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忘れ物の指導について
小学3年生の娘が時々忘れ物をしていくことがあるのですが、連絡帳に「わたしは○○をわすれました。あしたもってきます」とか「わたしは宿題をなまけました。あしたしてきます。」と赤鉛筆で大きく書かされています。 忘れていく娘も、確認しなかった私たちにも非はありますし気をつけるようにしていますが、こんな屈辱的な指導は娘にとっては逆効果だと思っています。実際、娘も「一生懸命やってもほめてくれない」とも言っています。 ただ、色々あってまだこの件に関しては先生には話はしていません。 なにか良い対処方法がありましたらご教示願います。
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小学校に勤務しています。それから父親(子どもたちは、元小学生ですが…)の一人でもあります。 我が子の連絡帳を見て、こんな赤鉛筆の文章を見たら、驚くでしょうし、不安でしょうし、心穏やかではいられないでしょうね。心配・不安・憤りの気持ちがわき上がって当たり前です。ぜひ、担任の先生と話し合って、お互いが「なるほど、納得!」というところまで行き着いてほしいと心から願っています。 忘れ物があれば指導が必要、これは納得がいくことです。その指導に連絡帳を使う、これもよくあることです。ただ、書かせた文章は少々いただけませんね。これは私も「?」と感じました。どうせ書かせるのだったら「明日は絶対忘れないぞ!」「今日の分は明日でカバー!」「明日の私は今日とはちがう!」など、反省文的ではなくて自分を奮い立たせる言葉を選ぶほうが良かったかもしれません。 >もつと子供の自尊心を傷つけないような方法はないものか?と考えています。 そういう意味で共感しています。 心配なのはお嬢さんです。親が学校にねじ込んで「正当化した」という図式には、くれぐれもご注意ください。 >イジメの対象それに起因した不登校になるのではと大変危惧しています。 >「先生は私たちの話を聞いてくれない。学校は休みたくないけど行きたくない」っとこともありました。 私も「不登校経験者の娘を持つ親の立場」として申し上げますが、「~という不手際があったから自分たちの責任ではない・それを招いた学校の責任」という(と思いたい)見方から広がりがない…というのは危険なことです。お嬢さんに「自己変革を強く迫ってよい」部分もある(あるだろう)ということは、質問者様の奥様が専門職ということですので、釈迦に説法だとは思います。ですが、老婆心ながら付け加えておきます。 まとまらない文になり、恐縮かつ自己嫌悪気味ですが、今回は「大筋(忘れ物指導)は理解できるが、方法(屈辱的な文章)は好ましくないのでは?」ということで、「対・担任(学校)」への対応をしてはいかが?ということを申し上げたく、参加させていただきました。
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- rosavermelha
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こんばんは。教員です。 こういう方法って、時々見かけます。私は実際にはしたことはありませんが。 それで、どういう目的でやっているのかといえば、まさに、NO.5の回答者様のおっしゃるとおりです。 「書いて、記憶に残すため」ですよ。 忘れ物をしたとき、いくら口頭で注意をしても、次の日になれば怒られたことを忘れてしまい、また忘れ物をする、そんな子はいくらでもいます。 「昨日も忘れたでしょ!」といっても、全く覚えていない子もいます。 でも、「書く」ことで、「注意された」ということが記憶に残るので、「ああそうだった」と忘れ物をしないように気をつけることができます。 赤字で大きく書いてあれば、見ただけで分かりますから、視覚的にも頭の中に入りやすいのです。 また、質問者様は「屈辱的」と書かれていますが、多少「嫌な思い」をすることも、場合によっては必要なのです。 「忘れ物をすると、勉強ができなくて困る」のが一番いいのですが、実際には勉強を遅れさせるわけにはいきませんから、友達に見せてもらうとか、教師が貸すなどして対応をします。 一方、「忘れると怒られて嫌な思いをする」とか、「忘れると恥ずかしい思いをする」ということだって、 「常識の範囲内」であれば、教育的効果が望める場合もあります。 子どものころ、忘れ物をすると、廊下にバケツをもって立たされたことはありませんか。 悪さをしたら、ぞうきんがけさせられたり、正座させられたことは? 今では、こういったことは、「体罰」や「授業を受ける権利の妨害」ということで認められていませんが、 「常識の範囲内での罰=懲戒」というのは、教員にも認められています。 