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医学部面接のある質問について
2008年3月の医学部前期試験の面接の質問で、「自分が医師の立場だとして、他の医師から医師として信頼されていない時、あなたならどうするか」という質問がありました。私は「心を開く・自分が相手をなるべく信頼する・医師として常に努力する」といったニュアンスの受け答えをしましたが、それだけでは不十分なようで、結局面接官の求める答えが出なかったようでした。(試験管の様子から推測するので、どうしても文章が、不自然ですが) この質問の意図を教えてください。または、一緒にこの答えを考えて頂けませんか。お願いします。この事は自分で結構長く考えましたが私には今日まで気付けませんでした。ぜひご協力ください。
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- sato888888
- ベストアンサー率50% (1/2)
多くの方が答えていますので付け加え程度に。 面接って嫌ですよね。答えがないから。 どうやったら高い点数がつくんだろうとか、失敗しないんだろうとか考えてしまいます。 面接が何のためにあるのかを考えてみるとわかりやすいのではないでしょうか? 医学部の入試でも会社の面接でも、なんでもそうですが、面接で求められているのは、問題解決能力と自分なりの言葉で表現できるかということに尽きます。 正直、質問はなんでもよかったんだと思います。「患者さんからクレームが入ったらどうしますか」とか「他の医師と意見が相違したらどうするか」など、何か決断しなければいけない立場に立ったときに、この人はどのように問題解決をするのか、そしてその考えをどれだけ面接官に簡潔に自分の言葉で表現できるかが見られています。できれば、自分の過去の問題解決の経験も含めながら話すと説得力が増します。若い受験生ににこのようなレベルの高い質問をぶつけるのは医学部だからでしょうね。普段から色々自分なりに考える癖をつけるようにするといいかもしれません。また、誰かに意見を聞いてもらって感想を言ってもらえるといいですね。他の人にわかりやすく説明するって難しいので、なかなかできませんね。僕も同じです。お互い自己研鑽しましょう! 「心を開く・自分が相手をなるべく信頼する・医師として常に努力する」→たぶん、具体性にかけると思います。心を開くとか相手を信頼するとか言うのは、大切なのでいいと思います。ただ、それだけで信頼されるのでしょうかね?既に信頼されていないわけですから、難しいと思います。申し訳ないですが、回答的にはなんか軽くて嘘っぽいです。僕なら、過去の例を交えながら、解決した例を挙げて、信頼されていない理由を聞くか聞けないなら考えて、それに対処するとか、具体的に話をすると思います。 余談ですが、説得力がない医者はホント苦労すると思いますよ。
- ORZTX
- ベストアンサー率41% (213/513)
yuunagaさんの解答が不適だったという前提で、多少穿った見方をしてみます。 まず、自分がどの立場にあるかで解答は変わってきます。例として、外科医であるなら腕を磨き、結果をしめすだけ、ということになりますが、他人の命を天秤にかける以上、技術以外に"医者"としての信頼を得る要素は結局のところありません。 特に相手が看護師や技師、患者ではなく、医者であるという条件があたえられている以上、人格どうこうを言っても始まりません。 もちろん、それが時に相手の心証を悪くして不遇な状況に追いやられるかもしれません。が、それはそれ。外科医としての信頼とは全く別問題として考えなければいけません。 また、その医学部がどういった位置づけの医学部かも若干気にになります。 例として緊急オペを大量にこなす病院であるなら、先の答で取捨選択を迫られた場合にどう言った選択をとるのかが見えてきます。 失礼ですが、当たり障りのない解答からは無難にやり過ごすという印象を与えてしまい、時に大胆な決断を迫られるERでは若干不安を残すととれてしまうかもしれません。 例が長くなりましたが、上述の質問では状況の本質を素早く、正確に見抜く力と要所を的確かつ簡潔、明確に突くことが要求されたのだと思います。 折しも受験という状況下、それなりの緊張があり、当たり障りのない、一般的な質問が続いたあと、突然視点を変えた質問が飛んでくるわけです。 これは、程度の差こそあれ先のERの例や安定していた患者が急変した状況をイメージしている、ともいえなくもありません。 面接官が医者で、相手の心理状況を探るプロである精神科医がいればこういった内面を直接探る質問もお手の物です。 ただ、実際のところは面接官のみぞしる、というわけですが。 余談ですが、"性格は×、腕だけは◎"などといわれる医者はやはりいますよ。
