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皆さんの大江論を聞かせてください
こんにちは! 以前私は大江健三郎氏の短編集を読みました。 それは「見る前に跳べ」「喝采」「不意の唖」などでしたが、私はコレットの「青い麦」のような青臭さ・生々しさを強く感じたのです。 そして最近になり「静かな生活」を読むと、雰囲気もガラリと変わり、訴えようとすることがとても明確に伝わってくると思いました。これは恐らく光さんの影響だとは思いますが・・・ そこで、皆さんに大江氏の小説について思うところを、どんなことでも良いので語って頂きたいのです。 要領の得ない内容で申し訳ありません。 よろしくお願いします。
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- masatoshi-m
- ベストアンサー率37% (97/262)
大江健三郎氏の初期の作品群は未だに他人に勧めることがあります。もう30年近くも以前に読んだきりですから詳しい内容は殆ど忘れてしまいましたが、当時出版されていた大江健三郎作品集を買おうと決心させたぐらい、新鮮な感動を受けました。特に「芽むり仔撃ち」「飼育」「死者の奢り」等は圧巻でした。soir50さんも挙げていらっしゃる「見る前に跳べ」も面白く読んだ記憶があります。しかし私の大江体験は中期まで持ちませんでした。勿論後期は言うに及ばず・・・ 気になる作家だったので一応は買ってきて手元に置いておくのですが、気が進まないんです(笑)。「なら買うなよ」という話になりますが、ここ10年以上はもう買うことすらありません。 簡単に言えば、その文体についていけないのです。若いときには「読むエネルギー」に溢れていましたから(笑)何でも読破できましたが、徐々にエネルギーが枯れ始め(ぉぃ)、好みがはっきりし始めてきたということかもしれません。「ピンチランナー調書」も開いては閉じ、閉じては開いてつらつら眺めておりましたが、とうとう読了できませんでした。それ以降、大江作品には触れておりません。「文体」の持つ力というものは侮れませんね。彼の思想、哲学云々以前に、私はその文体の前に屈して(?)しまったわけです。しかし、こういう私でも、やはり彼の初期の作品群は高く評価しています。今読み直しても当時と変わらぬ感激を覚えるような気もします。読み直したいという気持ちはいつも持っているのですが、次から次へと面白そうな本が出版され、仕事も年を追うに連れ忙しくなり、時間が、時間が・・・(泣) >どんなことでも良いので語って頂きたいのです というsoir50さんの言葉に甘えて、私も論評にもならぬ自分勝手な意見を述べさせていただきました。大変失礼しました。
- Singleman
- ベストアンサー率24% (143/576)
「大江論」と「どんなことでも良い」に甘えて たぶん期待に添えないとは思いますが書かせてもらいます、 私この人あまり好きではありません、何冊かの本もトライしましたが、 難しすぎて2ページ目に進めませんでした、 日本語ですが理解出来なかったのです、若き日の事でした。 英語に訳すと外人には理解出来たらしくノーベル賞もらいました、 メディアの人も本当はそんな風に思ってはいるが口には出せないので、 扱いが冷たいのだとかってに解釈しておりました。 その後日本の文化勲章は何故か拒否しました、 どうもヨーロッパの文化は高等で日本の文化は下等だと 考えているんだなとやはりかってに解釈しました。 その後何かの記事で氏が北朝鮮を賛美していると知り ますます嫌いになりました、 青いまま成長できない人なんじゃないのかなとかってに思っています、 かってな事ばかり書いて文学論でも無く誠に申し訳ありません。