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上司に敬語を使って部下には命令 差別じゃないの?
- 上司に敬語を使い、部下に命令することは差別ではありません。
- 上司が偉そうな態度をとることに対して疑問がありますが、偉そうな上司もさらに上に叱られることがあるため、叱ることが正しいと判断されています。
- 偉い人は目上・目下に関わらず平等に接するべきであり、上司に対する態度をとがめることは器が小さいとされています。
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人間はみな平等なのではないですか?(天は人の上に人を作らずなのでは?)・・・・・・、まさにその通りです。人間は基本的に平等であることは事実です。ただしそれはあくまでも「基本的」にということ。 つまり、分りよく言い換えれば、まずスタートラインでは人誰もが同じ条件下にあること、つまりここでは完全に平等だということは誰にでも分ります。そして、一旦スタートラインを出たら、あとは機会均等の原理によって、あくまでも平等な条件下での競争が始まります。 そのような常に平等な条件下で、ある者は努力して勉強に励んで知識や技術を蓄え、ある者は体力を鍛えて運動能力を高めようとします。 その反面、ある者はダラダラとした気楽な生活を好み、ある者は反社会的行為に走ることもするでしょう。 こうして自由平等な条件下で好き勝手に活動したことによって生じた結果、それはつまり自由平等の上に出来上がった格差です。 その考え方からすれば、当然のことながら上司は偉いのです。平社員にしかなれない「あなた(ご質問者さまではなくて一般的な凡人の)」には課長になれる力は無いし、課長は部長にはかなわない、部長も社長にはかなわない・・・・、そこには厳然とした力の差、つまり格差というものが出来るのです。 もしそれがウソだと思うなら、試しに社内の誰をも凌ぐ優れた指導力や考察力を示して、まずは課長の座を、次ぎに部長の座を、そして社長の椅子を奪うことに挑戦してみれば、それがどういうものか分るでしょう。 つまり、ここまで来たらそれぞれの立場「人間のステイタス」は平等ではないのです。平等な条件下で競い合って得た結果の程度がそれぞれ違って来たからなのです。もちろん、人間である以上、課長とて部長とて、そして社長とて「完全」ではありません。それでも、「あなた」よりはどこかが優れているのです。ここまでが設問1と設問2への答えです。 そして、偉い人には丁寧な敬語で話しかけるのは・・・ご質問にもお書きのように・・・当然のことです。 偉い人がそれなりにやけに偉そうな態度を示す・・・これだって当然のことです。 さらに、偉い人が部下である「あなた」に向って命令したり叱り付けたりする・・・・これも当然のことです。 たとえ、その内容が理不尽に間違っていても、「あなた」よりもより優れた偉い人のたまたまの判断ミスですから、「あなた」のそれとは格が違う・・・つまり、これも仕方がないことなのです。これが設問3への答えです。 あとはその人次第、設問4にあるような、さらに上の者に向ってヘコヘコするか、それとも自身を信じて泰然としているか、さらには下の者に対してどういう態度を取るか、それもまた自分で決められる自由の結果です。そうした態度として現れる「器」が小さいか大きいかは、「あなた」がその立場に立って見なければ分らないことです。 もしそれが悔しかったら、「あなた」はさっそく明日から、彼ら偉い人たちを次々に凌ぎきって、やがては彼らすべての上に立てばいい、それだけのことです。そして、その努力をする機会もまた、自由平等と機会均等の原理で「あなた」に保証されているのです。これが真の「平等」というものです。 さあ、分りましたか?、分ったらがんばりましょう。そして、「あなた」が一旦、少しでも今よりも上の立場に立つことが出来たら、こんな内容の質問なんか書く気にもならなくなるでしょう。
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- SE 浪人(@nori761)
