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着物の袖(袂)の役割
着物の袖は機能的ではないと思います。 なぜ、袂と呼ばれる部分はあんなに長いのでしょうか。
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ご存知でしょうが着物が実用的な意味を持っていた時代は 江戸時代です。 そのころの人口の8割以上は第一次産業従事者です。 当然、ほとんどの人々は、「筒袖」です。 何かの歌にもありますが、 「こききりこの丈は7寸5分じゃ、長いは袖のからかいじゃ」 この7寸5分というのは28cmですので、アームホールの幅と考えると今の洋服と同様に考えても妥当です。 どうして、袂が長いかというと、 ソレは、今の着物が「装飾用」としてのかたちですから、 労働を一切排除したかたちで全部が成り立っているから。 袂が長くなると、ふりを空けないと不便なのであいてくる。 男性は、今でも「人形」といって閉じてあります。 もっと昔は、今の丸みの部分を斜め、あるいは、大きな丸にして 袂がすれないような小袖構造にもっと昔はなってます。 実用に近い形を残しているから。 有産階級の働かない人々のための形だからです(今の長方形でちょこっと丸み)。 コレだと、畳にもすれるでしょう? 見せるためです。 着物のスタンダードの決まりがすべてお茶席発祥というのも そういうことです。 お茶というのは、室町ぐらいから始まっての 大名、有力商人の社交の場ですから贅沢できる人が 守れるというものです。 だから、季節の柄にうるさい、格(身分、役割)にうるさい。 ソレがために、柄のある部位も決まっている。 袖にあるときには、お茶の作法を亭主がするのにお客が見えるように、 右袖は外、左袖は内側に目立つ柄を持っていけるような柄行きになる。 もちろん、着物が実用性を持つ人々には守りようもないいろいろな決まりです。 高い着物も花の種類によっては既にシーズンを過ぎている=やぼということになる。 袖の袂は見せるためにあるのです。 まさに、ちゃらちゃらと。 チャラチャラできる人が着用のためにです。 世の中が平和になると、袂が長くなるという法則がある。 実際に、第一次大戦のころには、街角にたって、「この長い袂はなんだ」とけちをつける「婦人会」のお歴々がいたんです。 今のきもののアレコレの決まりごとは、すべて、「大名クラス」の決まりを庶民に守らせるという無理が最初からあると思ってください。 だから、袂は長い、見せるために長い、見せたい人々が見せるために 柄のある場所も決め、柄の季節を決め、着物の格を決めて、 見せる。 着物が実用的であったころには、庶民の8割はそんな着物は ほとんど1枚も持っていませんし、絹はおそらく、庶民は 触ったこともないで一生を終えたことでしょう。 食べるものを作るので畑は余分はないから。 ご存じないかもしれないですが、「絹」は「蚕」という蛾の幼虫の糸です。 コレを育てる餌は桑の葉っぱです。 桑の葉っぱを育てる畑を作るのは贅沢なんです。 桑しかできないという条件になって初めて養蚕ができる。 だから、山奥に産地が多かった。 と、まぁ、そんなこんなです。 だから、袂を作るなら、長く、みせるため、売り物の若い娘はより きらびやかにと、振袖、男子も色小姓になると、同じに振袖です。
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- yuyuyunn
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こんばんは 私が聞いたのは目立つためだと聞きましたが なので結婚すると袖が短くなるわけですね(異性の気を引かなくていいので) http://www.kimono-maruya.com/sample54.htm http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1320645748
お礼
発汗を防ぐために袖を開き、未婚を示すために袖が長くなるという理解でよいですか? ありがとうございます。
お礼
実用性を排除したところに、長い袖(袂)があるのですね。 枕草子で、幼児が袖を襷で縛ってはいはいして回る様子が描かれていますが、子供服がない時代、幼児にも長い袖を着せる雅さ(逆に言えば非機能性)は面白いです。