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どうしてお地蔵様は子供に・・・??
こんばんは、よろしくお願いします。 子供の供養によくお地蔵様をまつりますね。 (昨日のテレビ番組でもある島で子供の供養に お地蔵様がたくさんまつられていました) そこで疑問ですがいろいろ仏様がいるなかで なんで子供にはお地蔵様なんでしょうか。 古い質問で検索してみると 賽の川原というのは日本独特のもので 関西では地蔵盆という子供のための祭りがある ということまではわかったのですが(~‐~)。。。
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いろいろな理由があると思いますので、思いつくまま書いてみます。 まず、地蔵そのものが「小さな僧」として受けとめられていたこと。 例えば平安時代後期の説話集である「地蔵菩薩霊験記」とか「今昔物語」では、地蔵がこの世や地獄で子供や小さな僧の姿をとって現れる、というものがたくさんあります。 実際にお地蔵さんが独立的に信仰され出すのはこの平安時代ですが、平安といえば浄土信仰が強いわけで、もちろん阿弥陀仏が救済の仏の筆頭格です。しかし貴族はともかく、浄土に行けない、行く功徳を積むことのできない庶民にとってはやはり堕地獄の恐怖があるわけで、そういう人たちには地獄や現世を動き回って救いの手を差し伸べてくれる仏が必要になります。 つまり、浄土で待つ親分である阿弥陀仏に対して、もう少し機動的に立ち回ってくれる庶民派としての役割が期待されたのが地蔵で、阿弥陀仏との対比や、そのフットワークの軽さ、親しみ易さといったものが「小さな僧」や「童」としてイメージに投影されたのでしょう。 次に、仏教とは関係のない民俗の影響があること。 お地蔵さんが祀られるのは祠や墓地だけでなく、例えば「村のはずれのお地蔵さん」と歌われるように、村の境や路傍に地蔵が立っている例はたくさんありますが、これらは地蔵以前にもともとは道祖神としてあったのではないか、とも言われています。 道祖神というのは、古事記など神話の世界にもつながる自然な宗教心の現れたもので、災厄や悪霊をさえぎって内側に入ることを許さない、「塞(さえ)の神」のことです。 地区防衛のための結界とも言えますが、次第にこの道祖神が仏教的に変容して、地蔵をまつることにすり替わっていったのでしょう。原始的な道祖神の造形はいたってシンプルで、地蔵に大変似たものがあったことも影響したと思います。 道祖神信仰というのは、根本にあるのはその村の祖霊(つまり先祖霊の集合体)の力ですから、外に対しては災厄侵入を阻んで村を守るわけですが、内側に対しては、縁結びや生まれてくる子供の運命を定めたりする存在でもあります。ここに、地蔵が「子供の命や魂をコントロールする存在」としての性格が与えられる原因があったと言えるでしょう。 質問にもある「賽の河原」(子供が父母のために川原で石を積む)は確かに日本オリジナルで、室町時代のお伽草子に初出して以来、江戸時代の作と言われる「地蔵和讃」で一気に広まりました。 賽の河原という言葉の語源はいろいろ言われますが、柳田國男という民俗学者が主張したのは、もともとは村外れや大事な通行ポイントに道祖神がまつられていて、そこに通行人が神のために小石を積んだ習俗がある、というのです。つまり、小石を積むことも本来は塞の神のためであったので、言わば「塞の(川原)石」のほうむしろ正確だ、ということになります。 いずれにせよ、仏教ではない民間信仰であった道祖神を媒介にして、「子供を守る」という地蔵の性格と、「小石を積む」という関連習俗がつながった、という風に考えると説明はつきやすいと思います。そもそも地蔵自体が「子供」に近いキャラクターの仏として信仰されたのであれば、なおさらのことでしょう。 余談ですが、そもそも日本での地蔵信仰は広隆寺にみるように虚空蔵菩薩と対になって始まったのであって、もとから子供との縁が深かったわけでは全然ありません。「地蔵本願経」も「地蔵十輪経」にもそのような内容は一切書かれていません。 「地獄を棲とし罪人を友とする」という地蔵の誓願の基本は守られているのに対し、子供とのつながりは後代になってからできたものです。 わけても「水子」というのはごくごく近代になって言われ始めたことで、これでもって地蔵の性格を分析することは無理な話です。そもそもごく最近まで「七歳までは神のうち」と言われたもので、乳幼児は葬儀はもちろん一切追善供養をしないのが慣習だったのですから、地蔵はおろかどんな仏も介在しないのです。
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- sgm
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すでに死んで彼岸に渡っているのだが現世での功徳や修行が足りなくてなかなか成仏できない霊たちがいる、と考えます。 地蔵菩薩はそうした霊を含めて一切成仏の仏恩を広めるために彼岸で教え諭しをされる仏様とされています。 水子は生まれてくる事ができずに流されてしまった霊であるために、功徳を積む事も修行する時間も与えられなかったため、お地蔵様の仏恩にすがって成仏してもらおう、という考え方が、お地蔵様をおまつりする事につながったと思われます。 「お地蔵様よろしくお願いします」という気持ちでおまつりしていたお地蔵様ですが、頭を剃った僧体のお姿がどこか生まれたばかりの赤ちゃんの姿に重なって見えて、赤ちゃん用品や玩具をお供えするようになったと思われます。
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どうもありがとうございました。 確かにお地蔵様は頭がつるつるなんですよね! 赤ちゃんそっくりに作ったかわいいお地蔵様も 見たことがあります。 やっぱり見た目が近い仏様だっていうのが 大きいんでしょうね(~_~)。
地蔵は.死んだ子供をあらわしています。 私の地区の「地蔵こう」では.間引きをした母親が来世で子供に拷問を受けている姿をした巻き物を飾って祭りをします。墓地の前に地蔵があって.祭りのときにはお供えをします。 間引き禁止令の一つの布教の方法です。
お礼
どうもありがとうございました。 地蔵こうっていうのは地蔵盆とは違うんですか?? ちょっと怖いおまつりのような感じですね。。。
- Pesuko
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- Pesuko
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大地を表す=母性等の意味があるのでしょう 子供の頃の地蔵盆は楽しみでした。(お下がりをもらえる) http://www.butsuzou.com/jiten/jizou.html おん かかか びさんまえい そわか
お礼
どうもありがとうございました。 地蔵盆というのは楽しそうでいい習慣ですね! 私はちょくちょくお寺参りをしていますけど お地蔵様がすごく魅力的なんです!! でも母性っていうとちょっと観音様のほうが それっぽいイメージの感じがしますケド…。
お礼
どうもありがとうございました。 ずっと昔からお地蔵様は子供の味方だった というわけですね!! 道祖神というのは初めて聞きました。 やっぱり仏様みたいな姿だったんでしょうか?? 小さな仏様というのはお地蔵様にぴったりですよね。 詳しく教えてもらって勉強になりました。