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自分に自信を持つ方法を教えてください!
私は、タイトルの通り自分に自信がないです。(長いかもだけど最後まで読んでほしいです!) 小学生の時は、何も考えずに、5分休みは一人で寝てたり昼休みは友達とおしゃべりしたりしてました。お別れ会とかの司会的な役もみんなと一緒にやって、そこそこ楽しい学校生活でした。 でも、中学生になって新しいクラスになってから、友達ができませんでした。 小学校の時は、友達もいたけど1人でも気にしてなかったので、「誰かと仲良くなろう」と思って話をしたことがあまりなくて、気を使う話し方をしたことがなかったからだと思います。 そうして中学生に上がり、1年生になった時、クラスの中に元々友達だった人は1人しかいませんでした。私は、当然その子と一緒に過ごすもんだと思ってました。でも、その子は違う小学校から来た人と仲良くなって、一緒に過ごすことは少なくなりました。 私はというと、同じ班の子がいっぱい話しかけてくれて、移動教室とかも一緒に行ってたんですが、班が変わってからそれもなくなりました。体育祭もあったけど、コロナにかかって、全然練習に参加できませんでした。最初はそれで練習に参加できなかったから友達が少ないんだと思ってましたが、数ヶ月経ったらぼっちになってました〜…。私と同じクラスで同じ部活の人は、普段は違う人と話してたので、部活でだけ一緒に話してました。部活では私が隠きゃら的なのはあまり広まってなかったので、群れという名の友達(といっても奇数だから余るねぇ…)はできました。 中学生になってから、友達が(クラスに)いないってことがすごい不安になりました。よく考えたら、小5あたりから新しい友達は作れてませんでした。この辺りから自信が弱かった(?)のかもしれません。 まぁそれで、友達が作れない自分はおかしい的な感じに思って、もっと自信が失せていきました。(私の勝手なイメージだけど→)中学校ってコミュ力の世界っていうか、勉強ができるとかそういうステータスが友達作りに大きく関わってくるじゃないですか…。だからまぁあまり相手にされることもなく…。 それで、そのステータスをあげようって思ったんです。自信が失せてきてた私は、もう前の自分の話し方を覚えてなくて、どうやって人と話すのかわからなくなってました。なので、話し方や心理学についてのサイトや動画をあさりまくりました。そのおかげで、話しかけられた時に、声が出せないことはあれど、心の中で返事の言葉を考えれるところまでは行きました。(勉強はそこそこできたので特に変わりないです) それから、部活の友達(群れ)と話したり、委員会が同じ人と話したりして少しずつコミュスキルを磨いていきました。だから今では、前よりは自分の話し方をおかしいと思ってないし、経験値いろいろ上がったので自身も少しはついたと思います。 ですから、少数ですが話す人とは普通に笑い合って雑談もするようになりました! だけど、私の話し方はいろいろ調べまくってできたものなので、いちいち心理学とかが頭にちらついてくるんです。純粋に仲良くなりたいと思っても、純粋に仲良くなる仕方がわかりません…!いつも常に空気をすごく読みながらじゃないと話せません。頭では、「変に空気を読まなくても良い、他者からの評価は自分の価値じゃない」みたいに自分の気持ちを押さえつけてるんですけど、その通りにはなりません。私は他者の評価を気にしてしまいます。もっと自分に自信を持てていたら、深い空気読みとかしなくても良いのかなって思います。 それで、自分に本当に自信を持つ方法が知りたくなりました。 そして、これからの人との関わり方が良くなるアドバイスを教えてください! 最後まで読んでくれてありがとうございます!
