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日本人のほかの国に比べて人に対しての警戒心はいつ治るのでしょうか?

私は外国にも行ったことはありません。ですが、映画とか見てるとやはりほかの国の人は人とのコミュニケーションが数段日本人より上だと思います。どうしたら日本人もこみゅにけーしょんをもっとあげられるのでしょうか?日本人って絶対警戒心があって、私はないといえるタイプなんですが、たまにビクられる時があり、人に話しかけられることを想定もしていなく恐怖心が一瞬でるのではないかなと思いますが、皆さんはどう思いますか?

みんなの回答

  • SonoAyumi
  • ベストアンサー率31% (5/16)
回答No.5

私の個人的な考え(当たり前か…)を述べさせていただきます。 文面を読んで、質問者様は、人に対する警戒心が薄く見えることと、話しやすいことを「コミュニケーションが数段上」と定義していらっしゃるのかと想定したうえで話を進めてみます。 英国(スコットランドは違います)のコメディでは、英国人の警戒心が自嘲的なネタとして使われるほどです。英国に住んだアメリカ人やスイス人、イタリア人で、「イギリス人はフレンドリーではない」と文句を言う人に、何人か会ったことがあります。 だから、映画で観るフレンドリーな外国というのは、欧米全体ではなく、特定の国でしょうね。 質問者様のおっしゃるような、警戒心があって近づけない雰囲気 もしくは話しづらい雰囲気には、以下の理由が考えられると思います。 1.都会と田舎との違い 物理的にも心理的にも明確に「踏み込んでよい範囲」と「踏み込んではいけない範囲」がお互いに分かっていると、ある程度まで人が近寄ってきても大丈夫。でもその範囲がお互いに納得できていないと、どのくらい近づいてOKなのか分からず、お互いに躊躇する。 2.文化度の違いと、個人と集団の境界 「言わなくても分かる」というコミュニケーションが日本独特だと言う人もいますが、西欧に限らず文化度の高い場所は、そのような傾向があるらしいです。また、言っていることが表面的であるかどうか(天気を聞くのは、本当に天気を心配しているからか、それともただの挨拶か、とか)も文化によって違いますが。 一方で、言わなくても分かる文化なのに、はっきりものを言うのは、「個人がきちんと言うわないと分からないことがある」ことをみんなが承認していて、きちんと言ってもOKだからでしょう。でも、それとフレンドリーさは別のことです。 たとえばイギリスだと、「言わなくても分かる」とされていることがたくさんありますが、どこまでがその範囲か、どこからが「個人が決めること」か、はっきりしているように思います。また、「個人が決めて良い」という合意もあります。だからものをはっきり言うけれど、フレンドリーではないということは、矛盾しません。無礼なのは良くないけれど、フレンドリーは義務ではないから、愛想は悪くても良いのです。 逆に、「フレンドリーにしなくてはいけない」、「はっきり言わなくてはいけない」という社会的なルールがあるからやっている、という文化もあるのではないでしょうか。私の知っているアメリカ人やオーストラリア人でとてもフレンドリーな人たちは、上辺だけです。一歩踏み込むと、ビシッとシャットアウトされます。それを見ていたイギリス人の友人が「だったら初めから"I miss you"なんて言わなきゃいいのにね」とニヤけながら言っていたのを思い出します。 4.日本だと「場」によりルールが決まる でも、日本では「愛想は個人の勝手だ」とは思ってもらえないし、「愛想よくしなくちゃいけない」というわけでもありません。「常識」が場(会社、学校、地域など)の「みんなが何と言うか」によって変わるので、お互いに顔色をうかがうのだと思います。そうなると、アメリカの映画のようにいきなり「ハーイ!」というのはNGで、みんなに合わせるかどうかが大事になってきます。 日本では「個人」が権利を主張することを良いとしない風潮があるので、当然主張するものとして訓練することは少ないでしょう。 こういったことが絡み合って、質問者様のおっしゃるような状況があるのだろうか、と考えました。