- potachie
- ベストアンサー率31% (1065/3387)
>> あなたが、人を信頼しない時の具体例と、100%信頼を置く人が存在するか教えてください。 私は医者ではなくビジネスマンです。ですので、「医者」としての信頼は分かりませんが、「医者」を「仕事」と置き換えて考えると見えてくる部分もあります。どちらも1人では仕事ができないという意味で同じ部分がありますので。 ちなみに、この面接官の入った言葉は、「医者」をいろいろな言葉に置き換えた場合、管理職試験の面接でよく課される言葉と同じです。私には「医者」特有の内容を聞いているのではなく、組織の中で働く上での基本的な作法・スキルを聞いているように思えました。 私が想像するに、「医者」は社会人としては不幸な職種で、組織としていきなり係長以上の役割を課されていて、院内であなたよりも年長の「医者」以外の方たちから社会人としての当たり前のスキルを教われない立場なのではないでしょうか? 学校の教師が似た立場で、新任の人でノイローゼになりやすい職種といわれています。 普通の会社勤めなら、新人研修の半分は精神を鍛えること、公私の人間関係を築くことに費やされます。 ご質問者にとって仕事=医者なので、両者を違えて考える必要は無いと思いますが、いきなり「医者特有の何かがある」と考えるよりも「仕事をする上で当たり前のこと」から考えられてみてはどうでしょうか。 今回のご質問について、2つの面で回答させてください。 100%という意味についてですが、「仕事において」は、自分の仕事の成果予測と才能を基準=100%として判断しています。よほど単純な「作業」以外に、仕事に「完全」は存在しません。代わりに「成果目標」が存在します。仕事は、私が自身で行った場合、もしくは、(プロにお願いする場合)私が目標とする成果を100%と考えた場合、コンスタントに自身(が行った/目標とした)以上の成果を上げることが期待できる人がいます。 こういう意味合いで、100%信頼できる人は確実に存在します。逆に信頼できない人というのも存在しています。 また、100%信頼できる人との仕事は、自身の依頼内容をきちんと伝えらるかどうかが、ポイントとなります。信頼できない人との仕事は、いかに監督/監視/監査できるかがポイントになり、仮に全く信頼していない場合は、相手に判断をさせるケースを作らせない努力をすることになります。 良くある「全く」信頼できないケースとしては、自身の成果にするために意図的に仕事の目標や成果・優先順を歪める人ですね。無意識にする人もまれにいてもっと信頼できないということになりますが。そういう相手は、サポートしようがないので、相手の利益になる部分しか任せることができないということになります。才能がある相手ほど信頼ができなくなります。 私生活での場合は、相手に完璧さを求めるという意味では100%という相手は私にはいません。ここでいう100%とはどういう意味合いになるのでしょうね。100%約束を守る相手という意味合いじゃ、信頼とは違います。例えば、待ち合わせなどをしたときに相手が遅れてもそれ相応の理由があるのだろうという漠然とした「確信」でいつまでも待ち続けられる場合に信頼と言えるように思えます。仕事としての信頼とは本質が異なります。 どんなことを相手にされても許せるといういわゆる「刎頸の友」と呼べる相手は幸い私にも存在します。 次に信頼という意味についてですが、「尊敬」とは違うと考えています。 仕事の上での信頼には2つの要素があると思います。1つは、どれだけ相手に仕事上の成果を期待できるかという尺度。もう1つは、こちらが何をどう期待しているかをどのくらい理解している(理解できる)かという尺度です。「いわれたことをやる」人と「期待されていることをしようとする」人の違いでもある、「相手(の仕事と立場)をどのくらい理解しているか」という尺度です。中には自分自身よりも私の仕事/立場を知っている人がいます。 