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- kzr260v2
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>>私は、話した後にいつも一人反省会をして、ダメなところは無くしていいところは伸ばせるようにどうしたら良いか考えています。それではだめでしょうか…? >>自分の映像を見るのは、キモいっていうか、ちゅうちしん?なんですかね、見れないと思います。すごく不快な気持ちになるので。 >>一人反省会よりも録画をしたほうがいいと思いますか? このように問いかけられた場合、私からのご案内は「質問主さんのお好みでなさってください」としか言えないです。 前回のご案内は、質問主さんからの「自信を持てる方法を紹介して欲しい」に対してのものです。それに対して私がご案内した内容は「ご自身を客観視できるようご自身を撮影し映像のチェック」でした。そして質問主さんは追加のご質問として「自分を録画してそれを確認するのはしたくない。今まで通りのやり方ではだめか?」みたいなことをおっしゃいました。 質問主さんが今回このサイトで質問なさったのは、今までのやり方では解決しなかったからではないでしょうか。にもかかわらず私からのご案内はお試しもなさらず「今まで通りのやり方ではだめか」とおっしゃられても、なにも提案できるものはありません。 もしかしたら、質問主さんのこの考え方が、現状をまねいたのかもしれません。質問主さんは今まで【必要なこと】【やらなくてはならないこと】を回避し続けたのではないでしょうか。これではなにも積み重なりませんから自信も人間関係も得られにくいです。 より具体的に説明いたしますと、「落とし穴には落ちたくないが、落とし穴があるかのチェックはしたくない。過去に落とし穴があった場所も覚えたくない。落とし穴に落ちたあとで『今回も落ちたなあ』と反省しているので、これで解決しませんか?」といった意味合いのことを質問主さんはおっしゃっているとご理解ください。 落とし穴だけが問題なら、お金を支払い、落とし穴のチェックをしたり、落とし穴の場所を記録したりする人を雇えばよいのでしょう。しかし、質問主さんの今回のご要望【自信を得たい】は、他の人に任せたら得ることはできません。質問主さんが適切な行動を積み重ねるしかないのです。 以上、参考にならなかったらごめんなさい。
- kzr260v2
- ベストアンサー率48% (852/1775)
冷静に事実を受け入れられる練習をなさると良いかもしれません。 1番簡単な方法は、質問主さんの普段の生活を撮影して、質問主さんご自身でその映像を確認することです。良いところは伸ばせは良いですし、悪いところは改善できます。ただ一般的に自分自身の声の録音ですら、違和感が多すぎて聞きたくないようです。 実際に録音や録画を確認したとき、頭で考えていた自分と、現実の自分との差が大きすぎて落ち込むかもしれません。しかし効果は絶大です。次に録音や録画をして、再び確認すると、思った以上に改善しています。 問題は「どうすれば普段の質問主さんを撮影できるか」になります。たったひとりで自撮りしても、改善点は見つかりにくいようです。それこそ同年代の人に助けを求めるしかないでしょう。三脚などにカメラやスマホなどを固定し、質問主さんだけ撮影されるよう工夫してみてください。お相手を録画する必要はまったくありません。 ※ 漫画や小説やドラマなどで身分の高い人が身分の低い人を迫害するのを見たとき、「自分だったらこう行動する」みたいなことを考えたことはないでしょうか。物語ではありますが、実際に自分自身が何をしているか客観的に見れなくなった人は沢山います。先ほどの身分の高い人が改心するのは、自身がしたことを理解できたときです。 ※ 自分自身を客観的に見ることができれば、自分のキャラクターに合ったやり方も理解できるでしょう。うまく行っていないときは、ほとんどの場合、目の前の現実を適切に認識できていないです。 ※ これはあくまでも私の個人的な説ですが、「考える」ことの1番大切なことは、できるだけ目の前の事実を適切に受け入れることです。例えば研究者が「こんな結果がでて欲しいなあ」と思って研究したら、『こんな結果』だけを集めてしまい、ねじまがった研究結果になってしまいます。私は何かを考えたとき、結論がでても、あらためて事実の受け入れに問題ないかどうかから見直しします。 今回ご案内した方法は、自分自身を客観的に見ることです。これだけでは質問主さんがすぐに自信を持てません。繰り返し自分の映像を見て改善を実感したとき、自然と自信になっているはずです。 最初は落ち込む可能性はありますが、繰り返せば落ち込まなくなります。がんばってみて貰えたら嬉しいです。 以上、参考にならなかったらごめんなさい。
補足
回答ありがとうございます。 私は、話した後にいつも一人反省会をして、ダメなところは無くしていいところは伸ばせるようにどうしたら良いか考えています。それではだめでしょうか…? 自分の映像を見るのは、キモいっていうか、ちゅうちしん?なんですかね、見れないと思います。すごく不快な気持ちになるので。 一人反省会よりも録画をしたほうがいいと思いますか?
