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進化した生物ほど未熟な状態で生まれてくるってどういうこと?

先日、このQ&Aで以下のような質問をしました。 Q 鶏の雛は孵化してからすぐに自分で餌をついばむが、ツバメの雛は巣の中で親が餌をくれるのを待っている。   この違いを専門用語でなんと言いますか?   またどちらがより進化した生物ですか? A 早成性、晩生性、または離巣性・留巣性とも言う。   赤裸で生まれる晩成性は新しい生き方なのでしょう。 ここでまた疑問がわきました。  誕生した後、成長するために親の負担が少なく、すぐに自立歩行したり、自分で餌をとったり、外敵が襲ってきても可能な限り自分で逃げることが出来る生物ほど、原始に近い生物であり、  逆に誕生した後も親から餌をもらったり、自立歩行・自立行動が出来ず巣や棲家の中に庇護されて外敵から守ってもらったりする期間(子育て期間とでも言うべきか)が長ければ長いほど進化した生物、ということになります。  動物紹介の番組などではよく次のような説明がなされます。 「草食獣は生まれてすぐに自立歩行する。野生の草食獣は肉食獣に襲われたとき、自分の足で逃げる以外の方法がないからだ。  肉食獣は生まれた後、親に守られながら生長期間を過ごす。野生獣の食物連鎖の頂点に位置する彼らは外敵が少ないので親が外敵から守ってやることが出来るからだ。」 しかし「進化」という言葉の捕らえ方の問題になるかもしれませんが、「親に近い状態」で誕生する生物が原始に近い生物であり、「未熟な状態」で誕生するというのであれば逆だと思うのですが。 未完全な状態で生まれて、親の手を煩わせて子育てさせて、死亡率の高い乳幼児期間を母体(あるいは卵)の外で過ごすのであれば、これは「進化した生物」とは言えないのでは?  子育て期間は親は子に懸かりっきりになってしまい、自分のことは後回しです。下手すれば親子共倒れになります。 むしろ「進化した生物」であれば、細菌の細胞分裂のように、親とそっくりのコピー状態で生まれてきてもおかしくないと思いますが。 なぜ未完全な状態で生まれてくる生物ほど「進化した生物」なのでしょうか?

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noname#160718
noname#160718
回答No.4

