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自己責任論者の方々に質問です。

本当に、困難な状況になった時、助けを求める人もなく、金もなく、職もなく、社会福祉も「自己責任」の名の下に受けられず、そんな状況に陥ったとして、それでも自己責任だといい続けますか? 自己責任だと言いながら、首をくくるのですか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • mojitto
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回答No.1

たぶんですが、自己責任論者はバカのように何から何まで自己責任だと言っているのではないと思いますよ。 もしそうなれば公共福祉は意味をなしません。 国家も不要です。 自己に責任が帰することしか自己責任だと言わないと思います、たぶんね。 >困難な状況になった時、助けを求める人もなく、金もなく、職もなく、社会福祉も「自己責任」の名の下に受けられず、そんな状況に陥ったとして こうならないために、国があるのであって、このような状況に陥れば、それは国の責任でしょう。

noname#82390
質問者

お礼

すべて同意なのですが、せめて自己責任論者の人たちの考えていることを聞いてみたいと考えました。 首が回らなくなったら、やっと理解するのでしょうか。 それとも、そうなったって、「つける薬なし」の法則でしょうか。

その他の回答 (7)

  • ryuken_dec
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回答No.8

どちらも程度の問題。 >私自身は、「自己責任」という意識は自らに課すためにあり、 >他人に突きつけるものではないと解釈しています。 そうですか? ウソをついた時にその責任を追及する行為はいけませんか? 殺人を犯した時にその責任を追及する行為はいけませんか? あくまで自分が犯罪を犯した時にしか「自己責任」を課してはいけませんか? 私は、現代社会の中で生きる人間である以上、自己責任は自らに課すものだけではなく、他者(社会)から突きつけられているものだと思います。 別に法律に限りません。家族や地域のコミュニティなどでもそこでのルールが存在し、自己責任が要求されると思います ・一人暮らししている大学生がいきなり実家に帰ってきてもご飯が用意されていない。そんな時に実家暮らしの家族が「連絡も無しに突然帰ってこられてもご飯の準備なんかしてないよ。連絡しなかったあなたが悪い」と、その大学生の自己責任であると言う事はいけませんか? そこに自己責任を課してはいけませんか? >怠惰な人が苦境に陥るのは当然で、救済する意味がないという >「お気持ち」は理解しますが、なぜそうなってしまった(なぜ自堕落的・ >自暴自棄になったのか)を理解しようとする努力が必要かと思います。 >社会問題と結びつけて想像力を働かせることが大事かと思いますが、 >「自己責任だ」と突き放しては何も進みません。 どこまで努力が必要でしょうか? ギャンブル中毒になっている人がいて、その人がなぜそうなったのかをその人の過去やら親やらがどういう教育をしてきたかを理解してあげる"努力"が必要でしょうか。最近だと依存症には脳のメカニズムに関係があるという話もありますので、その人のギャンブル中毒が脳のどのようなメカニズムに関係しているかを解明してあげる"努力"が必要でしょうか? 当然、努力することは論理的には可能です。今から国が数兆円規模で予算を投じて即刻研究を開始することはできますが、そんな努力をすべきでしょうか? 上は極端な例ですが、それを抜きにしても現実的にもどこまで理解してあげる努力が必要でしょうか? ここに書き込みをしている人も日頃の鬱憤やストレスや困った状況にあるかもしれません。googoonekoさんはそれを理解する努力をしていますか? >少数派でも、確実に存在するわけです。 少数派を守るためにどれだけのコストをかけますか? 車の安全性でも同じです。車の事故は起こります。でも「ある程度以上は仕方ない。あとは車を利用する人達の責任で気をつけてもらおう」と車の所有者・運転者の自己責任に委ねています。 完全なエンジンなど作れません。極限までトラブルが発生する確率を少なくすることもできません。車の値段を200万→1000万とすることで、99.9999%安全から、99.99991%安全に改善するということはやりません。 どこかで安全性の追求をあきらめます。 >例外を知る想像力がないのでしょうか。 >想像力を働かせることが大事かと思います 上でも書きましたが、例外のためにどこまでコストをかけますか? 「何でもかんでも自己責任」という人も問題はありますが、「不幸な人がいるからそれを救済できるようにしろ」と言うのもどうでしょう。「助けろ、助けろ」というのなら、自分が助けてみろと。盲目の方、先天的な重病を持った方がいますが助けられるのでしょうか。自分もできもしないのに他人にそれらを要求するのも、無責任発言と言われても仕方ありません。 想像力を働かせることは大事ですが、想像しているだけで、自分は大して何もせずに人の文句ばかり言っているのは、ただの卑怯者です。