- nakama08
- ベストアンサー率48% (110/225)
おはようございます。そうですよ。自分のことを許してあげることが第一歩ですよ。ありのままの自分でいいってことはね、今の自分であることを受け入れることです。どうすればそんなことができるのか?というとね、変わんなきゃだめだって思っていても限界はいつかきて、それ以上はもう無理ってのがわかるときがくるんです。そんなに苦しいのなら今の自分で諦めてあげること、それが愛です。今の自分に泣いてあげることそれが愛です。もう苦しまないでいいよって言ってあげられることそれが愛です。その苦しみは、言葉にできないから、自分にしか感覚でしかわからないから愛って誰も説明できないでいるんです。 愛は自分の中の限界でもあります。苦しまないとわからない人がいます。不器用な生き方てはあったかもしれない、それでも世界中のみんなを愛してあげることができる人になれたのです。それでいいんじゃないかな?だめかな?!わたしは、そんな自分に誇りを持って生きてます。 それが愛です。
補足
なるほど、苦しいことは諦めてあげることが愛なのですね。 参考になります!あなたの考え方はユニークですごくいいと思うし、好きです。 立て続けに質問して申し訳ないのですが…苦手(というかいいところもあるけど苦手なところが多い人?)な友達と一緒にいることは苦しいです。私は、自分のことも大切にしなきゃいけないと思って、その友達に○○されるとこんな気持ちになるからやめてほしい、と言ってきました。でも、きちんと話を聞いてくれるそぶりはないし、私が嫌な気持ちになってるってことをちゃんと理解できていないみたいです。私も前までその友達のような人だったかもしれないし、今からそうなるのかもしれない。そう考えると、距離を置いたり冷たくするのは自分がされたら嫌だから、優しくしてあげなきゃと思ってます。嫌なことを言われても、いい感じに流したりしてます。嫌だと言っても理解できないみたいなので…。 こういうのは、自分を大切にできているんでしょうか?正直、自分を大切にしすぎると自己中になってしまうと思います…。周りの人を大切にするには、自分の身を少しでも削らなきゃいけない。そもそも、優しくしてあげようとか思ってる時点で相手のことも大切にできているんでしょうか…? この友達のような人とは、どう関わっていけばいいと思いますか? 回答待ってます。
- pekoru777
- ベストアンサー率15% (72/458)
貴方様が思う何倍も何十倍も、他の人たちは「自分の事で頭が一杯」だと考えると気楽に生きていけます。実際そんなものかと思います。
お礼
確かにそうですね! 回答ありがとうございました!
- blazin
- ベストアンサー率50% (20251/40149)
自信は課金アイテムじゃない。自信ゲット!(もう大丈夫!)を先に得ようとしても難しい。あなたは自信という言葉に少し都合の良い世界を託し過ぎ。あなたが目指す自信とは・・・色々考えながら、小細工も取り入れながら、慎重に(失敗しないように)関わりながら、大丈夫かなと半信半疑も抱えながら、それでも何とかやり繰り出来ている自分を認めた時に翻って得られるもの。⇒あ、不器用な私なりになんとかやれているかも。他の人と比べたらモタモタしているし、余計な回り道も結構多いけれど、これも私(の個性)なのかも?まだまだ不器用の角がゴツゴツしている分、スムーズさや自然さは少ない私。それでも、他者とのコミュニケーションを通じて、少しずつ不器用の角は取れてきた(丸くなってきた)最初から自信満々の私なんてそもそも私じゃない。むしろ自信が無いからこそ、丁寧に他者と向き合えるんだ。深読みし過ぎて動けなくなってしまう事もある。考えれば考えるほど、じゃあ正解は?(不正解が怖い)そう考えて、何も選べなくなってしまう時もある。でも、コミュニケーションに正解不正解なんて無い。その時その時の自分「なり」に考えながら関わっていく事が大事なんだ。上手く出来た時も一つの経験だし、出来なかった事も等しく経験。そんな経験の貯蓄こそ、私なりにやれば良いんだ(≒自信)に繋がるんだ。心からそう思えた時、あなたは本当の意味で自信を得た状態になる。それも、人様にアピールするような力強い自信では無くて、不安定な自分を素直に認められる優しい波長の自信(自分を信じる、受け入れる)が身に付く。そんな優しい波長は周りの人たちも惹き付けていく。あなたから出ている肯定の波長が、絡みやすさとして周りに伝わっていく。そんな好循環の世界が今後待っているんだと思えるだけでも、あなたの心はワクワクするはず。大切にしてみて☆
お礼
経験を積むことで自分への自信も積み重なっていくということですね!確かに自信ってそんなにすぐに上がるもんじゃないですよね…!自分なりに頑張ったところを自分で認めて、自分なりに自身を尊重したいと思います。回答ありがとうございました!