信頼が置けないというケースについて書きます。 「自身の成果になること」以外に興味がない人がいます。自身にプラスになることだけを受け入れて、(組織など)全体としてマイナスになっても気にしないとか、もともと全くそういう発想のない人です。ここでいう自身には「自分の関係する顧客や関係者」という範囲を含んで考えてください。結局は直接的な成果だけでなく、自身がよく見られることだけを価値判断にしているという意味合いでは同じことなのですが。 社会人には、こういう視野の狭さを持つ人が多いですよ。ただ、ほとんどのケースで悪意があってわざとやっているわけではなく、単に視野が狭いだけなんです。そういうときに、どんなに自分自身で考えても,多分、自分では気づけません。他部署の同僚、先輩、現場の上司、部下、場合によっては取引先に聞いて初めて気づかされることが多いです。新人に最初に教育することに「報連相」を徹底しろということがあります。「報告する」「連絡する」「相談する」ということです。これはケアレスミスを防ぐという意味合いだけではありません。 ご自身がもし、周囲からそういう目で見られる状況になった場合、ご質問に書かれている「心を開く・自分が相手をなるべく信頼する・医師として常に努力する」の中に、改善に結びつくモノがありますでしょうか? 私には言葉の中に含まれていると思いますが、直接的な言葉にはなっていないように思えます。 なお、私生活での信頼は、なぜ生まれるのかは、私にも分かりません。
- sionn123
- ベストアンサー率53% (1910/3592)
yuunagaさん こんばんは 今の医学は「チーム医療」と言って、昔と違って一人の医師だけですべてをこなすと言う事はなくなりつつあります。その医師が専門にされている分野は物凄く詳しく、専門外の分野は医学生以下のレベルって事だってあり得るのですから・・・・。 父を例にすれば、腰がものすごく痛くて場合によっては歩けなくなる事もあると言う症状を起こした事があります。見た目の症状は「腰」ですから、素人的判断で整形外科を父は受診したんです。こんな症状で受診した整形外科で父の膀胱ガンを発見して頂け、結果膀胱ガンは完治する事になります。 この父の膀胱ガンを発見して頂けた整形外科医が問題にある「他の医師に信頼されてない医師」だった場合、回された泌尿器科の医師が「本当に整形外科の範疇でないのか???」と言う事から診療が始まる場合だってあり得ます。しかし「他の医師に信頼されている医師」だった場合は「良かったね、整形外科の医師に膀胱ガンを見つけてもらって・・・。私が治すから安心して下さい。」と言う事になるかと思います。この2例は何が違うのでしょうか???前例の場合は、本当に整形外科の範疇ではないのか???と言う事から診療が始りますから、後例より治療時間が係る事が想像出来ます。つまり患者さんにとっては「痛い」と言う不快な時間を長引かせる事を意味しています。 冒頭で「今の医学はチーム医療」と言いましたが、上記した2例での「他の医師に信頼されてない医師」の例の医師は、「チーム医療」に不適切な医師と言わざる負えないと思います。しかし今の医学の「チーム医療」と言う事は変える事が難しいので、「チーム医療」に不適切な医師であっても「チーム医療」をせざる負えないんです。 「チーム医療」に不適切な医師であっても「チーム医療」をしないとならないのなら、どうにかしてでも「チーム医療」に適している医師にならないと患者さんからも無視される最悪な医師になってしまいかねません。こうなっては最悪で仕事が出来難くなってしまいますよね。 この例で言うところの「チーム医療に不適切な医師」の理由が「他の医師に信頼されない」事ですから、「なぜ他の医師に信頼されないのか??」そして「どうしたら他の医師に信頼される様になれるのか???」と言う事を考える必要があると思います。そうしないと今の医学の体制からはみ出た医師になってしまいますから・・・・。 以上の様な事を元にして、私だったら面接の時に回答をすると思います。この手の質問は#3さんが冒頭で言われた通り「絶対的な正解かはずれなど存在しないもの」ですから、私が記載した解答例が正解とばかり言えないと思います。しかし、1つの解答例(考え方)だと思います。 この様な面接での質問は短時間で考えを纏めて回答しないとならないので、面接官側の考える正解回答が在ったとしても正解回答に近い回答をするのは無理に近いかもです。