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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:ベッドに染込んだ他人の想念や思い出を消すには?)

ベッドに染込んだ他人の想念や思い出を消すには?

このQ&Aのポイント
  • ベッドに染み込んだ他人の想念や思い出を消す方法を教えてください。
  • 部屋のベッドには所有者の想念や思い出が染み込んでいるようで、その影響で変な夢を見てしまいます。どのように消すことができますか?
  • ベッドに宿る他人の想念や思い出から影響を受けずに寝る方法を教えてください。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.2

こんにちは、興味深いですね。 想いや情念がモノに染み込むことは実際には無いのですが、 人間がついそのように「感じてしまうこと」については いろいろな面で合理性がありますので、理解しております。 わたしもですね、そっち方面に敏感らしい友人から 散々あれこれ言われている家にひとりで住んでいるのですが、 仮に誰かがここで亡くなったとかでも、前に住んでいた人々の情念が、 今生きていて住んでいるわたしの情念に打ち勝てるはずなんて (たとえ寝ていても)ふつう無いんじゃないかと思うんですよ。 人は誰でも自分を大事に思います。それをちょっとだけ延長して、 自分が今この場所に住んでいる偶然というか奇跡というか、そのへんの自尊心を呼んできて 「ここで昔色々あったかも知れないけど、俺が来たんだからもう全部帳消し!邪魔すんな!」 くらいの考え方をお持ちにはなれませんか。 もし情念に強い弱いがあるとお考えなら(本当はありませんが)、 情念に入り込まれるのは自分の念が弱まってるからと いうふうに考えないと辻褄が合わないでしょう? それから、情念に清さと穢れがあると思うのなら(本当は無いですが)、 堂々と二本の足で大地に立って生きている正しき人間の念が最強でなくてはおかしく、 負の情念を洗い流す何かがあるとするなら、そういったものの他に無いでしょう? ただしー、この世に情念が有るか無いかにに関わらず、 心に何らかのスキがあれば入って来ようとする悪い有象無象は実際にたくさんありますよね。 あなたがぐっすり寝るためのヒントといえば、そのあたりにあるんじゃないでしょうか。 (むしろ情念や悪霊などの概念は人のそのへんを戒めるために存在してるのでしょうね。 だったらもう情念を感じるなら感じるで有効活用すべきですよね) 長文になり失礼致しましたが、いかがでしょう?

jojo-jojo-jojo
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 なるほど、なるほど、と思いながら読ませていただきました。 確かに、今の僕のほうに少し問題があるということは理解できますね。 自分の心構えの無防備に対しては、無関心でした。 僕も不思議と、あなたとかなり同じ意見を持っています。 (ものに思いが染込むか否か、念に強弱はあるか、の問題は別にしてですが)

jojo-jojo-jojo
質問者

補足

一つ補足させていただきます。 いろいろと「ない」と断言できる方、どこからその根拠を導いていらっしゃるのかぜひ知りたいです。これは嫌味ではなく、知的好奇心からなのです。僕の態度は「判断がつかないので保留」です。あるかもしれないし、ないかもしれない。 すべて信じれば妄信的なオカルトだし、まったく信じなければ科学という狭量なものさしでしか世界を理解できない狭量な人間だと思うからです。

その他の回答 (3)

回答No.4

#3です。こんばんは。 成る程、補足ありがとうございます。 それでは標題の想念を感じることや、その夢を見てしまうことは もうほとんど宿命的に質問者様が望んでやっているようなものですね。 本来ならもう仕方ないところですが、質問者様であれば大丈夫です。 質問者様は知的好奇心がおありで、かつ論理的妥当性に頭を下げる勇気をお持ちです。 今でこそ自己の規定を裏付けるようなタームを選んでグロッサリー・ストアのごとくお並べになりますが、 どのような道を辿ろうとも、きっとわたしの申し上げたとおりになられるでしょう。 あなたがあなたを豊かにする想念に出会えることを祈っております。

