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クリスチャンになる前の心構えとは?
- クリスチャンになる前の心構えとはどのようなものなのでしょうか?人生折り返し地点に立った今、キリスト教に対して無知ながらも、友人からの熱心な勧めや自分自身の思いから教会への参加を考えているとのことです。
- しかし、これまでの人生は信仰を持たずに過ごしてきたため、教義や宗派の違いに不安を感じています。友人の誘いはカトリックの教会であるようですが、息子が通う学校はプロテスタント系であり、家庭内での意見の食い違いや後悔の可能性についても心配しています。
- そうした中でも、友人の影響によって教会へ行くことに決めたいと思っているとのことです。また、敬意を持って教会や信者に接するために、事前に心得ておくべきことがあれば教えてほしいということです。
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こんにちは。一応カトリックですので(あまり詳しくはありませんが(^_^;))、良かったら参考にして下さい。 教会は神社やお寺と違って、何となく敷居が高いと思われがちですが、同じ宗教施設ですので構える事はありません。文面から大人の方だと思われますので、普通に神社やお寺と同じようなマナーを守っていただくと、特に問題ありません。特に質問者様の場合は御友人がいらっしゃいますので、入るにも、入ってからも戸惑うことが少ないのではないのかなと思いました。 個人的傾向ですが、カトリックは代々続いていたりする方が多いですので、あまり熱心に勧誘したりする方はいらっしゃいません。御友人も「良かったら」的な感じだと思います。また「入るもの拒まず去る者負わず」の傾向が強いので、一度ミサ(プロテスタントの場合は礼拝といいます)に行ったからといって、次回の参加を強要される訳ではありませんし、入会した事にもなりません(ここら辺は御友人から聞いていると思いますが)。何年もミサに預かりながら洗礼を受けていない方もいらっしゃいます。またパッと教会に来られて洗礼の勉強を始めて洗礼を受けられても来なくなる方もいらっしゃいます。また何年かして来られる方もいらっしゃいますし、ずっと来ない方もいらっしゃいますし人それぞれの事情がありますので様々です。来ないといって非難されたりはしません(朗読やオルガンの当番になっていて無断で来なかったら批判の対象にはなるかもしれませんが)。 御子息の学校ですが、学校名が分からないので推測ですが、普通プロテスタント諸派(プロテスタントは様々な教派がありますので、一概には分かりません)で学校を経営されている教派は狂信的というか、狭義的ではない所です。ルター派や長老派など古くからの伝統的な教派、または聖公会(立教など)などが多いです。一部の牧師(又は指導者)による熱狂的な宗教はどうしても少数派ですので、経済的な面から学校経営までいかないのが、現実です。こういうメジャーな教派(日本基督教団など)とカトリック、聖公会、正教会などはエキュメニカルといって一致に向けた運動をしています。もちろんすぐできる事ではありませんが、カトリックのミサに牧師の方がで向いたり、共同でミサ(礼拝)を挙げたりする活動が行われています。またクリスマスのコーラスなどを一緒に行ったりもする所もあります。 http://www2.ttcn.ne.jp/Seijo-Church/event/080120.html このように大きな教会だと緩やかに一致している傾向がありますので、御子息と袂を分かつという事はまずないと思われます。私自身プロテスタントの友人(牧師さんの奥さんとか、熱心な信者とか)が沢山います、正教会は分かりませんが、少なくとも友人関係には何の影響も与えていません。もちろん友人同士で熱心な宗教論議をしたりしていませんが(大体私にそこまでの知識がない(^_^;))、大きな教派では他宗教の悪口を言ったりしません。特にカトリックは山の頂点は同じで、その上り道が違うだけという考え方がありますので、寛容な傾向があります。 とりあえず、あまり難しく考えずに御友人の誘いに乗ってみてはどうでしょうか?もちろん質問者様の御友人を知りませんので、熱心に誘って以後行かなかったら怒るという事は絶対ないとは言い切れませんが、少なくとも教義的にはそれは絶対ありえませんので安心して下さい。私も割とミサを休んだりしてます(^_^;)。その中で自分には何かしっくりこないようでしたら行かないとか、別の教会(この場合御子息と同じ教派の教会に行ってみるのがお勧めです)に行ってみて、それでもしっくりこないようなら時期ではないというか、少し時間をおいてみても良いと思います(この間カトリック新聞で90歳を越えて洗礼を受けられた方が載っていましたので、遅いという事は絶対ないですよ)。 > 教会や信者さんたちへ失礼にならないよう事前に心得ておくことがあれば何なりと教えてください。 多分質問者様が普段神社やお寺にお参りになるのと同じ態度で接していただくと何の問題もないと思いますが、一応は以下の通りです。 (1)服装ですが、この季節あまりありませんが短パン&タンクトップなどの露出の激しい格好はNGです。海外と違って露骨い追い出されませんが、気持ちの良いモノではありません。ジーンズはOKです。 (2)携帯の電源はマナーかサイレンとモードなどにして下さい。 (3)遅刻しないように、また途中で抜ける場合は出口付近にお座り下さい。大抵は1時間~2時間で終わります。 (4)禁煙です。 (5)基本的にミサ中(礼拝中)は写真撮影は禁止です。また常識的にウロウロと歩き回ったりはマナーとしては好ましくありません。 大体こんな感じです。カトリックは決まった動作、決まったセリフ、決まった歌など様式美を追求していることが多いです。これらは全て御友人に聞くと教えてくれると思います。 長文失礼しました。どちらの教会でも素敵な出会いがありますようにm(__)m。
