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メンタルな病気治った方

メンタルな病気で治った方、最終的に治ったと判断された基準はなんだったか教えてください。 私の自律神経失調症も大分良くなりましたが、もう一歩です。あと少しは何かなと思い、質問させていただきました。

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noname#82889
noname#82889
回答No.3

まず「メンタルな病気」の程度を過程しないと進められませんので、取り合えず「医師に診て貰う必要がある程度」、これを前提とします。 まず私の場合15年程前軽い鬱がありましたがその影は現在微塵もありません、これは完治と言えるでしょうね。 もう一つ、あがりと対人恐怖が混じったような症状が思春期からありましたが実感として80%、ですね。(ああ、今30代です) 20%は治り切っていない、まあ冷静に見るとこの20%は病的と言うよりも性格的な要素と捉えられますので微妙ですね。 一年位前までは50%価値感、プラス30%薬で=80%満足ってな状態でしたが価値感の激変がありましてね、薬無くとも80%治癒と言い切れる自信はあります、これは長かった。・・・あと2,3年で95%位まで行く自信はありますね、頭に体が付いてくるにはちょっと時間を要します。 思い出しましたが若かりし頃パニック症候群もありました。 これは「書いててやっと思い出す」位ですから現在全く起こる気配も無し、完治と言えますね。 心因性の喘息や花粉症も100%無くなってますね、20年以上無いです。 ・・・・私の場合こんなところですね。 貴方の自律神経失調症(これ疾患名称にあらずとの意見も多いですが)の主訴がどんなものかは存じ得ませんがそれが性格に密接に結びつく物、例えば恥ずかしがりやさんの赤面症、の様なものであれば「もう一歩」イコール完治、と判断されても良いかと思いますね。 持って生まれた性格まで否定するなんて不毛以外の何物でもないですものね。(病的な人格障害は別ですが)

kaorun2
質問者

お礼

ありがとうございます。完治というものは、目に見えないので難しいですよね。でも、よくわかりました。私も早く薬がなくならないかなあと思います。

その他の回答 (4)

回答No.5

約12年間ほど精神科領域の薬を飲んでおりましたが、入院を期に全ての症状が消滅致しました。治ったと判断した基準は症状が全く無くなり薬を飲む必要性がないと言われた段階です。 次に「あと少し」と言う部分に関しましては、意識を自分に向けるのではなく外に向ける事が肝心ですね。 そして忘れてはならない重要な点は「自分に携わって下さる人々への感謝の念」だと思います。

