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日本人は演歌のジェロさんと同一視の存在だろうか?
黒人演歌歌手のジェロさんが受けているのは、黒人が日本の魂?の演歌を歌うから物めずらしから受けているのだと思うのですが それと同様に西洋人からみてクラシックの小沢セイジ氏や 日本人のオペラ歌手なんかは ジェロさんと同じ目線でみられているのでしょうか? クラシックやオペラてそもそも西洋のものですよね。
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私のこの件の受取り方は、質問者様と半分同意で半分不同意なのです。と言ってしまうと、中途半端な言い様ですね。 ここで言う其々の半分の意味ですが、それは、ジェロの持つ演歌への質感の価値の捉え方が、人其々である様に、小沢征爾のクラシックがどの様な存在感を齎しているかも人其々だからです。を 私のクラシック鑑賞で集う仲間の中にも、小沢征爾を筆頭に世界で活躍する日本人アーティスト達に対して・・・・・多分、欧米、取り分けヨーロッパでは、「凄く、上手に真似しているなァ~!」と、思っているんじゃないか?・・・・・ と、問題提起と言うほどではありませんが、そんな話題になった事が有りました。 質問者様の思われる現状認識がコンセンサスかも知れません。しかし、その人達が、クラシックにどれだけの造詣を持ち、どの程度真摯に向き合っているかは判りません。同じ様に、日本人のどれだけの人が、どれだけの深みを持ちつつ演歌を思っているかは判りません。どちらも、其々の文化作品に長く付き合って来たと言う盲目的常識判断から即席的に語られる、固定観念やナショナリズムゆえの民族的芸術感の区別化の様にも感じます。言い換えれば、個々其々のエンターテーメント・ソースに対して、固定概念を加味せず感じる事が出来たなら、民族的な区別化は、統計学的分析などの学問には役立っても、個々のソースを論じるのには邪魔な様にも感じます。 私には、この件に関して、矛盾無く解析する知識も能力も有りませんが、ジェロが、単に日本人の演歌を上手に真似している!と、言うレベルではない様に思っております。彼にもある部分では、今の同世代の日本人よりモット日本人らしい価値観の持ち主の様にも感じますし、今後の彼の積み重ねが、真似事と思われたまま終るか、民族的区別を感じず、又は、気が付かず、聴ける、聞かせる、聴いてしまっている、 歌手になっているかが決まってくるのでしょう。聴き手側の受取り方が、区別化を意識し続けるか、意識しなくなっているかで、質問者様の問題提起に対しての、立ち居地が変化してくるのではないかと思うのです。 さて、小沢征爾に絞ってみますと、彼の過去の長い間には、質問者様提起の状態は確実に有ったし、今でも無くなってはいないと思います。 それは、どんな時代にも、内容よりもナショナリズムだけで差別化したがる勢力が必ず存在するからです。ナチス、ネオナチ、クー・クラックス・クランなどに代表されるような民族主義や原理主義の前では、個々が発するメッセージは無視され、乱暴に何処かのグループに押し込められる危険性は有ると思います。 しかし、彼の場合、カラヤンやバーンスタインに認められ育てられました。それは、有る意味、ナショナリスト達の単純な区別化を阻止したのかも知れません。トロント交響楽団主席指揮者~サンフランシスコ交響楽団音楽監督~そして、29年間にも及ぶボストン交響楽団音楽監督~ウィン国立歌劇場管弦楽団音楽監督2002~2010と平行してサイトウ・キネン・オーケストラ音楽監督と言う歩みを見る時、欧米人が民族的差別化で彼を見ていたら、特に、ウィーン国立歌劇場管弦楽団には向かい入れられなかったでしょう。仮に巨匠二人の影響が有ったとしても、彼の音楽に対する芸術的力量が満たされていなければ、流石にウィーン国立歌劇場の音楽監督には成れなかったと思います。ウィーン国立歌劇場管弦楽団!つまりは、ウィーン・フィルハーモニ管弦楽団です。あの、ベルリン・フィルハーモニ管弦楽団と人気も技も世界を二分するその一方の雄の音楽監督です? 彼の後を追う様にして注目しているのは、昨年9月よりリヨン国立オペラの首席指揮者に就任した大野和士も人種区別とは無縁の才人だと思っています。 しかし、視覚を伴うオペラは如何でしょうか??日本の歌舞伎に、人間性、精神性、芸術性、技、情熱の何所を取っても非の打ち所の無い素晴らしい、鼻の高い青い目の西洋人や黒人が来たら、貴方はどの様に受け留めますか?私はNGです。視覚があるので違和感を拭い切れません。 しかし、視覚が無ければ話は違います。極端な例で語ると、日本の伝統工芸品の工房(窯元や漆器・建具や仏壇)で生まれた作品・製品が、日本人の作でなくても、その作品に歴史や伝統と新たな何かを感じ取れたら国籍も人種も関係無くなると思うのです。 話が、色々に飛びました。