そう言う事は面接官側も解かっている事だと思いますので、一般常識的に考えて医師としておかしな回答でなければ及第点の回答だと思います。 面接官の方はたぶん「医師として信頼されてない事を打破するにはどうすべきか??」と言う事を聞きたいんだろうと思いますから、yuunagaさんの解答では及第点を得られなかったのかも知れませんね。それが結果として「面接官の求める答えが出なかった」と言う結果なんだろうと思います。ですから#3さんとは違う意見ですけど、yuunagaさんの解答は的外れだった可能性があります。と私は考えます。 たぶんyuunagaさんは、私だったら「○○○」な解答をすると思うと言う回答を求めているんだろうと思います。それとは違う方向の回答になった様でお許しください。それでも何かの参考になれば幸いです。
- larme001
- ベストアンサー率44% (271/608)
この手の質問は、絶対的な正解かはずれなど存在しないものだと思います。ただ、過激な答えや危険だと思うこと(倫理上望ましくないことや協調性に問題のある発言)を自信もって主張するならアウトということは考えられますので「医者」として妥当な範囲での回答でしたら特に致命的になることはないと思います。 その上で考えますと、まずこの質問のポイントは「医者である」ということと「相手の見方」ということかと思います。まず「医者である」ことにおいて他の医者が自分(医者)を信頼してくれているかどうかがどの程度必要なものかということです。医者の仕事は失敗によって命が関わるものですから、信頼していない相手にたいして仕事を任せることなんてできませんよね。これは、人間として信頼しているかという点とあなたの腕を信頼しているかという二つあると思います。いずれにせよ、信頼が無い場合、結局その人がワンマンで仕事をすることになりかねない、あるいはあなたが仮になにかに気づいても無視される可能性があるといった非常に危険なことだと思います。 よって、「信頼されていない」という状況に満足してしまうといった方向の回答はあまりよろしくないと思います。 では、どうやって解決するのか?ここが「自分の問題でなくて相手の問題である」という点です。どれほど気の合わない人とでも医者は事実やっていけるだけの適応力を持つべきだと本当は思います。ですが、事実そのような状況になったらどうするかを述べろといってるのです。ここでは、漠然とした考え方を述べるよりも、具体的にこうこうしてみる。とかいくつか出してみるのがいいのではないかと思います。要するに、結局のところどのような状況であっても、これをすれば解決するといったものは存在しないわけで、困難に立ち向かったら、そのときにいろいろ試してみながらも、とにかく解決しようと努力することが必要なわけです。この場合、そのひとつの方法が限定的なものであってもたとえばこうしてみる、、、とかを、自分の経験などから考えれるといいと思います。自分でしたら、たとえば少しでも自分が信頼している(してくれている医師)に相談してみる、とか腕がだめなら人一倍努力して勉強して追いつくとか、正直に信頼されていない(と思われる相手)に自分の未熟さを認めたうえでアドバイスを請うとかそのようなことでもいいと思います。おそらく重要なのは、そういう困難な状況においてどのように打開していくのか、またそのためにどのようなところからはじめられるのか、ということだと思います。 質問さんの回答が的外れだったわけではないと思います。ただ、「心を開く」とか「相手を信頼する」とかはすごくあいまいなわけでもう少し具体的に話を持ち込んだほうが説得力が増したのではないかと思います。医者が「信頼」されていないというのだって、たとえば先輩の医者が自分を信用していない、、、といった状況もあるわけです。この場合はほぼ100%その人のプライドがあることと新人ということで技術が信頼されていないということになるのではないでしょうか?そんな時にいくら自分が心を開いてもあまり意味が無かったりするんです。結局、「こうこうこういうような状況ならたとえばこうこうしてみたり、こうしてみることを考えます。私の経験では、こうこうこういったときに、高校してみて打開しました。とにかく、信頼されていない状況では、ワンマン医療などになりかねないですし、誤診などの危険もますとおもいます。そのためにも、とにかく信頼が得られるまでいろいろな方法で努力します。」といったことをいうのでしょうかね。 以上、これをいったからといってよいかはわかりません。ただ、かりにこれを述べて減点する理由もないと思うのでそれならすごく不条理な面接だとおもいますが、、、、。
