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人の心の温かさ

人の心を温かくできるような人っていますよね あまり親しくない相手から温かさをもらったり 逆にずっと一緒にいても感じなかったり・・・ 色々な人に温かくできる人もいますし 「愛がある人、無い人」と言う表現もしますね 無償の愛とでもいうのでしょうか 相手の立場に立って考えたり気持ちを汲んであげたりしても 「温かい」とは違う場合も結構あります そこで質問なのですが、日頃「人に温かく」を心がけている皆様はどんなことをモットーとされていますか また、「温まったエピソード」などありましたらお願い致します

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  • forever116
  • ベストアンサー率32% (485/1473)
回答No.5

30代♂です。 私は常に、自分がされたらうれしいことをしてあげて、 自分がされて嫌なことはしないということです。 私の住む場所は雪が多いのですが、家の周りの除雪をして いると温かい思いに出会います。 除雪していると、知らない叔父さんや叔母さんや、学校へ 行く子供たちなどから、 「ご苦労様です。」とか「おはようございます」と声をかけ られるのです。 普段ならそんなことは無いのですが、雪があるだけでそうした コミュニケーションが起こるのですね。 それに、近所の人の除雪や車に積もった雪よけを手伝ってあげ ると、しばらくしてから、食べ物や飲み物などを持ってきて くれて温かくなります。 でも、こうしたことは、一歩間違えると、単なる押し付けに なってしまい、逆に不愉快な思いにさせてしまうこともあり ますから、難しいです。 ただ、相手の笑顔が見たくて取った行動なら、どう思われよう とかまわないと割りきってはいますけどね(^.^) こんな行動の原点は、高校時代の通学電車の中から始まって まして、お年寄りに席を譲って、アメやお菓子やたくさん もらったものでした(^.^) もちろんもらえる事を期待しているわけではありません。 求めないと、与えられるということを学んだのですね(^.^)

totto03
質問者

お礼

温かさって意外と さりげない優しさ なのかもしれないですねぇ 温かさの輪が広がっていったらもうちょっと住みやすい世の中になるかもと回答者さまや周りの方々とのコミュニケーションを拝見して思いました。 ヒントになったような気がします ありがとうございました

その他の回答 (5)

noname#85935
noname#85935
回答No.6

> お年寄りに席を譲って、アメやお菓子やたくさんもらった(^.^) > 求めないと、与えられるということ(^.^) 都会では、いちいち席を譲るくらいでは当たり前すぎて、求めても与えられません。 本当にせちがない世の中になったものです。 (俺にもアメくれぇ~(^.^))

totto03
質問者

お礼

都会でも温かい人はたくさんいますよ そんなに悲観しないでください 以上で締め切らせていただきます 乱文でしたが質問の意図を読み取っていただき また、たくさんの回答に感謝します

noname#85936
noname#85936
回答No.4

(※ゴメンなさい。長文になってしまいました) 去年の紅白(NHK)であった話ですが、 ご存じのように浜崎あゆみさんは、前日のリハーサルもキャンセルするほどの大ケガを負ってしまいました。 そして、トップバッターとして歌い終わりました。 その時、SMAPの中居正広さんが「あゆ~、だいじょうぶ~」と脳天気とも思えるほどあっさりと声を掛けました。 当然中居さんも浜崎さんが大ケガをしたことを知らないハズがありません。 それには、浜崎あゆみさんがトップバッターとしてケガを負っているそぶりも見せずに盛り上げようとしている、その努力を無駄にしないために、あえてした「さりげない優しさ」だと思います。 しかし、仲居さんからするとそうすることのメリットは何1つもないのです。 本人以上に深刻な顔で泣きそうにして、声を掛けて上げれば国民の誰も中居さんを責めることはないでしょう。 また、その仲居さんの心ない(?)行動を見て「あゆも実はたいしたほどでもない」と思った人も少なからずいます。 昔からのあゆのファンならば今までにも何度も大ケガをしているので、いまさら売名行為でこのようなことをするハズがないのは百も承知ですが、普通の人にはわかるハズがありません。 そのように考えると、より深い優しさほど、誤解を与えるリスクが高くなります。(自分にだけではなく) それでは仲居さんは「実は何も考えていなかった」らば責められるのかと言えば、私は違うと思います。 過去の「美談」には、慌てて何も考えられなかった行動でも後で肉付けされ美化されたものが少なからずあります。 それでも、それはもし自分がそのようになった場合のお手本として、たとえ美化されたものであっても、それが正解となるのです。 結論として、優しさなどは実は限りなく受ける側の問題なのだと思います。 「人の評価は自分がするものではなくて、他人がするもの」と似ているのではないでしょうか。

