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明日スノボに行く予定なのですが
ガザの子供が左足の膝下半分がなくなって父親に抱かれて、 病院に行く事もどうすることもできない写真を見てしまい ものすごく動揺しています。 それ以上の写真もいくつか見ました。 この子は一生スノボをやることはできないし、普通に走ることもできない、 むしろあのまま大量出血でなくなったかもしれない、、、と思うと なぜ私はわざわざ怪我をするかもしれないというリスクを犯してまで 遊びに行くのだろう? 足のなくなった子供が日本で平和にスノボをやっている私たちを見たらどう思うだろう? と、申し訳ないというか情けない気持ちになってしまいます。 明日は自分ひとりで行くのではないので 私が行かないとなるとキャンセル料など多少の迷惑がかかります。 しかしこの気持ちを一緒に行く友達に話しても せっかくみんな楽しみにしているのにマイナスオーラを出すだけなので言いたくないです。 だからって私はデモや募金などの行動すらおこしてない。 ただネットやテレビでの報道を聞くだけしかしていないです。 なので私は偽善者でしかないのでしょうか? この気持ちのままスノボへ行っても楽しめないような気がします。 何かご意見ください。
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もう、ソノボには行かれているとは思いますが。 「あなたが不幸を感じても、誰も得しない」ということです。 あなたに出来る限りの範囲で、ガザに対する募金をすることをおすすめします。(インターネットで、調べると、たくさん出てきます) 友達には、その話はしても良いと思います。多分、あなたが思うほど、深刻には考えないと思いますが。 大体、そんなことを言えば。世界には、飢えで死ぬ人も大勢いるし、人身売買とか、いわゆる、性奴隷?、売春のために、そういう場所に売られている女の子も大勢いるのですから。(男の子は、5千円ぐらいで。女の子は1万円ぐらいだとか) でも、それに対して、真剣に自分のことのように考えている人はほとんどいない訳で。 ある人の言うように。「少しの善意で救われる命があります」と。でも、大抵の人はそれをしないから。世界には、飢えとか、人身売買とかが絶えない訳で。 戦争を止めさせるのは、一個人の手には余りますが。たった一人の手で変わる事象もあるということで。チャイルドスポンサーとか。 「アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない」という本を書いている人がいます。ということは、「アメリカ人のうち、イラクの場所を知っているのは、人口の1割か2割もいない」ということになります。で、イラクの人の不幸とか、アフガニスタンの人の不幸とかを考えたこともない人が、イラクに対する戦争とか、アフガニスタンに対する戦争とかを、支持する訳ですね。 自分を無力だと考えないで。もう少し真剣に考えてみることをおすすめします。
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心にぐさってきちゃいますよね。お気持ちとっても理解できます。 偽善者と言ってご自分を責める必要はありません。あなたのような人は恵まれた国にたくさんいると思います。私もそのテの写真、報道には心をいためます。しかし実際にその国へ出向き、誰かを助ける勇気はありません。口に出すのは簡単ですが実行するには難しいことなのです。恐怖もあります。費用も必要です。かわいそう、助けたい、なんて口先だけなのかもしれません。 優しい人は、自分が可愛くて、自分が大切で、でも誰かを助けたくて、そんな歯がゆい気持ちを持っているものだと思いますよ。 明日、行けば楽しいかもしれません。行きたくないのなら、お家にいてもいいと思います。キャンセル料はもちろん自己負担ですが‥。どちらの選択でも間違いではないと思いますよ。
お礼
結局行ってきました。 なんだかんだ楽しんできてしまいました。 ただ実際口だけで自分が楽しければほかの事を忘れてしまっています。 ご回答ありがとうございます。
お礼
スノボは結局行ってきました。 確かにそんなことを考え出したらきりがないですね。 こんな自分にもできることは何かをもっとよく考えてみる事にします。 ご回答ありがとうございます。