- mario0529
- ベストアンサー率15% (452/2949)
いろいろなラジオをたくさん聞いて話を研究すればいいのでは?
お礼
確かにラジオを聞くと話し方が上手く学べそうですね!寝る前に流してみたいと思います。回答ありがとうございました!
- ayzm
- ベストアンサー率17% (187/1096)
コミュニケーションはいったん忘れることを勧めます。 そして自分の心を話し合いをしてください。 貴方が今一番したいことは何ですか、遊びでも勉強でもそれを誰にもまけなくなるまでやってください。 この遊びなら一番になれる、この勉強なら一番、これを作ったら一番になれる。 一つで良いです、貴方が一番になれるものを探すかつくればいいですよ。
補足
確かに、何か誇りに思えることがあると、自分に自信が持てるようになると私も思います! 私もそう思って、昔から習ってきたピアノや書道をもっと極めようと頑張りました。でも、同級生で同じ習い事をしてる人は、私よりももっと上手にできる人がいます。私、絵にはまぁまぁ自信があったのですが、ピアノを習っていて上手に弾けるし字も綺麗だし絵も上手で運動神経もいいっていう人がいます…。その人のことを思い返すと、負けられないから頑張ってもっと上手くなろうと思うことが結構あります。ですが、比較して、やっぱり私はあまり上手じゃないんだなと思ってしまうこともあります。 こういう人は、もう別の世界の住人だと思って諦めたほうがいいんでしょうか…? また、自信を持てるまで時間がかかる(ピアノなどは継続しないと成果が出ません)のは仕方のないことだと割り切った方がいいですかね…? また、おすすめの趣味などあればもしよければ教えていただきたいです…! 回答待っています!
- kaitara1
- ベストアンサー率12% (1154/9141)
先ずは自分ができることを丁寧にやっていくことに専念して、ほかのひとのことを気にしないで一週間経つと何かが変わると思う。自信があるというのは自分ができることを丁寧にやっていけることだと思います。
お礼
確かに…!!そうですね、そうします。 宿題とか適当にやったり生活習慣が終わってたりするのでその辺ちゃんと整えていきたいと思います…!!!きっとその辺をまめにできるようになれたら、できるようになった自分に誇りが持てますよね! 回答ありがとうございました!!
