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老人の永久に生きるとう感覚

宇野千代が90過ぎて、「私って死なないのかしら」という名科白を言いましたが、いたって健康な75歳の私は、永久に生きるような感覚を持つことがあります。特殊な例だと思っていたら、82才の老人がネットで同じ感覚を持っていると書いていました。80過ぎた人から同じようなことを聞いたことがあると家族が話していました。「永久に生きる」という感覚は老人心理学上で特殊なことなのか、一般的なことなのかご教示下さい。単なる願望であるという回答以上のご説明をお願い致します。

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  • michael-m
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回答No.2

あくまでも個人的な考えですが… 若い時には死を感じる事が出来ず、成長に従って死を恐怖し、寿命が近付くにつれて、死に対する恐怖を失わせる精神改革がなされます。 ただこれは現世への思いや欲によって左右されます。 歳を経て、死を迎える為に死の恐怖が薄れた状況では、逆に言えば死を意識する必要もなくなるわけです。 毎日が充実していたり、成すべき事に一定の満足を得られていれば、死を感じる事もなくなって「ずっと生きる」感覚を得るでしょう。 欲に尽きる事がなく、なすべき事を探し続ければ「まだやらなければ」という意識から「死を迎えたくない」という意識や反転して「死ねない」と感じるでしょう。これは不足を感じる事が原因です。 死期の感覚の消失は人の生理ですから、それ自体意識して起こす訳ではなく、仕事や創作に没頭していると、成果を得た人と同じように「死を考えられない」という意識が生まれます。これは、一つ一つの仕事に達成感を得て、更に尚、前を見ている人だと思います。 ちなみに 早くこの世を卒業したいのに、何度も迎えのバスに乗り損ねた私は「まだ、やる事があるのか」という意識があります。 「いつ職を辞す事ができるのか」 「自分が送りたい余生をどうやって実現しようか」 まだまだ、煩悩真っ盛りな中途半端な世代です。

kwm1933060
質問者

お礼

「意識」の問題についてこのOKWに膨大なる書き込みがあるので、いくつかを読んでみたのですが、michaerーmさんのような明快な考方はないようです。長文のご回答有難うございました。

kwm1933060
質問者

補足

明快なご説明に感服しました。 やらねばならぬことではなく、やりたいことを毎日沢山やって自分の時間を広げ、達成感を得ている私にとって、「永久に生きるような感覚」が何故生まれるのかは、貴説で大いに納得しました。 同時に何事も学問的な解釈に頼らなくても、自分が納得できればいいのだと再確認しました。 この問題を扱っている文書を見たことがないので、「個人的な考え・・」を是非どこかに発表されたらと思いました なお学問的にいまだ解決されてない「意識」とは何かについても自分で納得できる考えを持っていません。可能なら、貴説をお教え下さるようお願い致します。

その他の回答 (1)

  • Tori_30
  • ベストアンサー率27% (653/2415)
回答No.1

回答が付かない様なので、雑談を。 僕は20代の若輩者ですが、この年にして貴方の仰ってるような感覚を持っています。 それは遡ること数十年、物心付いた時から感じている事です。(漠然とですが。) 僕が死ぬとは考えられないんですね。(そりゃ人並みに死ぬのは怖いです。でも、それとは別の話で) それは僕にとって世界の終わりを意味していたから。世界が終わるところが想像もつかないのです。一昨日も昨日も在った。今日は今ここに在る。明日も当然在るのだろう、と。 その感覚は老人に特有のものではないかもしれませんよ? こういう感覚はある思考から生まれる場合があります。 なんと言ったか?なんとか主義とか言うのですが・・・。(物事の捉え方の立場の事です。)思い出せません。 乱暴に言ってしまえば「自分の見ている(認識している)もの、それが世界である。自分の意識がなくなった時、自分の認識しているこの世界もなくなる」という考え方が含まれるようです。 その考え方から、「今までは人が死ぬのは必然だったかもしれないけど、世界が終わらないとすれば自分は死なないはずなんだ(自分の死=世界の終わりだとすれば)」と言った考えも生じ得ます。 「今まで人が死んでも世界は終わらなかったのだから、自分が死んでも世界は終わらないのでは?」という反論もありますが、それはその自分が特別であった場合は当てはまりません。 今までの人はこの自分が見ている世界の住人であるだけなのかもしれず、故に”それ(他人)が独立して実在する”とは誰にも言えないのです。 妄想といわれるものなのかもしれません。 ただ、同時に妄想である事を証明するものもありません。 世界に対する考え方の一つなんだと思いますよ。

kwm1933060
質問者

補足

丁寧なるご回答を有難うございました。青年時代の私を見ている感じがして懐かしくなりました。 自分が死ねば、体を構成している物質・分子は拡散していろいろな生物や鉱物の一部になって、永久に存在していくと考えています。したがって目の前の机の木材にも過去の生物の一部が入っていると感じます。 今回の質問は「永久に生きるような感覚」は青年時代と異なり、現実的に唯物的に自分を考えていても、なぜ起こってくるのかという意味でした。また老人心理学で扱っているのかという疑問でした。 長文のご回答を感謝してます。

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