選手が なし得た記録を超えることは不可能に近いことです。 また、期待されてる選手だったとしても その重圧に負け実力を発揮できないということもありますので あえて誰もつけないでいいようにしている意味もあると思います。 もちろん、成し得た記録をたたえるという意味が 第一義にあることは言うまでもありませんが。

garcon2001
質問者

お礼

「伝説」というのが曲者のような気がしました。そういうのは実情とはかなりかけ離れたところをピックアップするとか、必要以上の美化で飾り立てるものですからね。あくまで、作ったのではなく作られたもの。もちろん、記録は更新されないとしても、だからといってそれを「伝説」と呼ぶのか私は違和感があります。

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