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九尾の狐の伝説はインドでもありますか?
日本では、九尾の狐はインドから中国経て日本にきたことになっていますが、実際にインドにも九尾の狐の伝説ってあるんでしょうか? そして中国に行ったことになっているんでしょうか?
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九尾狐が三国伝来の妖狐という物語は、中世の日本で作られたものです。ですから、インドに九尾狐の伝承があろうとなかろうと構わないのです。 承応二年(1653)の『たまものさうし』では、玉藻は二尾の狐であり、天竺(インド)では班足王の祭る塚神となり王の命を奪い、震旦(中国)では周の幽王の后となって王を殺した。 日本では仏法を滅ぼし、帝の命を奪って日本の王になろうとした・・・ という物語で、この妖狐を射落とすと腹に仏舎利(釈尊の遺骨)があったので、それを鳥羽法皇に献上するというくだりがあります。 田中貴子氏によれば、中世では仏舎利は王権の象徴でもあったので、王になろうとした玉藻から、鳥羽天皇に仏舎利が渡るというのは、三国伝来の仏舎利奏上、つまり王権の正当性がこの物語から伺われます。 だからこそ玉藻は天竺、震旦で世を荒らしてきたという前提が物語に必要となったのでしょう。仏法の敵対者としての玉藻のイメージをより強力にする演出かもしれません。 二尾であった玉藻は後世に九尾へと変化しますが、九尾狐の伝承そのものは中国の『山海経』では悪獣と、『白虎通』では瑞兆の兆しとして登場し、日本でも『延喜式』では神獣とされるなど、必ずしも悪いイメージではなかったようです。 【参考】 『狐の日本史 古代・中世編』(中村禎里:日本エディタースクール出版部) 『外法と愛法の中世』(田中貴子:平凡社) なおダキニがジャッカルの化身で云々という説をネットなどでよく見ますが、これは全く根拠のない珍説です。おそらく、中世に霊弧信仰とダキニ天信仰、そして稲荷信仰が結びついたことで、狐に乗るダキニ天という図像が日本で作られたのを、インドのダーキニーもこのような姿をしているのだと誤解し、その根拠、文献も当たらないままに広まったのでしょう。高野山大学のチベット密教専門教授にも、ダキニがジャッカルの化身でという話を紹介したら失笑してましたから。
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- ftogsr1974
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インドのダーキニーは、屍肉を食らうジャッカルを神格化したとの事ですが、日本にはいない為「キツネ」が代役とされたようです。 元々インドで仏教が広まり(ヒンズー教に席巻されましたが)、中国にわたり「ダキニテン(漢字が分かりません)になりました。 でも悪神のように語り継がれていますが、実は五穀豊穣の神様として、大切な神様。日本でも祀られていますね。 「玉藻の前」の伝説が「九尾の狐」として日本で語られています。 インド中国で悪さの限りを尽くし、日本に渡り絶世の美女として鳥羽上皇の前に現れたぶらかし日本を乗っ取ろうと企てます。 でも陰陽氏阿部泰成に見破られ退治されます。が、その大狐の死体は死した後も「殺生石」となり行き来する人の命を奪う。 その後、玄翁和尚が金槌で打ち砕くまで、この噴気は止まりませんでした。 その伝説により金槌を「ゲンノウ」というのはご存知かと。 仏教の伝達に付随し、色々な解釈もあったのではないでしょうか。 ド素人の戯言ですのでお許し下さい。
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ありがとうございます。
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