日本では、軍艦には「丸」はついていませんが(明治初期のものや商船転用艦などを除く)、民間のものにはほとんど「丸」が付いています。
このわけについては、諸説あるようですが、私は人名由来説を最有力と考えています。
昔の男子の名前には、万葉集に出て来る大歌人の柿本人麻呂のように「麻呂(まろ)」がつく名前が多くありました。
「麻呂」を一字で「麿(まろ)」や「丸(まろ)」と書くこともありました(昔は「丸い」を「まろし」と言っていました)。
その後、人の名前で「まろ」ではなしに「まる」と読む「丸(まる)」が付くようになってきました(牛若丸など)。
そうして、犬などの動物や、刀などの愛着がある物品にも、丸がつく名前がつけられるようになってきました。
そうして船です。船は人の所有するものの中で、最も大切なものでしょう。
船の安全と長命を願って、男の子と同じ「○○丸」をつけた船が増えてきました。
以上のようなことだろうと思います。船主にとって、持ち船は子供同然、あるいはそれ以上のものでしょう。
源義経が「月丸」という大船に乗って都落ちしようとしたということが、義経記に出ています。この辺が記録に残っている最も古い「○○丸」だと思います。
義経記 第四 五 「義経都落の事」(抄)
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都を出で給ふ。其勢一萬五千余騎なり。西國に聞えたる★月丸★と云ふ大船に、五百人の勢を取乗せて、財宝を積み、二十五疋の馬ども立てて、四國地を志す。
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政府が船舶法で「丸」の付加を推奨してきた経緯がありますが、それよりずっと前に、日本の船は「丸」ばっかりになっていました。
お礼
回答ありがとうございます。 やはり人名、愛称説ですかね。 私もそう思うんですが。 義経記にも記されいるなんて、相当歴史が古いですね。 ありがとうございました。