回答No.4

No.3の回答者様の発言を聞いて私も思い出しました。英国、米国では、「自分の意見を主張できないことは、無能で恥ずかしい事だ。」との教育を小学校から教わっているという話を聞いた事があります。授業であるテーマに沿って1分間スピーチを行う事もあるそうです。 これは、近年日本でも取り込まれていることですよね。国際社会に向けて、国際交流のはかれる人材を育成するためです。 日本には古来から”いわずもがな” http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%A4%A4%EF%A4%BA%A4%E2%A4%AC%A4%CA&kind=all の美。と言うのが存在しています。自分の意見を押し通す事は良くない事とされてきました。これは農耕民族に多い、と聞いた覚えがあります。農耕民族は、集団で農地を開拓して作業を行わなくてはなりません。そのため、誰か一人が 「おらぁ、こんなやりかた、嫌だ。こうやるんだ。」 なんて言い出したら統率力が無くなって仕事になりません。 一方、英国、米国のような白色人種は狩りを専門としてきました。この場合はまったく逆です。 「これは、おれの取った獲物だ。これが証拠だ。」 と自分の意見を主張しなくては生きていけません。そういったものが、根強くDNAに刻み込まれているのではないでしょうか。 っと。ここまで書きましたが、今気が付きましたが論点からずれていますね。質問者様の問いは「どうしたら、日本人ももっとコミュニケーションが取れるようになるか」でしたね(汗)。私が書いたのは「どうして、コミュニケーション能力に差があるのか。」ですね。一応知ってた事かも知れませんが、もし知らなくて役に立つ可能性もあるので上記も残しておきます。 一つ。ここで、また、別の説を思い出しましたので書き留めておきます。それは、伝染病の感染率です。コミュニケーションの少ない人種は、伝染病にかかりやすく、コミュニケーションが多い人種(フランクリー)は伝染病に強いと言う医学的証明があったと記憶しています。私の記憶ですよ。上記の2回答を見てもらえば、分かると思いますが、いい加減な性格なので、気になった場合は再度別で教えてgooを立てて聞いてみて下さい。 あと、この理論は血液型でも言えるそうです。B型は無神経と言われますが、B型は一番伝染病にかかりづらいらしいです。逆にA型は伝染病にかかりやすいらしいです。そのため細かくなるのです。 では、本題の「どうしたら日本人もこみゅにけーしょんをもっとあげられるのでしょうか?」に迫ります。 これは、教育あるのみだと思います。幼い頃から、コミュニケーションの重要性。自分の意見を持たないことの恥ずかしさを教え込むのです。学校の先生と、親が連携して。 方法は、先に書いた1分間スピーチや、一つの議題に対して、賛成側と反対側に分かれて、それぞれで意見を出し合い議論を重ね、なるべく自分の意見が有利になるようにコミュニケーションを図っていけば良いのではないでしょうか。そうすれば、国際社会でも生き残っていける人材が育成されるのではないでしょうか。 先にも書きましたが、日本人には農耕民族の血が流れているので、並大抵なことでは、欧米人のそれに匹敵する事は難しいのではないでしょうか・・・。 うん?これも、質問者様の聞きたい事と違うか? でも、質問者様の問いは大変正しいと思います。 私は韓国で現地人の友達と(前に行った事ある友達から紹介された)お酒を飲みに行きました。相手は女優を目指している女性で、美人でした(韓国人は美人だよ)。まぁ、それは置いておいて。初めは普通にくだらない話をしていたのですが、お酒が進むうちに話が韓国占領(豊臣時代)の話になりました。 「あなたは、どう思っているの?」 と聞かれました。私は一瞬ひるみました。まさか、女性とお酒を飲みに来て韓国占領の話になるとは思ってもみませんでした。 私は、素直に、 「非は日本にある」 と謝りました。(私はそう思っている。豊臣の朝鮮出兵は無益な戦争だと思っている)三回くらい謝りました。 この時、年齢は18でした。強く自分の意見を持たなくてはいけないな。と思わされた瞬間でした。 やはり、教育ですよ。教育が人材を創りそれが、国を創るのです。それが、私の答えです。 質問者様の意とする答えがどれかわからないので、お礼がつくまでだまっておきます。 では、他回答者様お願いします。