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1、人間はみな平等なのではないですか?(天は人の上に人を作らずなのでは?) >上記は理想論であり、古くから金は天下の回り物と同じに どの場所にいても 人との繋がりは絶えずあるのだから 人間関係・わずわらしさを感じて嫌なら、頭取になってみれば!? まだまだ、あなたの世界が小さい様に感じます。(井の中の蛙) 2, 上司がやけに偉そうな態度をとる。トップならまだしも その上司の上もいるんだし、偉そうな態度って滑稽じゃない? ジャイアンにペコペコ、のびたに偉そうなスネオみたい。 偉そうな上司もさらに上に叱られる事があるじゃない。 完璧じゃないのになぜ人を叱れるの? その叱ってることが正しいって保証ないじゃん。 >だからこそ あなたより責任負担が多い分 予想被害を最小限に食い止める為に指摘する権限者だからです。 3、本当に偉い人は目上、目下に限らず平等にするんじゃないの? 目上に対する態度をとがめるなんて器が小さいのでは? >皆おいそれと、人のすそを踏む行為等していては先へと進み出ることさえままなりません、結果的に目的が同じでも手法(戦略)がことなります。 4、自分の上にいるA上司とB上司、Aは目上に対する態度をきにするけどBは気にしない。どっちが偉いですか? >それは性格論であり、質問者様は男性(かもしれない前提)だけど女性と男性どっちが好き? 僕は男性が好きなんだなぁと訪ねているのと変わりません。 *こういった 質問は愚問でありあなた自身の人間性が垣間見えるようです。世間に質問を投げかけて回答貰うより 自己を高めては? *あなたが思う気持ちは誰しも持っています。(私も持っていたので、現在は会社経営する立場です。) *自身が子を持ち 親になれば 幼い時の親の気持ちが良く解るのと同じに感じます。 自己精進をお勧めします。
人としてじゃなくて役割の上下関係じゃないでしょうか。 これはこういうものだとして、受け入れるしかないと思います。
- Devil-Ear
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1.そんなの建前です。世の中に上下はあり、天(神?)は在りません。 2.上司だからです。 3.貴方が本当にこの世に上下が無いと思っているのなら、そんな事気にしないはずですよね? 4.どっちも上司なら貴方より偉いんです。 さて、最後のまとめですが、それは差別ではなく区別ですよw
1あなたは、何に対して平等と言っているのでしょう? 人間の能力は皆に平等に備わっているわけではありません。 仕事の役割は皆に平等ではありません。 人格は法のもとに皆に対して平等に尊重されねばなりません。 2上司がやけに偉そうな態度をとるのは確かに滑稽ですね。 本当に偉い人は、偉そうな態度はとりません。 叱るの言葉の使い方を間違っていませんか? 大辞林によると、「(目下の者に対して)相手のよくない言動をとがめて、強い態度で責める。」です。上司が部下を叱るのは仕事のひとつです。組織の生産性、品質を上げるために、よくない言動をとがめるのです。「叱るという行為は文句をいうなという意味も含まれていると思っています。」は違います。叱る時に相手を納得させる事が出来ないようでは、叱ってる意味がありません。その場合、上司に叱るだけの力量がないか、部下に理解出来るだけの能力がないかのどちらかです。 3本当に偉い人は目上、目下に係わらず人格を平等に尊重します。 相手の人格を尊重すれば、上司、部下の立場に係わらず、日本は儒教の影響を受けた国ですから、おのずとそれなりの態度になるものです。 本当に偉い人が態度をとがめたのであれば、自分に対しての態度をとがめたというより、上司や同僚、後輩そして顧客への態度、つまり部下自身の心のあり方をとがめたと取るべきだと思います。 4それだけでどっちが偉いという問題ではありません。 目上に対する態度をとれないという事が、対顧客に対してもタメ口をきいているという事であれば、組織に損失を与えている部下に対しての教育が出来ていないB上司は、仕事を放棄していることになりますね。
- dell_OK