 少なくとも生物学上の「進化」という言葉は、ある一定の方向性を持った「改善」であるという意味はありません。それどころか「改善」という意味すら含みません。  「進化」の定義は生物学でもその分野によって微妙に異なるのですが、分子生物学では遺伝子上の塩基配列が1つでも異なれば、例えそれが実際の形質に何の影響も与えなくても、それどころかコードするアミノ酸に変化をもたらさなくても、それを「進化」と呼びます。  もっとマクロ的な生物学では、「ある遺伝子集団内での遺伝子頻度の変化」をもって進化と呼びます。古生物学などでは、形態に変化をもたらさないと「進化」とは呼びません。まあ古生物学では形態以外に生物を測るパラメータがないからでもありますが。  でもこれらは決して無関係なのではなく、中立進化論などが分子生物学的な「進化」と進化論を強力に結びつけたりしています。  それと誤解されているのは、現世の生物で「進化のヒエラルキー」があるわけではないという点です。つまりヒトはサルよりも進化した生物である、というのは生物学的には間違いです。  全ての生物の共通祖先は1つですから、現在地球上に存在する全ての生物は、その共通祖先から「等しい時間」をかけて進化を続けてきて現在に至っているわけです。つまり全ての現生生物はみな現時点で「進化の頂点」にいる生物です。  ただ、今も海に住んでいる魚類とヒトでは、同じ40億年の間に重ねた「変化の量」は異なりますから、魚類の方がより「遙か昔の古生物の面影を残している」ということは言えるでしょうけど。  つまりそれぞれの生物は、自らの生息する環境や生き方によって、最適な形質を進化によって獲得してきたわけです。全てが進化の頂点なのです。  ただ、胎生は卵生のモデルチェンジですから「ほ乳類の方が魚類より進化した生物だ」というのは、別に間違いではありません。  ある特定の形質に着目すると、現生生物でも最も原始的な形態から"当面の完成形"と言える形態への一連のモデルは追跡できたりします。  例えば「眼」ですが、これはヒトが最も"進化した"眼を持っているわけではなく、ヒトよりもっと優れた眼を持っている動物はいくらでもいるわけです。ですがとりあえずヒトのような「レンズを持っていてピント合わせと絞りの調節ができるため、距離と明るさに拘わらずたいていの対象物をしっかりと見ることができる」という眼を「当面の完成品」とすると、眼がない生物から感光点を持っているだけの生物、その感光点がくぼんでいるためある程度の方向感知能を持った生物、くぼみが深まり「ピンホールカメラ」のようになった生物(このあたりから"像"を認識できる)、ピンホールにレンズが付いた生物、そのレンズを筋肉で動かすことができ"ピント調節機能"を獲得した生物・・・というような「眼に関する一連の進化」を再現しているような生物がいます。  で、問題は「出生する子供の成熟度」に、そのような「一連の進化の方向性」があるかどうかです。  結論から言うと「ない」というのが正解でしょう。  「眼」の場合は、外界を視覚によって認識するための必要要件というものがあって、それを全て満たす形態が「当面の完成形」であり、それに至る進化の過程というのがあるのですが、繁殖形態に関しては「子供を体内である程度まで育ててから外界に出す」ための「子宮」という臓器そのものが「とりあえずの完成形」なのです。  もちろんその子宮にもいろいろなバリエーションがあるのですが、それらは必ずしも一連の進化の跡を追えるようなものではありません。  つまりヒトの子宮が「最も進化した子宮」であるとは必ずしも言えません。ヒトの子宮は複数の子を育てるのには向いていないのですが、それならば時には20匹もの子供を育てられる豚の子宮が「最も進化した」子宮でしょうか?  そうではないですよね。子供の数はそれぞれの動物種の「都合」で決まるものですから、ヒトが20人の子を持てる子宮を手に入れる必要はないわけです。  子供をどの段階まで育ててから外界に出すか、というのも、子供の数と同じく「その動物種の都合で決まる」些細なパラメータのひとつに過ぎません。  一般的に、草食動物は被補食動物ですから、自力で行動できない子供は補食される危険性が飛躍的に高まります。なので「生まれ落ちてすぐ自力で歩いたり走ったりできる」子供が有利です。  そういう制約がなければ、子供はある程度未熟状態でさっさと出してしまった方が母胎への負担が軽くなるので有利になるわけです。  そういう一般論で片づかないケースも数多くあるでしょう。  ヒトも一般論では片づかない生物のようです。  少なくとも類人猿から分岐したばかりのヒトは、生息していたアフリカのサバンナでは完全な「被補食動物」でした。ですから一般論的に言うと「子供を大きくしてから産む」方が有利だったはずです。  しかしヒトは身体能力や牙などの形態ではなく、知能を発達させることによって環境に汎用的に対応できる方向に進化し始めました。  すると脳容積が増えて頭が大きくなりますから、分娩にたいへんな負担がかかるようになります。  またヒトは直立歩行を獲得したのですが、そうすると骨盤が締まるのでなおさら大きな子を産むのは難しくなります。  つまりヒトは「未熟児で産まざるを得なかった」のです。  ヒトは生後1年も独力で立つことすらままならないという「超未熟児」を産む割に、出産時の母体の負担は全ほ乳類中でも最大クラスですから、これがいわばギリギリの妥協点だったわけです。  クマは冬眠中に出産します。だいたい2月くらいです。  交尾するのは冬眠が明けて間がない5~6月頃です。すると妊娠期間は8~9ヶ月ということになり、ヒトや牛と変わらない妊娠期間なのですが、生まれてくるのは数百グラムという超未熟児です。(だからといってクマの方がヒトより「進化した」動物というわけがないですよね?)  これはどういうことかというと、春に交尾して受精した受精卵は、すぐに着床せずに子宮の中で発育を止めたまま浮いた状態になっているのです。実際に受精卵が着床するのは冬眠に入る頃です。半年くらい子宮の中で遊んでいることになります。  これは、秋は冬眠に備えて食い込まなければならない時期ですから、この時期に交尾も出産もするわけにはいかないわけです。  かといって冬眠中に3kg(標準的な親と子の体重差だとこのくらいになる)の子を産んでしまったら、エサがないから冬眠しているわけですから、その子らはのきなみ飢え死にしてしまいます。  とすると、進化の戦略上は「交尾は春にして、冬眠中に超未熟児で産む」というのが確かにベストですよね。  また、秋まで受精卵を「保留」しておければ、食べ物が不作で冬眠までに十分食い込むことができなかった場合は、その受精卵を「破棄」してしまえば良いわけです。食えなかったのに妊娠が継続して出産してしまうと、親子共々飢え死にしてしまうリスクが高いですから。  というように、どのくらいの大きさの子をいつ産むか、というのは、それぞれの動物種の「都合」で決まるものです。決して「進化した動物ほど未熟児で産む」などの単純な方向性があるものではないのです。