- nakama08
- ベストアンサー率48% (110/225)
一人ぼっちはつらいよね、でもそれは誰だって同じだよ。 貴女様の場合、完璧でないとだめだとか、○○でないとだめだ感とか持っているんじゃないかな?そうするとね、他の人も○○してないからだめな人というふうになっちゃうのね。 人間は、群れをなす動物で承認欲求ってものを持ってるから群れのなかで認められてこそそこに安心していていいんだになります。自分の存在もしかりです。○○でないとだめだっていうのは、自己否定につながって自分に自信が持てないのと、他の人も○○してないからだめだになって、この人だめだなってのがどこかに態度としてでてしまいます。何気ないそんな自己否定の振る舞いと人をだめだなって思う気持ちがあると人はよってきませんし、自分もそんなだめな人とは関わりたくないって、やっぱりどっかに出てしまいます。そういうのを無意識にやってしまうものなのです。自分では気づかないんです。 人間なんて不完全で未熟なものだから、失敗してもいいし、失敗しないと成長しないものだからどんどん失敗して成長していければそれでいいやぐらいがちょうど良いです。いきなり何でもかんでもできる人なんていませんよ。だって人は生まれて初めての経験ばかりなんだから。同じ経験なんでありません。いつも初めてなんです。そりゃ、同じような経験はあれど関わる人や状況ってものは少しずつ違うから何かが違うんです。人だって感情がコロコロいつもかわるから、同じことがいつもうまくいくわけないです。 どうでもいいや感をかもしだしてると、笑いがおきて、人を許せるようになるよ。許すことが、愛だっていうでしょ。愛ってのは、自分もみんなも不完全であるという認識から生まれる気持ちなのね。完璧でないとだめだからは愛はうまれません。不完全でいいやという気持ち から、愛はうまれます。みんなも自分も愛してあげてみてください。だんだんと人はよってきて、最後には恋人ができてるよ。 いきなりやってとはいいません。少しずつでいいからね。愛って本当に難しいんだからね。許すことが愛だよ。成長して愛をみつけるんだよ。忘れないでね。
補足
許すことが愛…!なるほど、その考え方は初めて知りました。 あの私漫画が好きなんですけど(急にすみません)確かに、私の好きな漫画に、「私のことを愛したければ世界を愛しなさい」みたいなセリフがあった気がします!!めちゃめちゃスッと入ってきてすごい今感激してます!!!ありがとうございます! 話戻ります。自分もみんなも愛す=自分もみんなも許すということですよね…。あなたのいう通り、私は友達の自己中なところとかを○○でないとダメ理論で許せなくて、よくキレたりしてました。今は、他人にも優しくしなきゃって思って控えてますが、心の中ではうわぁ…って思ってしまいます。許したいんだけど、心の中で許せません。その、小さなことにキレない力っていうか、寛容な心を持つにはどうしたらいいでしょうか…?やっぱり自分を認めることがはじめの一歩なんでしょうか? 回答待ってます…!
- I_novel
- ベストアンサー率50% (1/2)
学生でそこまで自身を磨き上げることに尽力なされることは、なかなか他の人にない素晴らしいことだと思いますよ。 自分に自信を持つことは、「自尊心」として表現されることが多く、この自尊心の上げ方は本当に人それぞれです。 他者からの評価だって、良いものは大切にしてもよいと思います。誰かから褒められるのは嬉しいことですし、それを相手に投げかけてあげるべきだという共感性も育まれます。そして、その評価を大切にすることが、自分を好きになることへの一歩にもなります。 自分で自分を評価することができるならばそれに越したことはないですが、誰しも自分の価値を見出すのは難しいことですし、なかなか周りからの評価を気にせずにはいられません。急ぎすぎず、あまり固く考えすぎず、徐々に自分を認めてあげたらいいと思いますよ! 私から見た質問者様の場合、心理学やコミュニケーション能力の向上方法を学び、かつそれを整理し、実践できる「思考力」と「行動力」は努力の賜物だと思います。その努力ができる、「向上心」だって、なかなか持てない人は沢山います。インターネットで顔が見えない相手にも丁寧な文章で接することができるのも、質問者様の持つ「優しさ」としてとてもよく伝わってきます。そういった能力や、ステータスではなく、「人間としての力(人間性)」は自身にとっても、他者に対しても幸福を生み出すためのとても大切な資質であるのではないでしょうか? そういったことは能力やステータスに比べてなかなか目立つものではありませんが、だからこそ自分が大切にしてあげるべきところなのではないかと思います。そんな自分を好きになってあげることが、質問者様の仰る「自分に本当に自信をもつ」ことなのではないでしょうか(^.^)/~~~
お礼
なるほど…!確かに、容姿や特技だけじゃなくて、自分のの性格や、今何かを頑張っている、ということにも自信が持てるのかもしれません。自分が何を頑張っているのか、工夫しているのか、とかそういうところに目をつけて誇りにしていきたいと思います。 回答ありがとうございました!
お礼
すみません、提案を否定するよう言い方をしてしまいました!私が優柔不断なのがいけませんね。 私は、他の投稿者さんがいっていたように自信は積み重ねて作る物だと考えが変わったので、反省会を積み重ねて成長していきたいと思います! 回避は確かに良くしてますね、誰かと二人きりになる状況を避けたり。でも、最近は少しずつ前向きに動けるようになってきたので、この調子で成長したいと思います! 回答ありがとうございました!