1番です。
>先に住み始めたかどうかよりは、支配民族であったかどうかが判断基準ということですか?
実は、何をもって支配民族というのかの定義がありません。
支配民族でなくても、そこで一定の文化を持って生活していたひとたち
といってもよいでしょう。
アマゾンの狩猟民族とか、先史時代の民族とかありますし。
さらにやっかいなことは、先住民族どうしが混合してべつの民族の文化的影響により、別民族へ変化してゆく場合もあります。
その場合、文化的に変わらなかった人たちを先住民と言い、変わった人たちを先住民とは言いません。
たとえ兄弟であっても、兄が先住民の文化で、弟が支配民族の文化を受け入れた場合、兄は先住民として扱い、弟は支配民族として扱われます。
民族とは、人種ではなく、文化集団なのですから。
>もしくは基準というものはなくてケースバイケースで判断ということになるのですか?
ケースバイケースで判断します。
支配民族が、文化レベルで劣っていたり、人口比で圧倒的に不利な場合、支配民族が先住民族に飲み込まれてしまう場合がしばしばおこります。
ローマは、ギリシャを支配しましたが、東ローマ帝国では、しだいにギリシャ化して、ローマ文化はギリシャ文化に飲み込まれてしまいました。
ローマに支配の初期は、ギリシャ=先住民族、ローマ=支配民族でしたが、いつのまにか東ローマ帝国=ギリシャ文化になってしまいました。
いつから入れ替わったのかを定義することはできません。
また、中央アジアの場合、モンゴル系、トルコ系、イラン系が複雑に交じり合い、支配民族と被支配民族を区別するのが難しくなってしまってもいます。
また、Aという民族が支配していたところに、Bの民族が支配し、再度Aの民族が取り返した場合、最初からいたAと後から支配したAとの間に、文化的隔たりが生じていた場合、最初にいたAを先住民とするのかどうかも、Bとの同化がどこまですすなでいるかにより判断されます。
補足
補足が大変遅れて申し訳ありません。 確かに誰が原住民かはケースバイケースで判断することになりそうですね。その判断には一定の基準が必要なので完璧ではないまでも国連などが原住民の定義をしたということみたいですね。 と、言う風に考えると、先住民という単語はあまり言葉自体が正しくないかもしれないですね。”先”に住んでいる”住民”であっても”先住民”にならない場合がありますからね。 実は先日ユダヤ人の友達と議論があったのです。ユダヤ人はイスラエルの地で先住民なのかどうかで議論(口論?)があったので、じゃあ日本人は先住民なのかどうかと思ったのです。