この「常識」の範囲の線引きが難しかったり、それぞれの教員や保護者の間で違ったりするのですが・・・。 そういう意味で、今回のケースも、 「書いて、記憶に残すため」そして、「懲戒」この2つが目的だったのでは、と私は思います。 親御さんへのメッセージは、一切含まれていないでしょう。 大体、保護者へ何か伝えたいのなら、わざわざ誤解をまねくような書き方をせずとも、 「今日お子さんが○○を忘れました。最近忘れ物が多いので、よく確認するようにしてください」など、普通の文章で書くと思います。 担任の先生へは、例えば私なら、下記のような言い方をすると思います。 「きっと、先生は書いたほうが記憶に残るだろうし、懲戒の意味も込めてこういうやり方をされているのだと思いますが、 娘にはどうも、その先生の意図が伝わっていないようです。却って、落ち込んでしまっているし、忘れ物も良くなったようには思えません。 もちろん、先生には先生の考えがあるというのはわかります。 でも、素人考えかもしれませんが、例えば忘れ物を一週間一つもしなかったら名前にシールを貼るとか・・・ できないことを叱るよりも、「できたら褒める」指導をしていただける方が、娘みたいなおとなしいタイプには効くと思うのですが、どうでしょうか。 もちろん、私達も、できるだけ忘れ物をしないように、確認するようにはしますね。」 といった感じで。 苦情というより、「新しい提案」を「謙虚に」持っていくと、受け入れられやすいと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 具体的な分析と先生への対応についてお示しいただき、大変参考になりました。ありがとうございました。
- kyokohisa
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やりとりを読ませていただきました。 文面だけでは、その細かなニュアンスはなかなか伝わらないのですが、 結論から言います。 率直に担任の先生にお話すべきです。 批判ではなく、「忘れ物が多くてすみません。でも、ちょっと先日のノートに自分で書いたものをとても気にして、苦しんでいます。これからは良く本人にも言って聞かせて、気をつけていきたのですが、ノートへの連絡の仕方を変えていただけませんか?」 など、上手く書けませんが、ここで沸々とした感情をさらに重いものにしてしまうのではなく、前向きに改善の方向にお話されてはどうでしょう。
お礼
回答ありがとうございます。 >前向きに改善の方向にお話されてはどうでしょう。 そうですね。色々考えずに率直に先生に相談するほうが良いかもしれませんね。文例まで書いていただきまして、ほんとうにありがとうございました。
- xvonx
- ベストアンサー率21% (3/14)
>なにか良い対処方法がありましたらご教示願います。 忘れ物をなくす対処方法をお求めでしょうか? 先出のとおり、親子で注意深くしていくしかないと思います。 先生への対処を質問されているなら、厳しいことを書きますが 的外れだと思います。 「書かされる文面」はそれほど屈辱的でしょうか? 『私は○○をわすれたバカです』などなら問題ですが。 文字にして書くというのは記憶に残るものです。不愉快な記憶だとしても・・。だからなおさら、もうこんなことをしないですむようにしようと自ら注意するのではないでしょうか? それを繰り返すとしたら、本人に危機感がないだけだと思いますけど。 誰にとって「屈辱的」なのですか? 親? 私なら、子供に注意こそすれ、先生に不信感なんて持ちませんけどね。 「わたしは○○をわすれました。あしたもってきます」 というのは、先生とお子さんの誓約書みたいなものではないのですか? たかが忘れ物・・されど忘れ物なんですよ。 将来困るのは本人。 指摘してくれるだけ、まともな先生だと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 >私なら、子供に注意こそすれ、先生に不信感なんて持ちませんけどね。 残念ながらお宅様とは感性の違いがあるようです。 子供や私どもに対しての注意喚起を批判しているのではなく、もつと子供の自尊心を傷つけないような方法はないものか?と考えています。 連絡帳の件につきまして、新学年となり現在の担任先生になられてからスグはじめられたようで、「忘れた人はこう書きなさい!」と指導されているようです。この段階で、「忘れていない子」は書かないので、書いている子は「忘れている子」とクラス全員に周知されます。 ようは「レッテル」を貼られるようなものです。 要は、イジメの対象それに起因した不登校になるのではと大変危惧しています。現に「先生は私たちの話を聞いてくれない。学校は休みたくないけど行きたくない」っとこともありました。 「忘れたあんたが悪い」といわれればそれまでですが、将来のためとはいえそんな「いやな思い」を押し付けられなければならないのでしょうか。プロの教師であるならば、私ども素人以上に配慮が欲しいと思っています。
