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日本語を勉強している学生です。いま「友達について」という文章を読んでいます。よく分からない所があります。わかりやすい言葉で説明していただきたいとおもいます。次は私が読んでいる文章です。 われわれをあまやかしてくれる者はけっして良友ではない。よく理解してくれようとすることは悪いことではないが、それだけでほんとうのいい友だちにはなれない。つまりいい友だちというものは、わからないところはどこまでもわからないものとしてお互いに追求し合う。ある時は責(せ)め合う。しかも意見の一致などということはない。一つの問題に対してさえ、どんなに二人が異なるかを身をもって知らされるような友情、それが尊いのである。表面だけで人と調子を合わせ、理解し合っているような顔をしている、そこにはけっして真の親しさは起こらぬ。だからほんとうの友情というものはかえって辛いものなのだ。友情の辛さをあじわうということがほんとうの友情ではなかろうか。そして、こういう交わりのできるのも青春時代だけだ。人生にはじめて目をひらきしんけんになったときでなければ、かような友情はできない。年をとるにつれてわれわれは友情よりはかえってよそよそしい社交のほうへおちていく。親しいあいだがらでありながら、如何に人間というものはお互いに違ったものであるかということをはっきり知らせるのが友情だ。青春にとってそれはしばしば驚きであり悲しみでもあろう。私は孤独を語るべくして友情を語ったが、つまり生命と生命との激しい接触のうえにはじめて孤独がわくことを言いたかったためである。そしてそういうところでわれわれの精神は練磨されるのである。妥協のない、またよりかかるところのない、道なき道の上でわれわれは訓練される。青春の孤独はむしろ精神の光栄であろう。 質問1.「わからないところはどこまでもわからないもの」って、どういう意味ですか。 質問2.「友情というものはかえって辛いものなのだ」のつらいものは具体的に何を指すのですか。 質問3.「私は孤独を語るべくして友情を語ったが」このセンテンスの意味がよく分かりません。 質問4.「つまり生命と生命との激しい接触のうえにはじめて」このセンテンスの中の「うえ」は「うちに」で言い換えますか。 質問5.「青春の孤独はむしろ精神の光栄であろう。」このセンテンスの意味も分からないのです。何を意味していますか。 よろしくお願いいたします。
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こんばんは。 >日本語を勉強している学生です 日本語を勉強している外国の方でしょうか。でも質問文は日本語がしっかりしてるから日本人の方で日本語を勉強しているのしょうか。どちらも有り得るかなと思いました。前者の場合では難しいかと思いましたが、分かりやすいように書きたいと思います。 ただ質問には答えても、例文の作者の言う事に同意しているわけでは有りません。これは読む人によると思いますので。 >質問1.「わからないところはどこまでもわからないもの」って、どういう意味ですか。 「わからないところはあいまいにして解ったふりをしてしまわないで、どこまでもわからないものとして追求し合う」と言う意味 >質問2.「友情というものはかえって辛いものなのだ」のつらいものは具体的に何を指すのですか。 前の文で 「意見の一致などということはない」 「一つの問題に対してさえ、どんなに二人が異なるかを身をもって知らされるような友情」とあります。 「一致をみない」「相手と異なる」ことを身をもって認識するのが→「つらいこと」としているようです。 >質問3.「私は孤独を語るべくして友情を語ったが」このセンテンスの意味がよく分かりません。 「孤独を語ろうとして、そのための話として友情の話を語ったが」と言いたいようです。 >質問4.「つまり生命と生命との激しい接触のうえにはじめて」このセンテンスの中の「うえ」は「うちに」で言い換えますか。 「うちに」で言い換えてもいいですが、意味合いが変わっています。 「激しい接触の”うえ”にはじめて」では「激しい接触」があって、それが前提条件としてはじめて「孤独がわく」としています。 「激しい接触の”うち”にはじめて」では前提条件のニュアンスがうすれて、事柄の時間的前後を表すほうが強くなります。 「遊んでるうちに日が暮れ始めた」「初めは面白いと思ったが、やってるうちにつまらなくなった」など。「うちに」では「〇〇している”うちに”→次にこうなった」と事柄の前後を言っています。 >質問5.「青春の孤独はむしろ精神の光栄であろう。」このセンテンスの意味も分からないのです。何を意味していますか。 その前の文で「そしてそういうところでわれわれの精神は練磨されるのである。妥協のない、またよりかかるところのない、道なき道の上でわれわれは訓練される。」とあります。「青春の孤独」によって精神が「練磨」「訓練」されるので、それは「精神にとって”光栄”なことだろう」という意味のようです。
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- cowc
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あなたの日本語を理解する能力がどの程度か分かりませんが、このような文章をお読みになるのですから、日常の会話は、十分できる方ということを前提にして、私なりにお答えします。 質問1の答え:「友人の考え(思想や信念)を無理に理解しようとしたり、理解したふりをせず、理解できないことを認めて」 質問2の答え:普通は、「友情」というものは、良いもの、楽しいもの と思われているが、「ほんとうの友情はというものは」楽しいものではなく、こころ苦しいものである。 質問3の答え:私は「孤独」について語るため(書くため)語ったのだが(書いたのだが) 質問4の答え:激しい接触の「結果」。激しい接触が「あったから」 質問5の答え:青春時代の孤独は、いやなものとして避けたり、逃げたりすることはない、精神的には「はえあること」「名誉なこと」と思う。 おおよそ、以上のように読み替えると意味が通じると思います。
- bari_saku
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ご苦労さまです。 一般人の回答なので、どこまで正解かはわかりませんが。。。 1)べつの表現で言い換えれば、 「決して理解し合えない点があることを前提にお互いに追求し合う。」 となるかな。 2)この文の作者は「時には責め合い、意見の違いをぶつけ合うことができる友達が、いい友達」と言っているのです。 それは決して楽しい時間とは言えないので「友情は却って辛い」と言っているのでは。 3)「べくして」は「当然であるという状況で」という意味ですが、私もよくわかりません。 ただ、次のセンテンス「つまり生命と生命との激しい接触のうえにはじめて孤独がわくことを言いたかったためである。」が理解できていれば、ご質問の部分は読み流してOKかと思います。 4)言い換えません。 この場合の「うえ(に)」は、「~した結果」の意味です。 5)作者は「若い時は馴れ合いの仲ではなく、遠慮なく意見をぶつけ合える友を作りなさい。意見をぶつけ合った結果、孤独を感じたとしてもそれは誇ってよいことであり、思い悩むことではない」ということを言いたいのだと思います。