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そうです。 差別です。 私はこの事に対して何の問題も感じません。 なので正論をお教えする事はできませんが、各項目について、私の思う事を回答したいと思います。 1. 人間はみな平等ではありません。 「天は人の上に」とは、どこかのおっさんが言った事なので、私は無視しています。 人が人の上に人をつくり、人が人の下に人をつくる世界ですから、これを平等と呼ぶ事はできません。 無視しないとすれば、「天」は平等にしていると言う事でしょう。 例えば、雨は万人の上に降り注ぐ、と言うような事です。 天は人の上に人をつくらなかったが、人が人をどのようにするかと言うのは、天とは関係のない事です。 いや、それならなぜ、天がすべての人を、「人の上に人をつくらない人」につくらなかったのかと言う不具合の疑い。 このおっさんが言いたい事は、「天が人を等しく作ったのだから、等しく生きようではないか」と言う事なのでしょうか。 もちろん、平等であって欲しいとは思わなくもないですが、すべての人間が平等である事の方が、よほど問題が発生します。 差別には差別する基準があるはずです。 同じようにしている人たちが同じように扱われるのが平等と言う事です。 お話が会社的な事の様なので、例えば、同じ内容の仕事をする人が2人いたとして、ある人は8時間きっかりまじめに働き、ある人は8時間のうち半分は遊んでいたとしましょう。 仕事をきちんとこなしているかどうかは考慮しません。 それなのに給料が同じだったら、まじめに働いている人は不服に思うかも知れません。 あるいは、1ヶ月の勤務日数が20日と定められていて、ある人は20日出勤したが、ある人は15日しか出勤しなかった。 それが毎月のように続いているのに給料が同じだったら、20日出勤している人は不服に思うかも知れません。 これは、人が平等であるにもかかわらず、それを無基準に平等を訴えていたのでははじまらない話です。 この基準によって「平等」に差別しているのです。 2. 滑稽です。 笑っちゃいます。 私を笑わせてくれる素質を持った存在です。 私を笑わせるためだけに存在しているのかも知れません。 正しさに関係なく人は人を叱るものだと思います。 叱りたければ叱る。 完璧な人にでも叱られて不服な時は不服です。 完璧だらか叱られてもいいと言う事にはなりません。 3. そうですね。 ちょっとでも偉い人は、目上も目下も関係なく平等にするでしょう。 この際、偉さは関係ないかも知れませんね。 何か思いのある人は平等にするのだと思います。 とがめたところで「暖簾に腕押し」「馬の耳に念仏」だと思っているのかも知れないし、その人にはとがめる必要のないような事なのかも知れないし。 それで言うと、目上にも目下にも平等にとがめる人も平等さ加減ではよしと言う事になります。 とがめられたくないと言う理由で、器が小さいと言われているのでしたら、それこそ笑い話です。 器が小さいからとがめているのだと言う事を認めてしまって、それでよしなのでしょうか。 器が小さいと言う見方も、平等にしていない事と同じだと思います。 平等な不平等さによって、人は人を平等に見ているのでしょう。 4. どちらも馬鹿と言う点に基づいて、どちらがより偉いのかを判断。 A. 気にするのは馬鹿らしい。 気にした分だけ何かが無駄になっているような気がします。 B. 馬鹿だから気にしない。 「馬鹿だから気にしない」と言われていても気にしない。 結果. 何かが無駄になっていない分、Bが偉い。
- tiltilmitil
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敬語というのは相手のご機嫌取りのために使うんじゃありません。使うほうが相手をどう評価しているかというのを表しているんです。 敬語を使うというのは、相手を尊重していますよという表現。タメ口なら、あなたに対して気を許しています(言い換えるなら『油断しています』)ということ。ぞんざいな口調なら相手を見下していますというように。 部下だからとタメ口だったりぞんざいだったりするのは油断を晒しているのも同然。人間が小さいとかいうより、不用意な態度というべきでしょう。
お礼
部下だからと油断を晒している・・・ 今は下克上もないし油断しててもいいのではないでしょうか? 部下も気を許して円滑な関係が気づけるかも・・ 敬語で話してる間は本当に仲良くはなれないとききますし・・ 回答ありがとうございました。