totto03
質問者

お礼

>「人の評価は自分がするものではなくて、他人がするもの」 その通りですね!私のまわりにも酔うと「俺はすごいんだぜ!」 って人がいます 確かに凄いんですが押し付けられるとちょっと・・・と思ってしまいます 優しさも似たようなものかもしれませんね

  • Butz
  • ベストアンサー率14% (70/483)
回答No.3

こんばんわ★ >日頃「人に温かく」を心がけている皆様はどんなことをモットーとされていますか とにかく自分のできる事は最大限こなす事ですかね。損な役であっても自ら買って出ます。 そこには自分が嫌な事と思っていてもする事があるので、正確に言えば偽善になるのかもしれないとは思います。 でも偽善もまた善なりと思ってやりますね。 相手が喜ぶ顔を見れると思ったら損な役も悪くないですから。

totto03
質問者

お礼

人ってなかなか自分にとって損なことはできませんよね そこで覚悟を決めていたら、相手がたとえ嫌な顔をしたとしても 「自分が決めたこと」と納得できるかもしれませんね。 自分の心を広げることを目標に、やれることからやってみようと思います。

noname#140045
noname#140045
回答No.2

たぶん質問者さんの望んでいる答えとは違うと思うのですが、あえて書かせて頂きます。 私は「自己責任」がベースとしてあるべきだと思います。 つまり「人の心の温かさ」と言うと何かをすることが、良い事かの思いがちですが、必ずしもそうではありません。 (特に仕事の時などでは)見て見ぬ振りをするのが実はその人のためであったりします。 もしかしたら、そうされた人は恨むかも知れませんが、意地悪でなくそれは時として必要な優しさでもあります。 そしてのちにこの親切に気づく人、気づかない人など、親切にする人、される人、感じ方は千差万別です。 そのようにして考えると結果として自己責任で、つまり「相手がこのような態度だから、私は仕方がなくこうした」など自分の行動を相手の責任にしてしまう人は、本人がどんなに優しい気持ちでも、限りなく偽善に近いものと結果としてなると思います。 あまり望まれた答えにはなっていませんが、これが私の考える優しさであり、心の温かさです。

totto03
質問者

お礼

そうなんですよねぇ 優しさって時には厳しいものですものね。 自己責任の優しさって、人に判り辛く自分にも判り辛いものなんですよね。 その厳しさの先にあるフォローが「暖かさ」なのかもしれませんね。

  • chupaku
  • ベストアンサー率25% (460/1781)
回答No.1

決して自分がした事に「見返りを期待しない」。 その人のために自分がした事で自分がひどい目にあっても、恨まないでいられるのなら、手を出し、出来ないのなら、中途半端に余計な手出しをしない。 人のためになる事は時として何でもしてあげる事ではなく、後々のために時には厳しい助言や対処も必要でしょうね。 「甘え」と間違ってしまうとやっかいですから。判断するのが難しいでしょうが、自分がその人の場合を考えるとわかりやすいし、 逆に客観的に見た場合にどうしたらいいかがわかる場合もありますね。 あえて何もしないで、気がつくまでほっておく事も無くはないですね。

totto03
質問者

お礼

>その人のために自分がした事で自分がひどい目にあっても、恨まないでいられるのなら そこが難しいところなのですよね・・・って考えてしまうところが人間的な小ささ(偽善)なのですよね。 理性と感情を仲良しにしたいところです。

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