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保護者や住民中心の統廃合

学校統廃合に関するニュースやサイトを見ていて思いついた質問です。 公立小中学校の統廃合が、保護者や地域住民からの提案・発議を発端として、行政の計画策定や実行に至った様な事例ってあるんですかね? 行政主導の統廃合に対する反対運動が多い中で、そういうのがあったら非常に興味深いと思うのですが。 現代のみならず、明治の頃とかの話でも大歓迎です。

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回答No.1

当市の小学校にあります。 同じ学区内に3っの小学校がありました。 各ABCとし、当該小学校を仮にA校とします。 A校は、 児童数減少に伴い、数年複式学級が続いていました。 校舎の老朽化もありましたが、地域の人たちのシンボルでもある木造校舎だった為、廃校をギリギリまで延しました。 B校は、 豪雪地の山村の小学校で、早くに廃校になりC校へ統合しました。 C校は、 おおよそ20数年前、AB両小学校と統合する事を前提に、鉄筋校舎に建替えてあります。 これが、非常にネックになりました。 (鉄筋への建替えは、多分に政治がらみかも?) ※言及はしません、ご質問者様の御考察にお任せします。 A校の廃校は地元も父兄も分かっていたのですが、鉄筋のC校ですら、過去にB校と統合しても現実は複式学級です。 Aと統合しても児童数が足りず当然複式になります。 当然地元の出生率は(結婚し地元に住んで居れば)数年間分有り、小学校に上がる児童は予測出来ます。が、それさえ田舎からの流失が止まらず、いつの間にか若手は家を捨て市街地の宅地を構えます。 居ると思われた児童が居なくなってしまうのです。 A校父兄は、学区外ではありますが300人強の児童数を持つ「D校」に入れて欲しい意向を申しいれました。 (これは、学区内の中学校区ですので) おおよそ数年前から市の教育委員会と何度も協議し、地元区長及び地元の皆様とで、地元での説明会合を当時の教育委員長を含め何度も何度もしました。が、答えは全て「NO」。 四半世紀も前の古びた取り決めをかたくなに遵守し固執し、地元の現状も意向も見向きもしない。在任中の自分の面子だけ取り繕えれば良し。 「何が何でも一旦、一度C校に統合しないうちは駄目だ」と言う見解。 公務員の縦社会の典型的な事例だと思いました。 この状況下で一筋の光が見えたのは、教育委員会の人事が替わりった事でした。 「学区外就学」という事で、ようやっと認められ、今に至ります。 が、スクールバスは出ません。 中学校区内に生徒が居た場合、児童はスクールバスに便乗出来ますが、中学生が途切れると中学校の生徒がいる場所まで送らねばなりません。 帰宅は路線バスですので、当然定期代が掛かります。 これは今後の課題かと思われます。 ご質問者様が、多分疑問と感じられるであろう「C校」の当時のPTA会長には、何度も打診したらしいのですが追従せず。 追従していれば、方や無料、方や有料という、こんないびつな状態にはならなかったのでは、と、思えてなりません。 そのC校も今は統合に向けざるを得ないでしょう。 中学校は、A~D小学校を含んでいますので。

Nankaidou
質問者

お礼

早速のお答えありがとうございました。 つまり、A校・B校・C校の統廃合が行政によって予め決められていたものの、A校の保護者さん方がD校との統廃合を要望した結果、苦労を重ねながらも、それが実現した、という事ですね。それにしても、教委は硬直的ですね… 経緯がとても珍しく、非常に興味深いと思いました。もしよろしければ、ある程度具体的にどの辺りの小学校を巡っての出来事なのか、お教え頂けないでしょうか。

その他の回答 (1)

回答No.2

お礼を頂きありがとうございました。 まさしく仰るとおりです。 「行きたければ行って下さい。でも勝手に行くんですから、スクールバスなんぞ出せません」 と、言うところでしょうか。 具体的に何処かというのは、説明しても構わないとは思うのですが、 個人を特定しようと思えば出来てしまう為、控えさせて頂きたいのですが。 キーワードでよろしければ。 「ふみ子の海」

Nankaidou
質問者

お礼

ありがとうございます。 では、そのキーワードから、該当する小学校を探ってみようかと思います。

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