こんにちは。 社会に出て何年か経験を積むと、スネオの本当の恐さが解ってくるから、私はみんなにペコペコしています。 仮にスネオにジャイアン並みの腕力があったら、ジャイアンより何倍も恐いと思いませんか。 これは、スネオがケンカが弱いぶん、誰も持っていない「武器」を持っているからです。 人間は社会に出ると(本当はスネオくらいの年齢から)何らかの武器を身につけます。 コネ・人脈、という強力な武器とか、処世術という護身術とか。無用の敵を作らないための上手な敬語とか。 ですから、好き嫌いはともかく、スネオタイプの人にもその人なりの「凄味」が出てきたりします。 それゆえに敬意を表す訳です。 また一方で、上司と部下は、最も身近にいるライバル・敵でもあります。 これは、学生時代には無かった複雑な人間関係で、部下から見ればいつかは上司にとって代わってやりたい相手ですし、反面、怒らせたら極端に言えばクビにされますね。 逆に上司から見れば、部下は常に自分の地位を脅かす存在でありながら、部下が頑張ってくれなければ、自分が出世できません。 したがって。上司と部下は一日千回戦争をすると言われています。 一例を挙げると。 部下が上司の指示したより、上手に働いて、予想以上の仕事をしたとします。 上司にとっては、嬉しい反面、嫉妬と自分の地位を脅かされる心配から、心中穏やかではありません。 いつか、チャンスがあったら、難癖をつけて、部下を失脚させようとまでするかも知れません。 まあ、これほど極端ではないにしても、こんな感じの理由から、上司は常に、自分の力を部下に対して誇示し続けたい訳で。 そのため、実力や器のない人ほど、つまらないことで部下を叱る訳です。 スネオはスネオ的な生き方を武器に、世渡りをするしかないのかも知れませんが。 意外と、間近で見ていると、そのしぶとさとか、手練手管など尊敬するところもあるものですよ。 他の方たちが良い回答を書いておられるようなので、ちょっと角度を変えてみました。
お礼
そうですね スネオは腰ぎんちゃくなようなイメージがありますが うまく立ち回ってる切れ者という側面もありますよね。 スネオに見られるのは嫌だとはおもいますがまったくなくても それはそれで問題なんですよね 回答ありがとうございました。
- bakuto11
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No7です、再回答です。 >これは方向性は正しいのか、もしくは方向性自体が >おかしいのか これがわかりません うーんとね、私が言っている事は、「おかしい」「おかしくない」とか「正しい」「正しくない」なんて本当に曖昧な物なんですよ。 もし、その様に簡単に区別できる種類の物ならば、戦争なんて一つも起きないんです。 自分以外の99人が「正しい」と言っても納得出来ない正しさって有るでしょうし、ましてや99人の「正しい」が本当に正しいとは誰が判断するのですか? 結局、他人の意見を判断するのは「自分自身」でしかないんです。 だから状況(受取側の能力、経験、性格、精神状態等々)により、判断が分かれる所なのです。 だから人間は迷いもすれば悩みもするのです。 >叱るということは完璧じゃないとだめです。 >すべてが完璧ということではないが叱る事柄については >完璧でなくてはいけないのではないでしょうか? これが良い例ですよね。 これは貴方の中での「叱る為の基準」ですよね。 で、誰がその「完璧」を判断するのですか? 貴方の言う理想は、「叱り手が完璧」でさらに「完璧に物事を伝えられる事」が求められます。 次に「受け手も理解力が完璧」又はそれ相応の能力が無いと貴方の理想は実現出来ません。 そんな人達見た事ぁ~無いね。実際。 だから >、「叱る人の意図」を正確に読み取る方が、現実社会では遙かに重要で有用です。 と言う事を言ったのです。 だってどっちも「完璧」なんてあり得ないからね。(解って貰えるかな?) 簡単に言えば「「完璧」じゃない人間は「完璧」を判断出来ない」って事です。 だから、叱り手の完璧や正しさにこだわる事はそれほど意味をなさないのです。(仕事上ではね) ただ、どのような状況で「叱られた」のかは分析する必要が有りますよ。 >時代によって正しいか正しくないかが分かれるのなら >正しいということがらは存在しない、もしくは人類最後の人が >正しいか導き出すと思います。 だからその判断も人類最後の人の個人的な判断でしょ? >それなら現時点では叱るより指示にとどめたり、諭すべきではないかと思います。 >誘導することであって強制させることではないと思います。 それは貴方個人の考えであって、正しい、正しくないの種類の問題では無いです。 それを現実社会で実現するのならばそれ相応の地位につくか、自分で会社を興してその様な方針で運営するかした方が早いです。 >みたことないですね、だがその分野にだけ正しい人はいると思います 見た事無いでしょ!(笑) 「白馬に乗った王子様」は私も見た事は無いです。 >平等にしなければならない理由は人を不愉快にさせないためです。 >区別をすれば正と負が生まれます。区別しなければ0どうしです 平等だとみんな「平和」と考えるのは、殆どが社会的に地位の低い者や虐げられてきた者に多い考えです。 そう思わない人も現実にいる事を勉強して下さい。 それと「区別をしない」と言うのは理想と言うより、「妄想」でしか無いですよ。 >仕事やその他は同レベルとの意味で質問しました。 >要はそれを重視するとしたらどちらが偉いかです。 だからね、Aの方法とか、Bの方法とかじゃ無く、その上司の部下への対応や指導法が「どれだけ業績や部下の成長、その他人間関係に寄与して来てるか?」と言う意味で「仕事の出来る方が偉い」と言ったのです。 まあ、こうやって文章でやり取りしても色々ニュアンスや細かい所まで伝わらないですよね? これが口頭だとしても同じです。 お互い完璧じゃないんで100%なんて伝わらないのです。 その伝わらなかった部分を想像や予測を織り交ぜて100に近づける事をほとんどの方が無意識にしています。 そこに勘違いや間違いが起きて来るのです。(忘れる事も有りますしね) そしてその時に「正しい」が「正しくない」に変化する事は良くある話です。 質問者さんの質問の内容やお礼の内容を見ると、どうしても「経験不足」の感が否めないです。 「悩む」「疑問を持つ」これらの事は大変良い事なのですが、その回答を出したいが為に無理矢理自分の理想を絡めて「正論」っぽく語っているだけに見えます。 この行為はある程度社会経験を積んだ人から見ると、仕事が出来ない人が「言い訳」をしている様に見えてしまいます。 実際にはその様な意図は無いのかもしれないですが、会社という組織に入った以上は、その組織のやり方、その上司のやり方が自分の考えに合わなくとも、ある程度受け入れて自分の中で消化する能力が必要です。(理不尽に耐える能力も必要って事です) それが受け入れられない場合は、「職を変える」か「会社を興す」しかないですね。
お礼
正しい、正しくないは曖昧なもの これはそのとおりだと思います 考え方、正義の概念などによっても違ってきます。 正しいと判断するのは最後の人間です。 最後の人間はもちろん個人の主観というのもわかりますが この最後の人間というのは書いてはいませんが全ての歴史を 我々の未来もみてそれを歴史としてそこから導き出すであろう 結論なので今の時代で考える正しさよりは正しさを 導きだしてくれるかなという甘い考えです その人でももし正しさが見つからなければしょうがないな・・と ただまぁここらへんは本気で信じてるわけではないです。 >誰がその「完璧」を判断するのですか これはやはりその叱る人がそのことについて曲げない自信がある人、もしくは多数に支持されてる人なら 良いと思います。 もちろん完璧な人間じゃない人が自信があったって、もしくは 99人に支持されているから正しいとは限らないじゃないかと 突っ込みされそうですがそれをいったら人が人を殺すのは悪いこと だっていうのだって正しいかどうかの判断が完璧な人がいないんだからわからないじゃないかとなってしまうので、一番知識がある人(最後の人間)、もしくは多数に支持されてる人などということにしています。 論理破綻してるのわかってます。 >叱る人の意図」を正確に読み取る方が、現実社会では遙かに重要で有用です。+その下 納得です >平等だとみんな「平和」と考えるのは これは共産主意の考えかたですが努力したものが報われない ということですよね >それなら現時点では叱るより指示にとどめたり、諭すべきではないかと思います たしかに個人的な考え方ですが指示にとどめず叱るメリットが よくわかりません。叱るメリットってなんでしょうか? >その上司の部下への対応や指導法が それらは同じと仮定しています・ Aの方法、Bの方法は指導法のなかの一つでしょう どちらが指導法として適切なのかを質問しています。 >経験不足、正論ぽく語っている。 あたっていますね 自分で矛盾も気づいてるのもありますが そこは無視して気になることを質問しています。 疑問を解決するための一つになりますので・ かなりおかしなお礼になってしまい申し訳ありません 回答ありがとうございました。
- Nannette
