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仏教家系で育ったクリスチャンはどう苦難を乗り越えてきたのでしょうか?

仏教の家系ながら社会人となって父が他界する直前にカトリックに入信。縁者の反対を押し切ってカトリックの家系の妻を娶り、子供たちも受洗させました。養子縁組の一人っ子の私は、母にとっては私の生き方は裏切り行為であり家系にとっては背信行為にしか映りません。信仰は個人のこころの問題であり、クリスチャンでも仏壇の先祖供養はできると説得しても聞く耳はなく、私が信者をやめるか、やめなければ私を離縁して先祖供養をお寺に任せると主張します。母にとっては今やそれだけが死ぬ前の気がかりなのです。ひとり寂しさの母の不憫さを思うと胸が張り裂けんばかりです。よい信者ではないですが、私は信仰を捨てることはできません。自分がまいた種とは言え、母の心の負担・悲痛な嘆きを和らげることができないものか途方に暮れるばかりです。

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  • puppii
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回答No.1

祈りましょう。 まずはそれしかないです。 お母様が救われるように、家族でお祈りしましょう。 毎日毎日・・・ 宗教の問題は難しいです。 もしかしたら離縁されるかもしれませんね。 それは悲しいですね。 養母とはいえ、育ててくれたお母様なんですから。 もし離縁されても、何をされても、一人残されたお母様が病気になったり介護がいる状態になっても看るつもりですか? クリスチャンなら、お母様や親戚に何をされても言われても尽くしてあげてください。 それで心開いてくれるとは思いませんが、それぐらいしか出来ないのではないでしょうか?

maxim16670
質問者

お礼

ありがとうございます。 やるべきことはわかっていましたが、自分なりに励ましのエールを聞きたかったように思います。弱い人間ですから。 普段はいい加減な性格ですが、ことに自分の信仰のこととなると母と同様、頑なになるようです。誤魔化しでもいいから信仰を捨てたと言えば母を安心させられるのでしょうが・・・。 踏絵を突きつけられて死を選択するぐらいの頑固さが自分では信じられないくらいです。 あなたの仰るように、耐え忍んで相手を思いやる気持ちを持ちたいと思います。

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  • ron_ul
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回答No.4

成人の入信については様々な問題が持ち上がるので少なくとも両親の援助があると心強いです。 受洗の前に色々と考えて踏み切ったのでしょうねぇ。 反対を押し切ると必ず後になってしこりが表面化します。 お母様にとって一人息子を失った思いがだんだん強くなってきたのでしょう。 成人でもあり、周りの環境を考慮して洗礼を知らせない方法もあったでしょう。 隠すことはいけませんがあくまでも信仰は個人のことであるので、公表することで問題が起きるならそっとしておく・・・ まぁ、既に公表してしまったのですからあとは行動で示すしかないのではないでしょうか? お母様との距離を縮めることは難しいでしょう。 息子から歩み寄ればお母様は距離をまた広げると思います。 仏教以外の信仰を選んでしまい、お母様を悲しませたことは事実ですのでご自分がいかに苦しく、悲しい思いをしているか伝えてみては? 何時しかその苦しい思いが報われる時がきっと来ると思います。 仏様の教えには従わないけれどキリストの教えも基本は同じだと・・・ 他人を敬い、理解していく。 戦いもあるけれど傷をつけないで解決する努力をする。 違いを認めその上で相手を受け入れる努力、簡単そうでこれが結構難しいです。 出来ること、出来ないことがありますから気をわずに気長にやっていきましょう。

maxim16670
質問者

お礼

主張せず、ただ受け入れて、理解して、ひたすら耐え忍ぶ。 その姿勢でのぞむ努力をするつもりです。 励まされました。

回答No.3

こんばんは。 まず、言葉で「説得しよう」という考えを捨てることです。 離縁する、というのなら仕方ないでしょう。 お母様が、言葉であーだこーだ言ったって、距離を置いたって、いつでもあなたのことを思っているはずです。 親の愛、というのは、そういうものです。 「愛をまけば、愛を刈りとり、憎しみをまけば、憎しみを刈りとる」 という聖書の言葉の通り、 あなたがお母様に対して、お母様の心の嘆きを思いやり、そうやって、心を砕き、悩み、苦しむことは、「愛」故です。 いくらひどい言葉を言われようと、いくらひどい仕打ちを受けようと、許し、耐え、常に希望を持つこと・・・これが「愛」です。 私は、人間関係で悩んで神様に祈るとき、いつも心の中で、神様は私に言われます。 「愛しなさい」とね。 我々人間が出来ることなど、たかが知れています。 「自分が」なんとかしてやろう、と思いあがらないことです。 あなたにできることは、お母様を「愛すること」、そして、神様に「祈ること」この2つ。 「神様は、全てを益としてくださる」 そして、 「真理の帯、正義の胸当て、平和の福音の履物、信仰の盾、救いの兜、神の言葉の剣をとりなさい」 とあるように、 聖書を読み、神の言葉を身につけることです。 祈り、信じる力を求めることです。 「求めよ、さらば、与えられる」 「からし種程の信仰があれば、この岩山さえも動かせる」

maxim16670
質問者

お礼

「説得しよう」という考えを捨てること。目が覚める思いがしました。 アドバイスありがとうございました。

noname#113957
noname#113957
回答No.2

浄土真宗で育ち寺の日曜学校も通ってました。 浄土真宗に愛着がありましたから随分と悩みましたが、 15歳からカトリック教会に通い始め21歳で受洗しました。 40歳で宗教の既成概念を振り払い真理を追い求め、 私なりの死生観を会得して永久の安らぎを得ました。 その数年後に母は安心して肉体から解放され、今もこの家に居ます。 母に日々孝行ができることが幸せでございます。

maxim16670
質問者

お礼

あなたのように揺るぎない信仰心を持ちたいと思います。

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