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岡林信康のデビュー作
岡林信康氏のアルバム・デビューは、URCレコード・会員配布のなかの「休みの国/岡林リサイタル」のはずだと思うのですが、岡林氏のディスコグラフィーには、そのような記述はみあたりません。なぜ? カップリングという形式が不本意だったのでしょうか。氏のコアなファンの方、教えてください。
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- shaku-ma
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補足です。シンコーミュージックから出ている「日本フォーク紀」という書籍にURCはもちろん、ベルウッド、エレックの完全ディスコグラフィーが載っております。 これをみるとURCの会員配布第1号のアルバムが「高田渡/五つの赤い風船」その次が「六文銭/中川五郎」そして第3回目が「休みの国/岡林信康リサイタル」となっております。その後入会希望者が増えたためにレコード店でも市販されるようになりました。市販第1号は岡林の「私を断罪せよ」と風船の「おとぎばなし」でした。 このことから考えると会員のみ配布の時はレコード一枚で二組の楽曲が聴けるというお徳盤という感覚で、市販になってからは客が自分の欲しいレコードを買えばいいわけだから単独ミュージシャンのアルバムをということではないでしょうか。 事実休みの国の方は後に岡林のリサイタルをカットして新たに楽曲を追加して再発されています。
- shaku-ma
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確かにアルバムとしての最初の作品は「休みの国/岡林信康リサイタル」です。 どのディスコグラフィーを読んだかわかりませんが、だいたいのフォーク関連の書籍には載っていると思いますよ。もしかしたら休みの国の方で取り上げられているかもしれませんけど。 カップリングという形式について不本意なのはどちらかというと休みの国の方ではないでしょうか?ファーストアルバムに当時人気があった岡林のリサイタルを抱き合わせられたのですから。 このアルバムでは岡林の知らないところでリサイタルを制作者側が勝手に入れたと考えた方がいいでしょう。 そして実質ファーストは次のスタジオ録音であるところの「私を断罪せよ」と考えるのが普通ではないでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございます。件のレコードの存在はもちろん知っており、私、所有しております。2枚持っていましたが、1枚は血眼でそれを捜索していた某マニアであるところの知人に譲りました。フォーク関係の資料本も多数あります。実は私はジャックス・休みの国派なのです。所有していないのは休みの国のシングルくらいでして。で、私の知りたいことといえば、なぜ岡林サイドとしては、あれを記述しないのか、というそのワケです。たとえば「伝説・信康」小学館発行にも掲載されてはいません。ネット関係のディスコグラフィーをなぞっても、記載されてはいません。当時のURC所属ミュージシャンのなかには、あの2組1枚形式に抵抗感を覚える人々がいたのは確かなことです。レーベルが本人たちの承諾を得ずにリリースしたこともあったわけで。休みの国にしても、それについてはおもうところがあるのです。とにかく、岡林神様があれを認知していらっしゃらない故を知りたいのです。この点について、ご教授くだされば幸いです。