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1994年から1997年まで存続した新進党とはズバリなんでしょう?
1994年から1997年まで存続した新進党とはズバリなんでしょう? Wikipediaを見ると、結局旧公明党の連中が新進党から離れる気配を見せたため、(選挙に勝てない。)と判断した小沢代表が解答してしまった様な表現ですが、 1:結局色々な政党からの寄せ集めだったのから、こうなったのか?解答の一番の理由は何か? 2:1997年ごろには多くの新進党所属代議士や参議院議員が新進党を離れ自由民主党になびいたが、当時のマスコミはどう報じていたのか?「寄せ集め政党上やむをえない。」という表現なのか、「節操が無い。」という表現だったのか? の2点を確認したいのです。ご存知の方いませんか?
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もともとは、細川連立の7党で新与党「新・新党」を結成しようという話が始まりです。そのまま名前が新進党となりました。ところが結党前に社会党とさきがけが抜けてしまい、野党の合同になってしまいまとまりのない党となりました。 1:最大のタガ「政権」がなかったのが第一の理由。公明が袂を分かったのが引き金。 2:新生党(小沢一郎)、さきがけ結成時に自民を離れた人以外に、細川政権時代は、自民党からの離党者が相次ぎました。さらに小沢一郎と対立して自民に戻ったりして非常に流動的でした。今誰がどの党にいたっけ?といった感じでした。各個人の離党復党などニュースにもなりませんでした。 今の自民党や民主党の議員の経歴をよく見るといくつもの党を渡り歩いた人が多いですね。 ちなみに新進党は参議院で勝利し次の衆議院選挙で敗北、解党に至りました。
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- rikukoro2
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>有難うございます。結局小沢氏の独善が全てのキーなんですか---? 新進党は結果的にそうなったとおもいます
お礼
了解。
- rikukoro2
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1. 自民党は元々田中角栄率いる田中派が最大勢力を誇ってました。 しかし権力闘争、派閥闘争の中で田中派は田中派本流(小沢一郎)VSと対立派閥(竹下)等の争いになり、本流である小沢一郎が敗北しました。 そこで小沢は自民党を抜け出し、対自民党となる政党を作りました。それが新進党です。 しかし、政権をにきったのはいいですが、元々新進党は対自民党の為の政権で内部の新進党議員の意見はバラバラ(今の民主党と似てます) そこでとりあえず、お飾り的な細川等、見栄えのする首相を置いておいてのらりくらりと何もしない政治をおこなってきたため、内部の不満が爆発しました。 例を挙げれば新進党の『海部俊樹』は自民党の河本派(旧二木派)山身で派閥の領袖でもない単なる平議員です。 このように小沢は、権力的に力のない人を傀儡として新進党をあやつってきました。このような独裁に嫌気がさし、又小沢はころころ意見を変える人なので議員が離れ離れになったのです。 2.マスコミは当時、新進党を大いに盛り上げました。ですので特に批判の類はすくなかったとおもいます
お礼
有難うございます。結局小沢氏の独善が全てのキーなんですか---?
お礼
有難うございます。