noname#82390
質問者

お礼

コストコストとおっしゃっていることから、金しか頭にないことが良くわかりました。 ご回答、ありがとうございました。

noname#82390
質問者

補足

自己責任論者のみなさま、ご回答ありがとうございました。 結局のところ、あなた達は、困難な状況にある人たちは「好んでそうしている」と解釈し、どこまでも「自分達だけは大丈夫だ!」と考えているのだとわかりました。自分達が平穏に生きていられるのは、自分達が頑張っているからだ!と思っていることもよくわかりました。 そして、人の苦しみよりも金が大事なのだとよくわかりました。 自己責任だと言えばなんでも片付きますが、何も解決しないどころか悪化するだけですね。 みなさま、どうか頑張ってください。 NO1さんのおっしゃるとおり、つける薬なしでしたね。 ご回答ありがとうございました。

回答No.7

>首くくる人は簡単にそうしていると思いますか? そう思いますね。 苦しくても、もがいてでも、足掻いてでも、何とか生きようとする努力を捨てて、死ぬ事を選んだだけでしょう。 鬱病とか、判断力の衰えた状態で(病の影響で)死を選んでしまったならば、それは同情の余地もあります。 しかし、ただ単に自分が陥った状況に嘆いているだけなら、同情はできません。 >あなたも、首が回らなくなったそうするのでしょう。 はぁ、駅のホームから飛び込む寸前で思いとどまったり、ビルの屋上で数時間彷徨ったり、色々やりましたがね。 結局私は恥も外聞も無く、生き延びる道を選んだだけです。 自分が陥った状況を、他人や社会のせいにしかできない奴には、理解ができないのでしょうね。 非生産的? 努力もせずに、社会に同情だけを求めるならば、そういう非生産的な人物は無用です。言葉の使い方がおかしいのでは? 淘汰されて消えれば良いと思うだけです。 想像力? 同様の状態から這い上がる人がどれだけいるか、そういう事を想像する事を拒否しているのはどちらでしょうね。 そりゃ、社会が同情してくれない、こうなったのは社会のせいだ、自分ではどうしようも無いんだ、と自分を甘やかした方が「楽」ですからね。這い上がる為の苦労なんて、想像もできないでしょうよ。最初から「楽」な方を選んでるんですから。

noname#82390
質問者

お礼

自己責任論者達は想像力がないことがよくわかりました。 自分だけは大丈夫だと思っているのですね。 努力しても生きられない状況の中、死んでいくのだと思いますが。 あなた自身はそのような状況に陥ったことがないので言えるのでしょう。 ご回答ありがとうございました。

回答No.6

私も自己責任論者ですね。 kernel_kazzzさんに、考えも境遇も重なります。 >やっと理解するのでしょうか。 と言いますが、私は彼らより遥かに若い時分に、遥かに深く理解しています。その上での自己責任論です。 私は子供の頃のロクでもない経験から、自分で身を立て、守ることには誰よりも気を使っています。 私がそのための努力をしている間、彼等の大半は一体何をしていたんでしょうかね。 もっとも大半の自己責任論者は、確かに「>やっと理解するのでしょうか」と言いたくなるレベルの認識だと思います。 大手企業のエリートだとかでさえ、大半の人間は「ただレールに乗って生きてきただけ」という意味では、本質的には彼らとそう変わりゃしません。 彼らには現在の境遇になるべくなるレールがひかれてただけですから。 同情してくれる人が居たり、炊き出しをしてもらえる境遇なんて、私からすれば「ぬるま湯」としか思えんのですよ。 (世間一般からすると十分悲惨ですし、私もそうなりたくはないけれど) >病気で倒れてすぐに貯金が底をついて仕事もなかったら こういうケースは、実際はかなりの少数派ですが? こうなったら運が悪かったと諦めるか、自力でなんとかする以外にないですね。 事実私だって、この考えで切り抜けたんだから言わせて貰いますね。