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No.4です。お礼のお言葉有難うございました No.4に書いたことは、大変失礼ながら、多少は軽口めかしていますし、事実の一番表面だけを書いたもの、実際には、この問題はとても複雑で、このカテのスペースでは語りきれないはずのものです。 それゆえに、スッキリできなくて、お礼の言葉として詳しくお書きになったのでしょうから、そこに書かれたことについて、私もさらに少し書き込んでみましょう。 ●スタートラインだけが平等であればそのあとは格差があるのが理想だということでしょうか?・・・・・ 理想かどうかは分りません。自然にそうなるものだし、そうなってこそ人が努力して生きて行き、社会を活性化させる指標にもなるものだと思うだけです。 また、現実には、正しく細かく言えば、かならずしもスタートラインだって平等とは限りません。例えば先祖や親の努力によって豊かな経済力や知名度を得ている者は、それがない者よりもすべてに有利であると言えます。でも、それもまた家系上げての自由競争の結果ですから、平等の原理からは少しも外れていないと考えます。 ●かけっこをやれば1位と2位に別れます。この差は努力ですよね。しかし1位は喜びますが2位は落胆します。それならゴールを一位の条件としてしまえば両方喜びます。それなら後者が理想なのではと考えてしまうのですが、この考えは理想(成熟しきった人間のあり方)ではなくて幻想(大事なことを見失っている考え方)と考えていいのでしょうか?。 前者の考えは努力>人間の喜怒哀楽ですが後者は喜怒哀楽>努力ということを重視しています。回答者さんの理想は努力>人間の喜怒哀楽(資本主義)の形が成熟したものであって現在の方向性は正しいと自信をもっていますか?。 幻想でもなんでもありません。現実にそうした考え方こそ「平等」と考えて、運動会での徒競走などで1位2位などと順位をつけない・・・といったことも行われた実例がありました。日教組の考え方や、一部の共産主義思想での間違った解釈などではそうした考え方も見られます。 でも、このような考え方を平等なものとして実際に取り入れたら、「負けた者」は落胆しないですむでしょうね。ですが、「懸命に努力した者」にとってはどうでしょう。今度は「努力した者」のほうが落胆しはしませんか。 そして、努力しても無駄だ、努力しない者と同じに評価されるだけなら、努力なんて無駄だ・・・、だったらナマケているほうが楽だ・・・と考えはしませんか。 そして、そうなったら、人はみな努力を惜しんでダラダラと過ごすようになり、社会全体が活気が無くなり、競争意識も進歩も改善も無くなり、人はモラル意識を持たず、ダラシなくてもいいと考え、犯罪だっていいじゃないかと考える・・・そんな社会になりはしませんか。それでもいいとお考えですか。 ●下の者にどういう態度をとろうが自由です。とありますが、これは下のものが不満を心から思わないように配慮するべきではないでしょうか? たとえば「~しろ」を「~してくれ」といえば部下も気持ちよいと思います。 その通りです、「上に立つ者」こそ、下に対しては心遣いをしてあげるべきだし、また、その方が、往々にして、部下も張り合いが出て、元気よくいい仕事をしてくれるものです。そうなれば「上に立つ者」にとってもまた喜ばしいことになります。 ただ、これは単に「人柄」の問題であって、このご質問のテーマである「自由平等」とはなんの関係もないことです。「上に立つ者」がどんな態度をしようがそれは自由と書きました。自由には違いないのですが、そこには誰とても、「上に立つ者」でさえ、本当は礼節というものが大切なことは事実です。 そうした心を養うかどうかはその人その人の感性の問題、本当に立派な人は自分で気がついて、自分の態度や発言に気を使うものです。 ですが、現実にはそうしたことが出来ないままの「上に立つ者」も多いものです。そうした彼らってとてもイヤなものです。そして、それがイヤだと感じた「あなた」なら、自由平等の原則に従って、彼らに注意することだってできないはずはない。でも、実際にはそれが出来ない。なぜなら、「上に立つ者」にはそれなりの支配力など権力があるからでしょう。 だからこそ、彼らの態度がイヤだったら、「あなた」は努力して、彼らの立場を抜き去ってさらに上に立ち、それまでイヤだと思ったことを参考にして、上にはヘコヘコすることもなく、下にはエラそうな態度もしない、しっかり落ち着きと暖かみがある「上司」になればいいだけの話だと思うのです。そして、その道は「自由平等」と「機会均等」の原則によって開かれているのです。 そしてまた、努力の結果によってそうした高い立場に立った「あなた」、それこそが「1位」の喜びであり、努力が足りなくてそこまで行けなかった「あなた」なら落胆をバネにして、また頑張るということになるのでしょうね。それこそが人間の生き方だとも思うのです。 ものごとすべて、こんなに簡単に書けるものではありません。でも、ここでは、長い話もできませんから、多少極端な書き方をしてしまいました。それでも、幾分かでもお分かり頂けたらいいなと思います。