- totoyan05
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こんにちは。私は海外在住です。もし、自分の意思ではなく、教師にムリヤリ書かされていたのなら、大問題でしょう。しかし教師と子供が「どうしたら忘れ物を無くせるか」と話し合いの上でのアイデアとして書いているのなら、とても良いことです。 こちらはNO2のalpha123様が最後に書かれていた事、これが中心的な考え方なんです。つまり、自己責任の範囲が広いのです。たとえ子供でも。 プラス、忘れたときに友達に貸してもらう、などの経験も大事にしています。転ばぬ先の杖という考え方がありません。受験に遅刻しそうになった子供を電車を止めてまで助けたあげた、なんてこちらでは心温まるエピソードにはなりません。寝坊して遅刻した子の責任なんです。 もし、ご質問者様のお子さんだったら忘れ物について何も言わず、1年経ってから「自閉症か学習障害のテストをうけろ」もしくは「親の育児放棄の疑い」「家庭環境に問題あり」と言われるケースですよ。 個人的にはそこまで細かい指導をしてくれる教師がいることに羨ましい気持ちもします。 ご質問者様が「屈辱的」と思うのは、教師対子供以外に、親である自分に向けられたメッセージだという思いはありませんか? 1年生なら、90%は親の手助けと指導が必要と感じます。 3年生なら自己責任のウェイトは子供に傾くと思います。 他の方もおしゃっていましたがどうしたら忘れ物をしないか、ということを親子で相談すべきだと思います。
お礼
回答ありがとうごさいます。 文書表現力が乏しいぶん、なかなか皆様に質問の意味を理解いただけなかったので、ホッとしてます。 さて、連絡帳の件につきましては、新学年となり現在の担任先生になられてからスグはじめられたようで、「忘れた人はこう書きなさい!」と指導されているようです。この段階で、「忘れていない子」は書かないので、書いている子は「忘れている子」とクラス全員に周知されます。 ようは「レッテル」を貼られるようなものではないかなと思います。 要は、イジメの対象とされるのではと大変危惧しています。 「わたしは宿題をなまけました。あしたしてきます。」 3年生の割に宿題の量が多いのですが、必死でこなした宿題をつい、うっかり「忘れた」のに「なまけた」と書かされた娘はかなり傷ついていました。 ちなみに忘れ物は「常習」ではなく、ついついうっかり程度です。 またLDとかアスペとか軽度自閉症ではありません。家内が専門職ですので判ります。ちなみにネグレストでもなく、家庭環境も問題ないと思います。(この変は「自称」としか表現のしようがないですね) >ご質問者様が「屈辱的」と思うのは、教師対子供以外に、親である自分に向けられたメッセージだという思いはありませんか? 1年生なら、90%は親の手助けと指導が必要と感じます。 3年生なら自己責任のウェイトは子供に傾くと思います。 それはあるかも知れませんね。 3年生ですので自己責任のウエイトが50%を越えていると私も思います。娘の発達状況を見る限り「脱母親依存」で自立の方向には向かっているとは思いますが、「かたむく」ということは、まだ100%でない状況です。が、新学期当初「自己責任」という言葉を先生がおっしゃっていましたので、そのところが強く出ているのかなと思っています。 いずれにしても、どのように先生の気分をがいさずに、私たちの思いを伝えるべきか、悩んでいます。
逆に先生に他の方法を提案してみたらどうですか? たぶん先生もやれることはしたのでは? 下校時にお嬢さんだけ呼び止めて「宿題ちゃんとやってくるんだよ」とか「明日は○○を忘れないんだよ」とか。忘れ物がどんなにみんなに迷惑かとか。 それでも忘れ物がなくならないので一つの方法としてやっている可能性もあると思います。 忘れ物をするお嬢さんが悪いことは確かですので、「こんな方法は娘を傷つけるだけです」と抗議するよりは別方法に変えてくれるよう具体的にアイディアを出してみたらどうでしょうか。 そもそもお嬢さんは何を忘れてくるのですか?宿題?教科書やノート? 他のお子さんはどのようにして忘れ物をしないようにしてるのか聞いてみたことはありますか? 保護者会などで他のお母さんに効果的な方法があるか聞いてみるといいと思います。 そもそも連絡帳に赤鉛筆で「わたしは○○をわすれました。あしたもってきます」なんて書いてあったら、うちだったら私が夜も朝もランドセルを確認して100%確信してからしか登校させません。