• 締切済み

人と接するのって楽しいですか?

自分は人と話すことや友達と遊んだりする事が全くと言っていいほど面白くありませんん。 小児の頃は楽しかったと思うんですが、最近は人と接するのが面白くない、めんどくさいと思ってしまうようになり、引きこもり気味です。 解消方や、どのような点が面白いか教えてもらえると幸いです。

みんなの回答

  • rin63
  • ベストアンサー率32% (74/230)
回答No.3

こんにちは。 私も子供の頃めんどくさいと思った時がありました。 そういう時はクラスに気の会う人がいなかった時ですね。 話してもずれちゃう‥合わせるのも無理があるし、辛いなって思いました。 面白い、というか楽しかった時は、気の合う人がいた時です。 自分の話を親身になって聞いてくれたり、最近あった面白かった出来事とか話して笑ったり。 辛い思いをしている友達の力になってありがとうって言ってもらったり。 そうは言っても、気の合う人って何人も出来ませんでした。 それでもその時の楽しさがあったから、今でも人と接するのは好きです。 人と接するのを止めてしまったら、楽しい体験も出来なくなってしまうから。 こうして回答しているのもそういう感覚かもしれません(笑) 何か参考になれば、幸いです。

  • tukudani0
  • ベストアンサー率16% (12/75)
回答No.2

鬱の予備軍ですね。 もしかして、自分に自信がない?

  • toshipee
  • ベストアンサー率10% (725/7148)
回答No.1

 引きこもり気味と言うことで、まだそこまでいっていないと解釈して。吐露的に話してみます。タダおっさんのつぶやきと思ってもらって結構。  簡単に言えば、大人になって思うのは、自分にとって敵味方がいることがおもしろい。  1.味方の話…自分とともに仕事やプライベートで同調してくれる人がいることがありがたい。高校時代の友達など全然関係ないと仕事の奴らと呑みに行ってもやっぱり仕事や子供の話をします。「あぁコイツの仕事ってこんな世界なんだ、子育てでこんなことに苦労してんだ(俺の苦労とは違うけど、苦労してんだな)」と無責任に思えることは究極におもしろい。呑んでて話することは、とっても幸せ。年に数回のこれで仕事もってるって感じ。ホンマ楽しい。アイツらが居て、自分は幸せに思う。もちろん家族も。発達障害の子を育ててても俺は息子を見捨てはしない。友達も子供に奇形があったり、ヤツらのウチの一人は命が危なそうな病気にかかったことがあっても、こうして呑めてる。  2.敵の話…アオい頃はやっぱり仕事してても、自分の仕事に難癖つける輩はいるなぁと実感してた。しかし、中堅になって、難癖つけるのは「何とか成長してくれよ(俺を恨んででも)」と思っているんだと勝手に解釈できるようになった。自分がそうするからね。ホンマにイヤなヤツは、放っときゃ、勝手につぶれていく。自分がわざわざイヤな役にならんでも。てことは、敵もありがたいと思うようになったね。敵こそ自分をよく見てくれてる。  以上のことから、今の仕事や人生環境にささやかな幸せが見つけられたら、生きていきやすいな。子供育てても、今では発達障害とかいろいろあるからね、俺にも。しんどいことなく生きていくことができるなら、教えてほしい。40数年生きてきた結果として、それはあり得ないと思ってる。でも、それでもタマにいいことあるからこそ、しんどい時期とのギャップが大きいほど、すんごく幸せに感じられるんだと思う。  では、引きこもるなら。  誰とも話したくないのなら、無人島に行ってほしいね。親にメシを介助してもらったり、稼ぎもないまま住まわせてもらったり、布団干してもらったり、洗濯してもらったり、電気代払ってもらったり、水道代払ってもらったり、家出て行っても誰かの家に転がり込んで、他人のすねかじったり。自分に都合のいい環境を作るのは、生物の掟に反していると思うな。完全自給自足して自分一人で生きれば、誰も文句は言わないと思うし、むしろ称えられるかもしれない。  

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