お礼
家系あげての自由競争の結果ですか。 なるほど。そうおもえば納得ですね。 個人単位で考えていました。 かけっこの話はいわゆる共産主義での問題点ですよね 一位がないと努力したほうが落胆する、これはそれは 自分の事だけ考えないで相手と喜びを共有したことがうれしい と思えばよいと思います。これは結構それが常識になれば できる気がします。 努力しても無駄だ、みんな楽なほうがいいのだから~ これが共産主義の欠点ですよね・・ これは人間すべてが報酬がなくても努力したい・・という考え方が できれば素晴らしいのですが現在の人間をみてて数千年たっても 無理な気がしますね。しかしこれを追い求めるのは現実をみてないだけかな・・という意味で幻想という言葉をつかいました。 命令するより頼んだほうがよいというのは正しいことですか 命令するのはベストではないということですね。 上司の立場で叱ると違い業務でも命令するのがベストなのかな と疑問がありましたが頼んだほうが良いってことですね 最後の文も納得です 再回答ありがとうございました。
- AGLAIA
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先日会社の計らいで ビジネススクールのビジネスリーダー養成講座、なんてのを受けてきたのですが、 「部下を呼び捨てにする人はリーダーとして失格」らしいです。 経営者ならまだしも、「会社内の役割としての上下関係」を 「人間としての上下関係」と混同し、部下をさも目下の人間として扱い威張ったりするのはスジ違いだそうです。 しかし、役割だからこそ仕事に対しては時には厳しく、嫌われることを恐れず言わなければいけないことは部下に言うのがリーダーだそうです。 また、会社の役員などが乗る社用車の運転手さん(運転手さんを 派遣する会社から来ている)に聞いたのですが、 実力のある偉い方は運転手さんにも優しく丁寧に接するようで、 器の小さい人ほど運転手さんに対して横柄なようです。 これを踏まえると 1、人間みな平等ですが、会社内には役割の上下関係があり、 それを活用しないと組織がうまく動かないようです 2、アホな人ほど威張ったり怒ったりします。 アタマがいいひとは部下に説明するのもうまいのです。 3、会社の役割としての上下関係と 私的な上下関係を混同するのは良くないですね。 4、会社の役割として気にするべきでしょう。Aですね。
お礼
なるほど 仕事として上下関係は守らないとだめということですね Aのほうが正しいですか 回答ありがとうございました。
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お礼
スタートラインだけが平等であればそのあとは格差が あるのが理想だということでしょうか? かけっこをやれば1位と2位に別れます。この差は努力ですよね しかし1位は喜びますが2位は落胆します。 それならゴールを一位の条件としてしまえば 両方喜びます。それなら後者が理想なのではと考えてしまうのですが この考えは理想(成熟しきった人間のあり方)ではなくて幻想(大事なことを見失っている考え方)と考えていいのでしょうか? 前者の考えは努力>人間の喜怒哀楽ですが後者は喜怒哀楽>努力 ということを重視しています。 回答者さんの理想は努力>人間の喜怒哀楽(資本主義)の形が成熟したものであって現在の方向性は正しいと自信をもっていますか? 3、それとは格がちがう なるほど。 4、下のものにどういう態度をとろうが自由です。とありますが これは下のものが不満を心から思わないように配慮するべきではないでしょうか? たとえば「~しろ」を「~してくれ」といえば 部下も気持ちよいと思います。 おっしゃるとおりその立場にたたないとわからないものも たくさんあると思います。 しかし上の例の頼むより命令のほうが良いという メリットが思い浮かびません。 もしよければ教えていただけないでしょうか? 回答ありがとうございました。