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生きる義務と権利の放棄

食べる(生きる)ためには働かなければならない 働かざるもの食うべからず というのは常識というか、摂理というか、そういったものだと思うのですが、では 生きていけなくてもいいから働きたくない 働かずにこのまま飢えて朽ちてしまいたい という風に思う人間、考えをどう思いますか? 出来るだけ多くの人の率直なご意見を聞きたいです。 よろしくお願いします。

みんなの回答

noname#79271
noname#79271
回答No.7

自分を否定したくなるほど病んでいるのでしょう。

noname#98710
noname#98710
回答No.6

全く問題ないと思います。 朽ち果てて死ぬその日まで、きちんと税金を払えるのであれば。

noname#79858
noname#79858
回答No.5

私も同じようにそう考えていた時期がありました。 働けるのに働かないというのは怠け者の極みです。 が、働きたくても働けない人もいるのでその場合は違うと思います。 どちらにも共通してるのは生きていくにはお金が必要ということにはかわりありません。

  • tokkn
  • ベストアンサー率35% (39/111)
回答No.4

生きることは義務ではないですが、何故に飢えて朽ちていきたいのか疑問です。果たしてそれで幸せなのですか、と思います。また、心が病んでるように感じます。 単純に働くのが嫌だから飢えて朽ちていきたいのなら、弱く甘い人間です。

  • saravanka
  • ベストアンサー率34% (31/89)
回答No.3

労働は国民の義務ともされていますが、本人が望んでいるならば個人的には別に良いと思います。 ただ、朽ちた後は家族か、または周囲の人、あとは警察とか(?)が死体や家などの後始末をしなくてはならないので、迷惑をかけてしまうかも。 しかし飢え死には苦しそう…。

noname#81264
noname#81264
回答No.2

確かに一つの面ではありますが、 それは、権利の放棄であって、義務と責任を遂行する事なく放棄することでもあります。 人間は、社会の一部品でもあり、役割があります。食べずに飢えるのは勝手ですが、社会に何か貢献はして下さい。今すぐ貢献できる事が見つからない場合、不本意でしょうが、何か食べて、出番まで生き延びて下さい。というような意見を私ならそういう人に言います。 簡単に朽ち果てられるほど、人間の生存に対する本能は甘くないです。

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.1

>働かざるもの食うべからず そういわれたら、こう言い返してやればいいんですョ 「人はパンのみにて生きるに非ず」

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