何度も書かれるというのはお嬢さんの注意力もなさすぎる気がしますし、お母さんももう少し徹底して確認してあげるべきではと思います。 先生にしたら「じゃあどうすれば忘れ物をしなくなるんですか?」と逆に問いたい気持ちでしょうから、ちゃんと代替案を持っていくといいと思います。 うちの子の先生が言っていたことですが毎回授業のたびに子供が手をあげて「○○を忘れました」と言うことから始まって5、6分が無駄になるとのことです。 高学年にいくとだらしない女子は嫌われます。 実際、うちの上の子のクラスではグループで町探検や社会化見学に行くさい、時計は誰が持っていく、班長は誰、質問したことをノートに書いていくのは誰、というふうに班で役割を決めますが、だらしない女子は何の役も任されません。うちの子も「○○を時計係にしちゃっても時計忘れるだろうしノートにまとめさせても発表の日に持ってくるのを忘れるかもしれない、だから何もやらせない」とはっきり言ってます。 私はそれでいいと思うので何も言いませんが、そういう評価を他人からされるということは性格形成にもいいわけがないです。 お嬢さんもいまのうちにきちんとすることを身につけさせないと大変だと思いますよ。
お礼
回答ありがとうございます。 >何度も書かれるというのは... ほんとうに時々なんです。いわゆる常習ではないです。 「宿題をなまけて...」の時は、仕上げていたものをうっかり忘れていって「なまけていた」となったようで、本人からすれば「忘れたけれどなまけてなんかいない」となるわけです。 もちろん私たちも「忘れたということは、なまけていたと思われても仕方ないから、これから気をつけよう」と言いました。 責任感の強い子なので、余計に落ち込み方が激しいです。 ただ冷静に見ているつもりですが、やはり親バカでしょうから今度担任の先生とこの件で正面から向き合って、冷静に相談してみようと思います。
- alpha123
- ベストアンサー率35% (1721/4875)
屈辱的というのは単に気の持ち方です。 その子の連絡ノートは他人に見せることじゃないから本人と親以外はわかりません。親も子の持ち物をちょっとだけ注意していればいいだけです。 夕食のとき、宿題やったか聞くだけです (いまは教育方針として宿題やらせない親も多いけど(^^) 自主性損なうから教師が課題出すのはおかしいと吹きます) まぁ子供のうちは何を忘れても特に支障はないが、忘れてもいいと親が思ったり、教師のやり方に反発する姿勢を子供に見せたら後々子供が損するだけです。 何を思っても国民の自由で国民の権利だが、行動に付属の結果は本人がかぶるしかない。 小学低学年と社会人ではまだ距離があるが、たとえば中学入試のとき忘れ物したら結果の不利は本人持ちです。
お礼
回答ありがとうございました。 たしかに...。 忘れた娘が悪い。 確認しなかった親(私たち)が悪い。 私たち親子も、なんとか頑張っているつもりです。 しかし、ついつい「忘れてしまった。」ってことありますよねぇ。 本人も「しまった」と思っているところに、「わたしは○○をわすれました。あしたもってきます」とか「わたしは宿題をなまけました。あしたしてきます。」とみんなの前で連絡帳に自分で書くよう指導されるのは、どうなのかなと? とくに「宿題をなまけました」って..していたのを持っていき忘れて「なまけた」はないと思いますが。 気の持ち方でしょうが、現実に「学校には行きたくない」と少しずつこぼしはじめています。
- toon77
- ベストアンサー率16% (12/71)
明日必要な物をあらかじめ自由ノートもしくは専用ノートをつくりそこに書く。それを前日の夜でもいいので用意できたら丸を付ける。家を出る直前に忘れるのなら玄関にでも置いておく、ここまですれば絶対忘れないでしょう。週間付いてきたら、今までどおりの方法に戻せばいいので。
お礼
回答ありがとうございました。 参考にさせていただきます。 忘れ物さえしなければいいのですが...。 先生に屈辱的な文言を書かされていることに納得できないのです。 連絡帳に書くということは、私たち親への連絡なのでしょうが、必要以上に娘を傷つけているのではないと感じています。
お礼
回答ありがとうございました。 正に私の求めていたアドバイスです。家内には内緒で投稿していたのですが、今二人で見て、感動すら覚えています。 >「明日は絶対忘れないぞ!」「今日の分は明日でカバー!」「明日の私は今日とはちがう!」...。 子供だけでなく大人でも、誰でも通用する前向きなものですよね。 ユニバーサル・フレーズです。 先生に相談をと考えていましたが、まずは、もし次に忘れ物をして「○○を忘れました」とかかされていたら、その横にこれらの言葉を書かせ、娘自身の目標をハッキリと認識させていこうと思います。 暗雲が一蹴され晴天が広がった。そんな気分です。 本当にありがとうございました。