noname#82390
質問者

お礼

少数派でも、確実に存在するわけです。 私自身は、「自己責任」という意識は自らに課すためにあり、他人に突きつけるものではないと解釈しています。何かあった時に、そうならないようにあらかじめ、「自分のことは自分の責任だ」からと手をうとうと努力する。しかし、それを、実際に苦しい状況にある人たちの向かって「自己責任だ」と突き放すのはわけが違います。ただ無情で、何も考えていないだけかと思います。「自己責任」で何でも片付けようとするのは、やはり非生産的かと。 自己責任論者は必ず、 >事実私だって、この考えで切り抜けたんだから言わせて貰いますね。 と、自分の経験を他人に押し付けますが、例外を知る想像力がないのでしょうか。

回答No.5

「本当に困難な状況になる」まで何も手を打たなかったのが「自己責任」だと思いますね。 助けを求める人も無い…人脈を作らなかった自己責任 金も無く…仕事の仕方や貯蓄をしなかっただけの自己責任 職も無く…「仕事を選り好み」している馬鹿は自己責任 社会福祉…条件に合えば受けられる、受けられないのは自己責任 簡単に首くくるんなら、その程度の人間だったって事でしょう。 100年に1度の不況だとかって、マスコミが騒いでるから、その尻馬に乗ってるだけじゃ無いの? 私も数年前に、それこそ泥水を啜るかのようなどん底を経験しましたからね。それに比べりゃ、周囲がちやほやしてくれて、炊き出しも配られて、今の派遣村とかの連中は甘やかされてるし甘えてると思いますよ。 甘えてる内は、自己責任と言われても仕方が無いでしょうね。

noname#82390
質問者

お礼

>簡単に首くくるんなら、その程度の人間だったって事でしょう。 わかりました。 あなたも、首が回らなくなったそうするのでしょう。 首くくる人は簡単にそうしていると思いますか?

回答No.4

>それでも、病気で倒れてすぐに貯金が底をついて仕事もなかったら、どうしますか? 医療保険というものがありますので・・・

参考URL:
http://www.hokende.com/static/iryou/
noname#82390
質問者

お礼

入院するまでもないけれど働けるほどでもない、つまり保険ではカバーされない状況だったらどうしますか?そういった状況の人のほうが圧倒的かと思いますが?

  • deru
  • ベストアンサー率30% (479/1584)
回答No.3

なにを以って自己責任論者と言われるのかは分りませんが。 私もどちらかと言えば自己責任論者の方かもしれません。 「困難な状況」と言いますが例えば 仕事も真面目にこなさず、ギャンブルで借金をし、納税もせず、社会参加しない人間が生活に困ったからといって福祉に頼ろうとするのは間違いだと思います。 しかし、そうでなくどんなに一生懸命がんばろうが困難な状況になる場合はあると思います、その場合においては自己責任だとは思いません。

noname#82390
質問者

お礼

私自身は、「自己責任」という意識は自らに課すためにあり、他人に突きつけるものではないと解釈しています。何かあった時に、そうならないようにあらかじめ、「自分のことは自分の責任だ」からと手をうとうと努力する。しかし、それを、実際に苦しい状況にある人たちの向かって「自己責任だ」と突き放すのはわけが違います。ただ無情で、何も考えていないだけかと思います。「自己責任」で何でも片付けようとするのは、やはり非生産的かと。 なので、あなたの意見に半分は同意です。 どんなに頑張ろうと苦境に陥ることはあるんです。その人に向かって「自己責任」というのはあまりに残酷です。 ですが、 怠惰な人が苦境に陥るのは当然で、救済する意味がないという「お気持ち」は理解しますが、なぜそうなってしまった(なぜ自堕落的・自暴自棄になったのか)を理解しようとする努力が必要かと思います。社会問題と結びつけて想像力を働かせることが大事かと思いますが、「自己責任だ」と突き放しては何も進みません。

回答No.2

困難な状況にならないように、貯金をしたり 保険をかけたり、仕事に就けるような資格を取得しています。

noname#82390
質問者

お礼

それでも、病気で倒れてすぐに貯金が底をついて仕事もなかったら、どうしますか?

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