お礼
larme001さん回答ありがとうございます。回答の文章を読んでいて、この面接の質問の意図がわかったような気がします。この質問は決定的な答えを求めているのではなく、制限時間内に、いくつの対策を思いつくことができ、あきらめずに質問に喰らいついていくか、同僚、上司、部下、の信頼をどれだけ得ることができる潜在能力があるのかを試すものだったのではないかと思いました。私としては、半分くらい気持ちが晴れました。でも、実際思いつくのは、10個以内だと考えられるので、結構具体的な答えも絞れてくるのではないかと思いました。私の気持ちの残りの半分は、むしろ信頼という感覚についてだとおもいます。信頼するとはどういうことかについて、できたら自分以外の人の意見を知りたいです。因みに私ははどんなに人を信頼しても99%しか人は人を信じられないと思います。
- t932
- ベストアンサー率54% (211/389)
試験に面接なんか無かった時代の医学部に入った内科医です。 多分、当り障りのない解答でつまらなかったということではないでしょうか。 模範解答が何かあるのかもしれませんが、どう答えればそれに当てはまるかなんて考えて答えるより、自分なりに考えた奇想天外な答えの方がむしろ評価されるような気がします。 今の私ならこう答えますね。(試験官はたぶん大学教授でしょう) 医学部の大学教授ですら、医師として信頼するにあたらない者が少なくない。他人の評価に惑わされず良心と科学的信念にのっとって自分の信じる道を歩むしかない。
お礼
t932さん回答ありがとうございます。かなり真理(心理)的な答えで、教授も、うなると思います。でも信頼されていない状態を解決するにはどうしたらよいのかも知りたいとおそらく問われると思うんですが、どうしたらよいでしょうか?(これは少し愚問だと思われるかもしれませんが、その面接官の先生はおそらく聞いてくると私は思います。面接官が深みのある文章は理解してくれない可能性があるのではないかという心配を持っています。)←意味が分からなかったらすいません。
- potachie
- ベストアンサー率31% (1065/3387)
「医師として」信頼されていない というケースと、 「人として」信頼されていない というケースの違いを考えてみましたか? あなたのご回答の最初の2つは、「人として」の話に思えます。 「医師として」ある人を信頼しないケースとは、どういうときか、あなた自身がある医師と関わるときを例に考えてみてはどうでしょうか・ 医師の周りには、同僚、職場の仲間、仕事で出入りする人たち、上司、部下、患者 など、多くの人との交わりがあります。 各々の人たちとの関係において、その医師が「医師として信頼されていない」場合とは、どういうケースがあるか、そのうち、「同僚」「上司」「部下」という同じ医師の立場の人が、その医師を信頼できなくなるケースについて、抜き出してみると、答が出てくると思いますよ。 そして、そのケースを解消するときの方法論は、大きく分けて2つ。 ひとつは、自分自身で自分を変えていくこと。 もう一つは、他人に自分自身を育ててもらうこと。 ヒントとして、あなたの回答の中には、他人に頼る部分がありません。これは、あなた自身が相手の同僚として、上司として、部下としての医師を信頼していないからとも思えてしまいます。自身で潰れていく可能性があります。
補足
回答ありがとうございます。この回答には、すぐにはお礼が書けません。(別に深い意味は無く物理的に。)でも読んで回答に感謝しているので、もうちょっと時間を下さい。何かプロのにおいがするので、追加質問ですが、あなたが、人を信頼しない時の具体例と、100%信頼を置く人が存在するか教えてください。少し悩んでいるんです。
補足
回答ありがとうございます。やっぱり具体例が教えて欲しかったですね。でも医師同士の信頼関係の重要性はsionn123さんの体験談からよくわかりました。ところで、私の信頼の感覚と自分以外の人の信頼の感覚が同じなのか不安なのですが、sionn123さんには100%の信頼をおける人が存在しますか?私にはいないんです。最高で99%だと思います。(整数の場合)