• 締切済み

西洋骨董洋菓子店で男が処分する屋敷の解釈。

 原作コミックを読んでいて、男が屋敷を処分して一緒に暮らしていた女性と仙台に移ることにしたという描写があったと思うのですが、ちょっとここでアレレと思ってしまったのです。  地位も財産もあった男がなにがしかの理由で家族を亡くして、それが原因で連続殺人犯になって、橘が連れ込まれたのもその屋敷。  結局のところ橘と男はニアミスしながらもお互いにそうと気づかず別々に歩んでいくことになったわけですけど、アンティークなお屋敷がずっといままで残されていた意味合いみたいなものはあったのでしょうか。なんだかアンティークな屋敷が最後に突然でてきたなーと思えてしまったのです。ちょっと展開的に腰の据わりが悪いような。  ただ直前に橘が自分とは無関係な事件を解決してしまうというのも、意図して作られている肩すかしだとは思うのですが、ちょっとへんな描写だと思いまして。  私の読み忘れも含めて、意図の説明などできるかたおりましたらお願いいたします。

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  • harikiki
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回答No.2

No.1です。長くなってしまいましたので回答を2つに分けさせて頂きました。重ね重ねすみません。 次に、橘の事件解決の話がどういった意図で登場するかですが、 そもそも、『西洋骨董洋菓子店』の登場人物たちは、それぞれに向き合うべき傷をもっていますよね(そういう点では橘誘拐の男も同じ。誰に焦点を当てるかで読み取れる意味が変わるような…。)。 橘に関して言えば、“空白の記憶”と、そこから生まれる恐怖心ですよね。 頭脳、容姿、家庭環境、人間関係、どれをとっても恵まれた彼が、どんなに恵まれた状態いても、ふとしたことで、「思い出せないのは酷いことをされたからでは」「自分はどこか歪んでいるのでは」と無意識に考えてしまう様が示されています。 橘は、幸せそうに生きながらもどこかしら、欠けている部分があるうちは自信を持って“本当の自分”として生きられない状況にあるようにみえます。 で、この“空白の記憶”を取り戻し、そこから生まれる恐怖心を払拭、自信を持って“本当の自分”として生きていくために、必要な手続きとして、“過去との対峙=誘拐犯との邂逅”がなされなければならないということだと思います。 一番手っ取り早いのは、自分を誘拐した人間を捕まえることですが、現実問題無理な話なわけで、その代替行為として、一見、自分とは「無関係な事件」(捜査協力依頼があったときの橘は、この犯人=自分を誘拐した男の図式を描いてるようにも取れます)、でも、「同じくらいの年齢の少年たちが誘拐されるという類似した事件」に関わることで、何らかの答えを得ようとしているのだと思います。 結果的に橘は、自分の手で連続児童誘拐殺人を捕まえることに成功しますが、記憶は戻らないし、相変わらず夢にうなされ、克服できたとはいえないままです。 でも、「思い出せない 忘れられない 恐い」と感じる自分を許容する境地に至ります。 ずっと空白を埋めることで“本当の自分”を取り戻そうとしていた橘が、「空白がある自分でもOK」というところまできたのは、この誘拐事件解決までのプロセスによるものだと解釈しました。 よくあるドラマや小説だと、「記憶が戻ってハッピーエンド」という展開なのでしょうが、そもそも、よしながさんの作品は、「人生・世の中そんなにうまくはいかないよね」という、現実世界により近い展開をさせながら、でも、ある種の救いが必ずあって、「人生・世の中そんなにうまくできてないよね、でも、捨てたもんじゃない」という前向きな力を感じるものが多いと思います。 ラストで、男と橘はニアミスで終わっていきますが、これこそが、現実ってもんだろうと思います。 また、橘が思い出せない理由のひとつに、橘が男の元から逃げる際に、男が「忘れろ」と強く言い聞かせていることがあげられます。 男が、逃げる橘に「忘れろ」というのは、自分の罪の隠蔽のためでなく(身代わりであり誘拐という罪の意識はない)、“橘が自分を刺した事実”を無かったものにしてやるための言葉だと思います。 そう解釈すると、橘が全てを思い出すことが、お互いが気づくことが、本当の意味でハッピーエンドになりうるかは難しいところかなぁと思います。 かなりの私見ですが、少しでも参考になればと思います。 長文大変失礼しました。

  • harikiki
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回答No.1

まったくの私見で回答させて頂きます。(しかも長文です。ごめんなさい。) まず、件の男(誘拐犯)は、連続殺人犯ではないのではないでしょうか。彼が犯した罪は、当時9歳だった橘を誘拐したことものだけだと思います。 誘拐の理由ですが、物語の端々で出てくる場面から推測するに、息子を何らかの理由で失い、その喪失感を埋めるために、同じ年頃の橘を誘拐、というか「身代わり」として側に置こうとしたのだと思います。 その上で、 >アンティークなお屋敷がずっといままで残されていた意味 ですが、 男は、息子の死を受け入れきれないことから、身代わりを求め橘を誘拐します。その後、“「可愛がってやった」自分を刺す”という、橘の“息子にあるまじき反抗”に、ある種、正気(=自分の望む息子はもう戻らないということを受け入れる状態)になったのだと思います。 この出来事によって、男は、“橘は息子ではない”という正気には返り、橘を手放しますが、今度は“姿なき息子と過ごす人生を歩む”という生活にシフトしたのではないかと思います。そして、その幻の息子を生かし続けるために、あの屋敷は必要だったのではないでしょうか。 しかし、同じように幼子を亡くした女との関わりによって、その世界が少しずつ揺らぎ始め、「レシピ15」で、女が突きつける現実に、いよいよ“姿なき息子と過ごす人生”を失うことへの恐怖?苛立ち?から、女を刺そうとナイフを振り上げます。 が、このナイフ、かつて橘が男を刺したものですよね? そのナイフを、(橘がそうしたように)自分が振り上げたとき、橘に刺されたことで正気になったように、(今度こそ、現実社会により近い)正気になった(=“姿なき息子と過ごす人生”の終わりの受容)のではないかと思います。 だから、屋敷を処分し、男にとって最上の贈り物「ケーキ」を手に仙台へと向かうのだと解釈していました。 参考までに、なぜ男の屋敷がアンティークな調度の屋敷なのかというと、そこには“なぜ橘が息子の身代わりに選ばれたのか”の理由が示されているのかな、と思ったのですが。 というのは、男が息子と住んでいた家(=橘が軟禁された家)の雰囲気は、橘の実家と似ていると思うからです。 男が求めたのは、自分の息子により似ている少年であり(身代わりだから)、そうなると、(結果的に)生活の質(育ちの環境)が似ている少年が選ばれる…のではないかと思うのです。 橘自身も、自分の傷に対峙すべく洋菓子店を開くわけですが、その店もアンティークで囲まれた店にしています。これは、彼のこれまでの生活環境によって無意識にそういうチョイスができることの表れだと思います。

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