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質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 誕生したときの成熟度と生物の進化とは直接関係がないことがよくわかりました。

その他の回答 (13)

回答No.3

 学術的な意味での「進化」というのは「高次元の生き物に変化する」というのではなく、単に「環境へ対応した形態を持つ」ということだと考えたほうがいいでしょう。特殊な環境に対応するため余計な機能は捨てて単純な生命になるのも、さまざまな環境に対応可能な多くの機能を持ち複雑な生命になるのも、どちらも「進化」のあり方。「進化のレベル」というものはありません。

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質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

  • otx
  • ベストアンサー率44% (256/576)
回答No.2

私にはなんといいますか、単に言葉遊びというか とらえ方であるだけで、たいしたことでないと思いますが・・・。 まず、1つの視点として 子供の状態(生まれてくるとき)だけに目を向けるとします。 そうすると、例えば 馬の赤ちゃんはすでに親と同じ姿かたちで動き回る 人の赤ちゃんは自分で何もできない これだけをみれば、馬が「進化」していると思う人がいるかもしれません。 次に、親だけに目を向けるとします。 そうすると、例えば 馬はすでに親と同じように動きまわる子どもを世話する 人は一人では何もできない子供をさまざまな方法で世話をし、育てる これだけを見たら、人が「進化」していると思う人がいるかもしれません。 だって、馬の親に人の赤ちゃんを育てろといっても無理でしょう。 逆はできると思います。 何かの「項目」を決めてそれぞれにおいて、進化しているかどうかは決めてもいいですが、 その「項目」がその動物の進化の度合いのすべてを物語らせては どうなのでしょうか? 子供が親とそっくりである=その種は進化している ではないと思います。 ボクシングの世界チャンピオンであるからといって、 人の中で最も進化しているということはないでしょう? ノーベル賞を取る人も進化しているかもしれませんし 大食いできる人も進化しているかもしれません。 ある一項目だけをとって、その種のすべての評価するのは 無理があると思います。

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質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

  • toshipee
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回答No.1

 専門家じゃないだけに、幼稚的考えで推論してみます。  進化した種は、食物連鎖では上位に位置するはずです。つまり外敵が少ない。知恵も持つ。故に親になれば生き残る確率は極めて高くなる。一方、子供は進化した種ほど、未成熟で生まれるのは、人間においても明らかです。サバンナに産み落としたら、死ぬ前に食われてしまうでしょう。それはなぜなら、親がいれば護る術を知っているからと考えられます。また、生物の細胞分裂の過程から見ても、人間も腹の中で、細胞が魚類のような形から、だんだん進化の過程をたどって人間の形になるのは有名な話ですよね。その最後あたりが一番進化した種だ。すなわち、親が護って種の保存の術がある程度確立しているので、種として一番新しく一番不安定で、赤ちゃんとして未完全なまま生まれるというのは理にかなうと思います。故にそれが一番進化した種と言えると思います。親そっくりのまま生まれる種は、マイナーチェンジが行き尽くした種と考えればいいのではないでしょうか。

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質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。