jojo-jojo-jojo
質問者

お礼

どうもたびたびのご回答、ありがとうございます。 世間に普通に生きていくとはさぞ辛いことなのでしょうね、あなたの文章を読んでそんな気がしました。僕はタームを雑貨店のように並べて生きていくわけで、そこで人々が買い物にやってくるというわけです。不思議と、特に儲けまではしませんが、赤字も出さずにやりくりしております。あなたもそのお客さんでしょうか? もちろん、違いますよね。高級デパートじゃないと買い物する気にならんでしょう。ふと、そう思いました。 そうです、言われて気づいたのですが(恥ずかしいですね)、僕は結局、無意識にそれを望んでいたわけです。何だ、結局オカルトと変わらんじゃないか、といわれたらそれまでですね。そのことは否定できません。ただ質問欄に書いたように「念」の存在は否定していないと思うのですが? 僕自身も、豊かにされるような想念に触れたいと願っております。ただおっしゃるように、気を引き締めて、変なものを自分に引き込んだりしないようにはしないといけないことは、確かです。注意していたつもりなんですが、気が緩んでいたのでしょうね。

回答No.3

#2です。こんばんは。 オカルトと科学の両方とも相対的なものであるとして いったん判断保留することが最も中立であり真正なものの見方である、 という考えに、人は(自分の判断力と感性にある程度自信のある若い方はとくに)陥りやすいです。 しかし、じきに何事に対しても判断保留をしているわけにはいかなくなり、 仮定の前提に基づいて仮定を重ねて詩的ではあるが空虚な日々を送るよりも、 とりあえずは先人の築いた科学的でアカデミックなスキーマに法って思索を深めていくことが 結局は現実的な理解や判断に寄与し、ずっと豊かな人生を送れるということに気づくはずです。 そういうわけで悪魔の証明を出すまでもありませんが、ほとんどの人は オカルトに対して存在しないものは存在しない、むしろ あるということを前提としたい者がそれを証明せよと考えていくことになります。 わたしも日々を暮らし先へ進むために「とりあえず」科学に隷従している一人です。 でも、ものに念が宿るという考えは古代から洋の東西を問わず扱われていて 人間の生活や日常とは切っても切れない概念であり、 これに拘泥するからといってすぐに未熟な人だとは言えません。 そう考えることによって心安らいだり納得できたりする場面も多いです。 やはり、つねに感性は論理の一歩前にいます。 どうしても気になるならこれを大切になさるのもひとつでしょうね。 それではこのへんで。。

jojo-jojo-jojo
質問者

お礼

さらにご回答ありがとうございました。 おおー、なるほどー、と思いました。 僕がこのさき、このポエティックな判断保留をどうするか、あるいはどうなるかについては正直分かりません。しかし、おそらくですが、その詩的態度をずっと保留にしていくと思います。そして勝手なことを言わせていただければ、その詩的態度の重要性を説いた科学者であるガストン・バシュラールに近いかな、と思います。彼は科学というスキーマを使って世界を暴こうとはしませんでした。 さて「詩的ではあるが空虚な日々」と、本当にいえますでしょうか? それが「ずっと豊かな人生を送れる」と断言できるでしょうか? なぜかといえば一般の方が科学的スキーマを借りて物事を見るという立場とは、僕は個人的事由により、まったく別の(あるいは世間的に言えばかなり特殊な)立場にいるから・・・あるいはいなくてはならないから・・・です。バシュラール的態度で、世界を豊かなものとして見ている僕からすれば、判断保留もそこまで悪くないとはおもうのですが。これを抱えて世間を生きていくのは、ちょこっとだけ、辛いのは本当ですけどね。 いや、しかし、そんなことはどうでもよいのです。おっしゃる意味、とてもよく分かります。あなたのような方に回答をいただき、嬉しく思います。

  • Us-Timoo
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回答No.1

ベッドには他人の想念や思い出は憑きません。 憑かないので消すこともできません。 だいたい、「ものに念が宿る」とおもうのは日本人だけ。 私なら、むしろその部屋自体というかその環境に 念や想念を持つものがこだわってものがいると考えます。 つまり、ベッド自体に憑いているのはなく、同じ部屋の同じ状態の 同じ家具の位置で、「貴方が寝ている」ことに想念などが あなたの中に入り込むとかんがえます。 大きく家具やベッドの位置などを変えて模様替えすることをお勧めします。 案外、ベッドの陰になっている部分に邪悪を封じ込めるお札とか はってあったり、魔よけの呪文がかいてあるかも…

jojo-jojo-jojo
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 そうですか、物には念は宿らないとお考えなのですね。 いずれにせよ、理由があって、家具移動、模様替えはできません・・・。 何か他によい方法はないでしょうか?

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