が、 ○クラシック音楽では、人種や民族的差別をあまりに意識するのは如何と思います。 ○オペラは、視覚も重要な芸術にて、音楽性や技が優れているだけでは難しいでしょうね。 国際的に活躍する日本人の歌手も居ますが、メイク後を見るとナニジンか判りませんものね。プッチーニの「蝶々夫人」では、青い目、高い鼻、大股歩きの蝶々さんやスズキの場合、私は、音楽としては聴いていますが、総合芸術のオペラとしては違和感が有ります。 話が、どんどんそれていますが、実は、昔に比べ、欧米の新人アーティストの登場人数が時代と共に減って来ていると聞きました。そして、今、日本人の若手も減って来つつあるとか・・・・そして、それに替る存在が、韓国であり、それを凌ぐ勢いのあるアーティスト生産国が中国だそうです。 直近では、世界の経済が崩壊しましたので、アーティストの供給国がどうなるか判りませんが、経済崩壊前に聞いた話では、バブルに酔った先進国では、幼少期から強いられる努力と訓練、それに費やす経費を思うに、その中から、経済的に恵まれた人生を過ごせるアーティストがどれだけの確立で出られるかと言う意識感覚だそうです。その終始決算のバランスに於いて、元が十分に取れそうだったのが、貨幣価値に於いてと国の発展力に於いてで、韓国や中国ではメリットがあったのでしょう。 今度の世界経済収縮で、若しかすると、この構図が、更に激変するかも知れませんが・・・・・ 質問の趣旨とは全く無関係な見地からの事まで触れましtが、これからのクラシックが、「聴く芸術」と「見る+聴く芸術」のアーティストの供給地が、大きく違ってくるかも知れませんね。 演歌も日本人より、より日本人らしい感性を持つ他所の国のアーティスが大勢を占める様になったりして??・・・(苦笑)!!! 勢いで書きましたので、誤字脱字、意味不明箇所や内容の繰り返しなど、ご迷惑な文章になっているかも知れませんが、ご容赦下さい。
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こんばんは(^-^) 質問文を拝見して 回答させて頂きたい!と思って色々考えたのですが 理論的に説明するのがどうも苦手で^^;全くNo.1の方のご意見に賛成です。ほんの少しだけ留学経験がありますが 日本人(に限らずどこの国の方でも)がクラシックを演奏する事は ヨーロッパでは何ら違和感のある事ではなく 純粋に実力だけを評価してくれます。『のだめ』をご覧になったかはわかりませんが 留学している人の中から優秀な演奏を認められた人が『のだめ』のように クラシック好きの方たちに演奏を披露しに行くんですが(私は残念な事に演奏を認められたのではなく 何故か教授に一緒にいらっしゃい…と強制連行され? 演奏もせず美味しいご馳走だけ頂いて来ました(恥))公平に各国から演奏者も選ばれ 当然日本人も何人かいました。クラシック音楽における日本人の実力は ヨーロッパでも正当な評価を受けていると肌で感じています。
お礼
欧米人がクラシックやオペラを世界的な音楽と 考えているのは 物凄く自分達の文化芸術に対して 自負や自信があるからなのでしょうね。 また、それが傲慢にも繫がりかねない心配もあるのですが・・・ さて、日本人演奏家も欧米人には ジェロさんのようにキワモノ扱いでなくて 音楽だけで評価されているのなら 嬉しいことですが・・・
演歌は国際的ではありませんから,外国人が歌うと珍しく思えます。 ジェロさんのことは最近になって数回テレビで観ただけで詳しくは知りませんが, 日本国籍であろうとなかろうと,日本育ちであろうとなかろうと,確かに珍しい存在ですね。 一方,クラシックは元々西洋のものではありますが,演歌と違って国際的なものです。 日本に入ってきてからの年月も長く,日本の音楽教育としても組み込まれてきました。 今日では国際コンクールで入賞している日本人指揮者や日本人演奏家は多くおられます。 今や第一級の国際舞台での日本人の存在・活躍は珍しくないと思います。 指揮者,ピアニスト,ヴァイオリニスト,オーケストラ団員など, ベルリン・フィルのコンサートマスターでさえも日本人ですから。 クラシックを学びに西洋に留学する人達は日本人だけでなく世界各国から集まりますが, 演歌を学びに日本へ留学する人って(普通は)いないですね。 ですから,クラシックの世界では,西洋人にとっての外国人, 特に日本人なんて珍しくはないと思います。 また,クラシック(オペラ歌手など)や,ポピュラー歌手で黒人の人は珍しくありませんが, 演歌を歌う外国人は,どこの国の人であろうと珍しいです。 演歌とクラシックとでは国際性の点で比較できないです。
お礼
ありがとうございます。 国際的な音楽と一言で言ってしまえば そうなんですが・・・ 欧米人には、日本人演奏家もジェロさんのような 物珍しさではなくて純粋な実力で評価されていると 言う事なんですね。
お礼
長文ありがとうございます。 オペラ歌手にも日本人が結構いますよね。