kaorun2
質問者

お礼

ありがとうございました。よくわかりました。自分ばかりに目をむけないことが大事なんですね。ちょっとそとにも目を向けて見ます。

回答No.4

完冶という事なら有ります。貴方の症状は判りませんが、貴方には「恐れ」というものが付きまとっていると思います。それは、はっきりと言うならば「自分自身」に対する恐れ、或いは人生に対する恐れのようなものかと思います。 貴方をそのような心持にさせているものは「あなた自身の心」とも言えます、貴方は「自律神経失調症」と言う事を通じて、自分自身の働きと、仲たがいをしています。 貴方は「意識性」が強い人と言えます、或いは「不安に」なり易い人と言っても良いでしょう。貴方の抱えている問題は貴方自身がその問題の発信源と言えます。貴方は辛い人と言えますが、その解消方法が有りますので書いてみます。 自分自身への恐れを抱いて、「その」恐れを克服してきて、「それ」を代々伝えて来たものが世界中に在ります。ですが「その事」、「その」内容が曖昧になって、「それ」を伝えている筈の人達でさえも「その」内容をよく説明できないのが今の現状と言えると思います。 「それ」とは悟りを開くと言う事です。人間には自我意識が有ります、ですが自我意識だけで世の中を見渡そうとしている事が、障害になってしまう場合が有ります。今の世の中で「精神疾患」と呼ばれているものがそうです。或いは「神経症」というもの、或いは「自律神経失調症」や「心身症」と呼ばれているものもその障害と言えます。 今言った障害とは「人生を自我意識で」制御しようとしている事に当たります。人間は健康に生きて行く事が出来ます。ですが「自我意識だけで」人間は健康にはなれません。 人間の精神は健康を保つ事は出来ます。ですが「自我意識」だけで、精神の健康を保つ事は出来ません。その事が良く分かっていない事から、精神疾患、神経症、心身症、自律神経失調症等の完治と言う事が言い難い、或いは言う事が出来ない状態が有ります。 神経症の中に書痙と言うものが有ります、その治療の専門家の中でも「書痙の原因は分かっていませんが?」と言う前置きが有って、それから治療が始まっています。これでは完治等は望めるはずが有りません。 書痙の原因は「自我意識だけで」字を書こうとしている事です。先に挙げた障害についても今言った事「自我意識だけで」症状に対応しています。 本当の完治を望むなら、その障害を起こしているものを、直に掴む事が正解になります。それが「悟りを開く」と言う事になります。 人間には成長してきてから育つ心が有ります。是は自我意識と言うものです。ですがこの他に、判り難いのですがもう一つ心が有ります。是は人間を働かせているものです。或いは人間の働きそのものと言う事も出来ます。或いは自我意識にいろいろな情報をもたらせているものと言う事も言えます。是は自我意識が働いていない時に働いています。 言い方を替えたなら自我意識と交替に出番が有ると言った方が良いかと思いますが?例えば急ブレーキをかける時を思い出して下さい。自我意識の出番が無い時に働いています。「思わずに」ブレーキに足がいっている筈です。 歩く時にも分かります、自我意識は足には命令を出していない筈です。自我意識は考えながらでも「歩く事が」出来ています。 この事から人間には自我意識の働きの他に、もう一つの働きが有ります。この働きを働かせている「意志或いは意識」と言うものが有ります。是をお釈迦様は「仏性」と言う風に名前を付けました。或いはキリスト教では「神」という名で呼んでいます。 自分を働かせている者と、仲たがいをしている事が障害の元を作っています。自分を悩ませているものが自分自身の中に居ます。自分を悩ませているそのものを掴もうとする事が「禅」の目的となっています。 自分自身を悩ませている、自分自身と言うものです。自分自身を知るという事が悟りです。悩むものと悩ませている者の出会いが悟りです。 自我意識の働きからするならば、自分を苦しめていたものと出会うと言う事で、障害のメカニズムが分かると言う事になります。人間の苦しむ事の原因と言うもの、或いは心のからくり、或いは心の秘密、或いは、恐れのその本当の理由が分かる事になります。それ以後は苦しみが無くなります。障害がなくなると言う事になります。完治とは自分に障害を作っていたものが「何」であったかを知る事で解決できます。 心には何のわだかまりも無くなってしまいます。貴方の障害は、貴方自身が作っています。貴方は自分の障害の事ばかりではなくて「人間はどうして苦しまなければいけないのか?」と言う事を学んでください。 それには禅を学ぶ事が良いと思います。鈴木大拙博士の著作したものをお薦めします。私の場合には有効でした。

kaorun2
質問者

お礼

ありがとうございます。自分のかんがえかたを治せば、簡単なのかもしれませんね、病気を治すには。一度チャレンジしてみようかな。

  • koharu02
  • ベストアンサー率0% (0/3)
回答No.2

完治と寛解の違いを知ると判りやすいと思いますが,なんとなく症状がありながらも,薬や通院・カウンセリングで落ち着いて過ごせる状態を目指せるのがいいと思います。 なかには全く治療を中断しても問題なく過ごせる人が数%ぐらいいますが,まれです。糖尿病や高血圧と同じく,自分の病気とうまく付き合っていけるようになるといいですね。

kaorun2
質問者

お礼

できれば、薬がなくなればいいんですが。寛解でもいいのですが、薬が嫌いなのです・・・

  • 0913
  • ベストアンサー率24% (738/3034)
回答No.1

「完璧に完治」は不可能だと思います。 自分の「癖」と付き合って行く事になれる事だと思います。

kaorun2
質問者

お礼

ありがとうございます。そうですね、癖を理解することから始まるのかもしれませんね。

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