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「ボランティアに関する質問」
大学でボランティアについて調査をしており、質問をさせて頂きます。 質問:「ボランティア活動により社会にどのような影響を与えていると思いますか?良い点、悪い点があれば幸いです。」 わたくしはボランティアを数回しか経験したことないので、知識・経験ともに未熟です。そのため、たくさんの方にご協力をお願いしたいと思いました。よろしくお願いします。
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まずボランティアといっても青年海外協力隊のようなものから、町のごみ拾いまで多種多様なものがあるので、ボランティアとは何かが定義されないと難しいですが、一般論として悪い点は他の回答者様が仰っていることと重複しますので、良い点といわれるものを申し上げたいと思います。 良い点 政府や行政機関では手の行き届かない事象に対して、 ボランティアはそれを補っているという面があること。 例・商店街の活性化などに関しての一例 日本国はもちろん各自治体にお金を振り分けています。 では、自治体は片田舎の栄えていない地区の無名な駅前の商店街を活性化するために政策を打ち出すでしょうか?(極端な例ですが・・・) 例・途上国の支援に関しての一例 日本はODAを通じ国際貢献しています。 では全世界の貧困を支援で来ているのでしょうか? 決して国や政府が「世の中のすべての事」を行えるわけではありません。 ですからボランティアというのは国や行政の手の届かない部分を補っている面があるのは社会にとって良い点だと思います。
- blue_hope
- ベストアンサー率46% (120/259)
悪い点があるとすれば、特殊な場合に限られるのではないでしょうか。 たとえば、ボランティア活動に没頭しすぎて家族のことを顧みないとか。 (まれですが、危険な場所での活動で命を落としてしまい、自分自身は本望でも、最終的に家族や友人を悲しませてしまうケースもあります。) はたまた、ボランティア団体の名を騙ったり、架空のボランティア名で悪事をはたらく者らによる風評被害も、結果的には、社会にとってマイナスな出来事です。 しかし事件事故の数から考えますと、それが、ボランティア活動全体の存続を揺るがすものかと言われれば、それほどのことはない。 むしろ、経済活動の中で起きる問題や犯罪の方が、質量とも甚大です。 (だからといって、みんな経済活動を止めたりしないし。) ところで質問者さんは「数回しか経験していない」ということですが、きっとどこかで無意識にやっているボランティアというのもあると思いますよ。 肩肘張らずに考えてみて下さい。 たとえば、こういったサイトで回答してみるのも立派なボランティアとして成立します。 蛇足でした。
#1ですが、付け足します。 私が思うボランティアとは、自己満足です。自分が満足するためにやる行為です。 ボランティアという言葉は、他に置き換える言葉がないので使用しているだけです。誰かが、それが偽善と言うなら、偽善でしょう。 その場で、コンプレックスを解消している面もありますね。 経過中、押し付けている時もありますが、結果、相手を笑顔にさせることもあります。 活動内容と手段と相手をどこまで客観的に見つめられるか、 批判や反対意見を聞くことも含めて、考える事が修行(訓練?)というイメージです。 ひとことで言えないんですよね。 もしかしたら、なんのためにやるのか理由なんてないのかも。 私は、自分のボランティアについて述べました。 ボランティアをしている人について書いたわけじゃありません。 (他人はどのような考えか解りませんし。)
- bellena33
- ベストアンサー率56% (459/818)
No.1さんのような回答は、よくあります。 でもさ、ちょっと悲しくないですか? そんなの自己満足じゃん。 仮に自己満足で構わないとしたら、その延長線上にはさ。 他者の気持ちを考えない 善意の押しつけ になる可能性だって秘めています。 ほら、宗教の勧誘とか。 実は、ボランティアって、社会的な評価は決して高いと言えません。 偽善者呼ばわりされたりさ。 他者に認めて貰えず、自分は何の役に立っているんだろうか?って疑問を抱くこともあるんです。 だから、自分自身を納得させる言い訳を探さないといけなくなる。 その気持ちは良く分かりますし、そういう人を沢山見てきました。 でも、違うと思うんですよ。 ボランティアって言いますけど、 ごくごく当たり前の、お隣さん同士でお互いに助け合って生きていこう っていう人間の感情の現れだと思います。 誰もが自分を優先する社会より、そっちの方が、生きていて楽しい、優しい社会じゃないですか? 自分自身が こんな社会で生きていきたいな... もし自分だったらこうして貰ったら嬉しいな...ということを、 先払いしているだけです。 今の状況じゃ、払い損になるかもしれませんけどね。 でも、そんな社会への実現は、自分も動かなければ何も変わらないでしょう。 ■元々、相互扶助の精神というのは、昔からの日本社会にもあったものだと思います。 それが、少子化,核家族化,地域の過疎化,近所付き合いの希薄化などによって、 相互扶助のコミュニティーの担い手が減少してしまい、今までのシステムが回らなくなった。 そこで、ボランティアという言葉を、外国から借りてきたんじゃないでしょうか? 仮に、【企業として利益を追求するのであれば、割に合わないことは全部切り捨てざるを得なくなる】んですよ。 また、何もかもをお金で解決することが良いことだとも思いません。 だから、その辺の利益にならなくて営利企業がやれない隙間を、ボランティアが解決するのです。 ■ただ、まだ国民全体の意識が追いついて来ていない、と思うんです。 ボランティアを特別なものと考える風潮は未だに残りますし、 やる側も受ける側も、まだまだ未熟なんじゃないでしょうか? ボランティアする方だと、無償でやってやっているんだから、という責任感のなさや、上から目線がありますよね? 海外ボランティアとか、大上段に構えすぎる例も多いです。 身近なところで、例えば病気で入院したおばあちゃん家の庭の草むしりをしてあげることだって、 立派なボランティア活動なんですけどね。 頼む方も、人件費を惜しみたいだけの案件があったりします。 各ボランティア団体も、微妙に胡散臭かったり、またボランティアのふりをして儲ける人間が出てきたり... ■しかし、ボランティアが、ごく当たり前の、社会への義務だったとしたら、どうでしょう? 誰もがやっている、フツーのこととして、認識されたとしたら? 欧米の宗教色の強い国家というのは、ボランティアは、して当然の社会的な義務の感覚を持つ人が多いです。 だから、ボランティアをしているから偉いのだ~なんて話が出ると、違和感を感じます。 私達は自分自身のことが大事です。 恋人や家族も大事かもしれません。 その範囲をもっともっと広げて、自分達の生きている社会も大事で、 それは自分達が作っていくんだ、という認識をする。 自分の家にゴミを捨てるような馬鹿もなかなかいないので、 ゴミのポイ捨てとか不法投棄もなくなりそうですよね? 「ゴミを見つけたら、他人のゴミでも拾ってゴミ箱に捨てましょう。」 なぜなら、これは私達の社会だから。 幼稚園で教わるようなことの延長線上が、ボランティアです。 で、きっとそういう社会の方が、住み心地がよいと思います。
こんにちは。 社会や誰かに影響を与えているという感触よりも、 自分を高める行いという気がしています。 修行みたいな感じです。