  • favo99
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回答No.3

これは私が身を持って体験したことですが、私もイギリスに行くまではコミニュケーションが上手くとれない日本人の1人でした。 まず、私の問題点として、無口で自分から話し掛けられるタイプでは無かったということです。 しかし、日本では何も話さなくても話し掛けられて応えるといった方法が当たり前でしたので、自分から何かしら働きかけないと「誰も話し掛けてくれない」ことにイギリスでは気付かされました。 話さないと障害者もしくは知能が足り無いとか勘違いされることが多かったのです私の場合。 話し方としては、自分の考えを「説明する」そして「主張する」自分の言葉に「正直である」というようなことを学んだような気がします。 確かに一々くわしく話して説明しないと理解して貰えないコミニュケーションは疲れましたが、慣れてくるとこれが、日本でも応用できることに気付き、私に足りないものだと実感しました。 仕草や雰囲気を読み取る能力が優れている日本人は、つい言葉を怠りがちですが、これだけでは相手を理解したとは言えないし、たぶん自分も理解して貰えないと思います。 別に開けっぴろげに自分のこと全部話す必要は無いと思いますが、これは日本人にとっていい手段だと思いますし、また外国人が私たちのやり方を身につければ、彼らの鈍感な部分も補えると思っています。

回答No.2

ごめんなさい。ご飯食べ、篤姫の再放送観ながら、良く考えたら回答になってないよな。って思いました。失礼しました。でも、消せないですものね。一応、参考資料って事でご勘弁下さい。ただ、外国の特徴を分類しただけで、見当違いも良い所でしたね。すみませんでした。 私の分析です。第二東京人(地方から都会に就職した人)がコミュニケーションが不得手な理由ですが、 1.田舎から都会に来ているため、警戒心が強い 2.転勤する可能性が高いので、近所づきあいをおろそかにしがち 3.技術者に限ってですが、彼らは多くがコミュニケーションは不得手 4.新しく入って来た人を受け入れる受け皿が無い くらいですかね。無い頭から絞り出しました。ちょっと疲れました。 一休み・・・。 さて、打開策ですが、 1.2.4.は共通する打開策として、田舎から都会へ就職してきた人たちのためのコミュニティを自治体が運営すればいいのではないでしょうか。ただ、この費用をどこから捻出するかです。私が市長等であれば、自分の市に転勤してくる人から一定金額の”転勤税”(ネーミングはもっと違う方が良いと思うが、暫定的にこの表現を使う)を課して、その費用をコミュニティの運営に使用します。月に一回程度の会食会を催します。もちろん、転勤税から費用はでますので、無料です。ただで、飯が食える上に、同じ境遇の地方からの転勤者との情報交換ができるのです。少なくとも私であれば、興味があるので出席します。 それと、平行して、SNSを立ち上げます。これには、若干の人件費のみで抑える事が出来るのではないでしょうか。 これらを踏まえた上で転勤税の税率を決定します。 ただ、この方法では、市町村で転勤者を奪い合い、転勤税の無理な引き下げを起こすところも出てくるでしょう。転勤者が増えれば、固定資産税、消費税(あれ?これは国に行くの?)等、政治には疎いので分かりませんが、自分の市町村が潤う事は目に見えています。 そこの、統括は国に依頼します。一定ラインで転勤税の下限枠を設ければ良いのではないでしょうか。(まぁ、これを決定するだけでも5年くらいは議論は必要でしょうが) 政治に疎い稚拙な意見ですが、私なりに考えてみました。これで解決しないかなぁ?他の回答も読んでみたいです。 問題は3.です。これは資質の問題なので難しい課題です。しかも、3.のような人は前述の会食会等に出ることはまずないでしょう。私が3.の立場だったら、お金を貰っても嫌です。 私がもしも、市長だったら、この件は目に見えなかった事にして任期が満了になるまで、問題を起こさないようにある程度の監視をさせます。卑怯ですが、問題の先送りです。革命児が現れるのを待ちます。私はこういう人です。 他回答者様で良いアドバイスが出ると良いのですが・・・。ただ、この意見は私の分析が正しいと仮定した上での物なので、もっと別な切り口からの分析が出る事も期待します。 以上。こんなんでどうでしょう?質問者様。

回答No.1

微力ながら私の考え得る事だけを回答させていただきます。 私は、海外旅行が好きで20代後半なのですが、大学時代、休みを利用し多くの国を訪れました。ネパール2回(内一回は小さな村でホームステイをしました。ちょっと”うるるん”気分です)、韓国2回、イタリア、スイス、ドイツ、オーストリア。 質問者様の指している、”外国人”とはアメリカ人やイタリア人の事ではないかと思います。 実際、イタリア人はみんなフレンドリーでした。すぐに友達が出来ました。ネパールも観光都市なので、フレンドリーです。スイスは同じく観光都市なのですが、フレンドリーと言うより、紳士的でした。ドイツ人は日本人とそっくりで、凄くシャイでした。私はフリープラン(旅券のみのプラン)での旅が好きで、泊まるホテルもその日に交渉して決めます。(出来るだけ値切ってね) ヨーロッパのホテルはキッチンが付いている事が多いので、自炊していました。そのため、地元のスーパーに買出しに行きました。(私はこういうその国の風俗に触れるのが大好き) イタリアでは、レジのおばちゃんが英語で 「どこから来たんだい?何しに来たんだい?あれは見たかい?また来ておくれよ。」 とフレンドリーでした。 スイスでは、事務的でした。 ドイツでは、買い方が分からなかった(量り売りなのか、個単位で売っているのか)ので、店員に英語で聞くと 「すみません。英語わかりません。」 と蚊の鳴くような声で返ってきました。その事を、とても恥ずかしく思っている風でした。 後ろにいた、紳士風のお客の男性がサポートに回ってくれました。買い物が終わった後、その人と少し、どこから来たか。何しに来たか。何を見たか。これからどうするか等。を喋って別れました。 と、まあ、私の旅の話しはここら辺にしましょう。上述で私が言いたかったのは、外国でも日本のようなところがあるのですよ。と言う事です。 逆も言えます。大阪です。すぐに友達になります。平気で知らない人にも声をかけます。(まぁ、私もそうですが・・・) 東京だと、違います。特に第二東京人と呼ばれる人にそういう傾向が強いです。所謂地方から東京に移り住み、住んでいる人です。周囲には無関心です。隣の人が何をしているか、知らない人がほとんどです。滅多に知らない人に声をかけたりしません。知らない人から声をかけられようものなら、ぎょっとして、「何だこいつ」といった目で見ます。 しかし、昔から東京に住んでいる人は違います。ご近所づきあいもまめと聞きます。どこの、誰さんは今何しているか知っています。あと、田舎に行っても同じ現象を見られると聞きます。 ということで、以上をまとめます。 ○コミュニケーションが盛んな地域 イタリア アメリカ ネパール 下町の東京 大阪 田舎 ○コミュニケーションが盛んで無い地域 ドイツ 韓国(う~ん。でも、ここは微妙だな。どちらにも当てはまる) スイス(これも微妙です) 第二東京人 と私の浅い経験ではありますが、こう思います。 こんな回答でどうでしょう? 注:オーストリアについて触れていないのは、ドイツからレンタカーでハイウェイを飛ばして、チロル渓谷を見た(国境をまたいだ)だけだからです。

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