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- ryuken_dec
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きっかけは友人からの紹介でも良いと思います。ただ、質問者様の信仰に対する思いに少し疑問があります。 宗教は自分の心のものです。 息子がプロテスタントで自分がカトリックだと困るからのように、俗物的なことで決めるものではありません。 >家庭内に於ける会話で主張のズレが生じないか >あちらの宗派の方が自分に合っていた これは就職先やカルチャースクールや学校を決めたりするような基準です。「今はテロでイメージ悪いからイスラム教をやめて仏教にしよう」「この時期はキリスト教だな」「今は仏教がブームで、好印象だから仏教にしよう」なんて損得勘定で宗教を決めるものではありません。 まずは、このあたりの「どうして信仰を持とうとしているのか」を少し整理されてみてはいかがでしょうか。
お礼
アドバイスありがとうございます。 私は「信仰」というものすら、実はどういうものか全く解っていないのです。 ただ何かに救いを求めたいという気持ちは強くなってきています。 損得勘定やブームといったようなものは全く考えたこともなく、安心して身と心を預けられる場所と考えた場合、カルトチックなものだけは避けたく、町の小さな教会という良心的なイメージに、心動かされる思いがありました。(実際に一度言ってみて感じた素直な印象です) 現時点では勿論、カトリックとプロテスタントの明確な違いさえも解っておりませんし、もしこれから先カトリックの教えを頂いたとして、自分で納得がいかない点がひとつでも出てきた場合、疑問を持ったまま教えを乞い続けるのは双方辛いのではないかと、素人なりに懸念する思いはありました。 「どうして信仰を持とうとしているのか」というのは、自分の行き所の無い心の出口を探しているというのが理由でしょうか。 その悶々とした思いを抱き、絶望に深淵にいた私に微笑みかけてくれたのが、クリスチャンであり親しく交流している友人でした。 藁をも掴みたい思いがあります。 ですが、無責任な気持ちでやみくもに宗教の扉を開いてはいけないのでは?と自問自答し、真にカトリックが私に合っているのかどうか、そしてプロテスタントとの違いは?・・・などと思うに至った次第です。 自分が救いを求める余り、意図せず相手や教会にご迷惑をかけたり、いずれ迷ったりするのは本意ではないので、教会を訪れる前に必要な心構えがあれば、と思いお尋ねしたところでした。 何も解らぬ未知な世界ゆえ、もし発言に失礼の段があればご容赦くださいませ。 (わけもなくキリスト教に惹かれる今の自身の気持ちを自己分析しても、ただ温かさが心に沁みいるといった程度で、情けないのですが明確な根拠や宗教に対する強い主張などは一切持っておりません。)
- MAY1814
- ベストアンサー率71% (1816/2527)
再び失礼します。No.2です。丁寧なお礼とありがとうございました。 補足欄を拝見しましたが、御子息の御希望は西南学院との事ですね。西南学院はプロテスタントの大きな教派の一つバブテストが母体になっています。私も詳しくは分かりませんが、洗礼(バブテスマ)を受けるときは全身で水に浸かると聞いた事があります。カトリックやプロテスタントはスプーンみたいなので、チョロチョロと頭にかけますので(成人洗礼も幼児洗礼も同じ)、そこが特徴的といったら特徴です。また黒人公民権運動に生涯を捧げたキング牧師(ノーベル平和賞受賞者)や、カーター大統領、クリントン大統領もバブテストだったと思います。大変メジャーな教派で、私も友達が一人いますが、特に変わった所のない普通の友人です。熱心に宗教議論をふっかけてきたり、「聖書には~」とか言ってきたりしません(大体類は友を呼ぶのでゆるい感じの人ばっかり集まってます(^_^;))。 私もプロテスタント系の大学でしたが、宗教の教科って1年で2教科、2年に1教科ぐらいでした。礼拝もありましたが強要されなかったので、全然行かずにチャペルに行ったのはコンサートとか学院クリスマスとかそんなのばっかりです。高校がプロテスタント系で大学も違う今日はのプロテスタント系の人もいますが(宗教推薦で入学してきたようです)、高校時代も特に熱心な授業じゃなかったようです。 おそらくクリスマス礼拝とか素敵だと思いますよ。母校のチャペルで結婚式を挙げるというメリットもあります。御子息が合格できるようお祈り申し上げます。 再度失礼しましたm(__)m。
お礼
>MAY1814様☆ こちらこそ、親身なる再びのメッセージに心から感謝します。 西南学院中学・高等学校、そして西南学院大学が聖書の教えを主軸としていることは最近になり存じ上げましたが、実は学校内にあるチャペルが一般のクリスチャンの方々の礼拝に使われているとはつい昨日知ったばかりでした(^_^;) 本当に無知でお恥ずかしい限りなのですが、校内にあるチャペル=学生の学習用、と純粋に信じきっており、改めて柔軟性あるキリスト教のお考えやなさりように感動した次第です。 (しかしながら宗教に無関心な一般の人間とは、大差なくそのようなものかと思っております。) バプテスマという言葉は以前聞いたことがあり、とりわけ全身を水に浸す洗礼には驚き、様々な方法があるのだなと思ったものでした。 バブテスト教会だと全身なのですね、本当に知らないことばかりでとても参考になります。 西南学院大学には神学部なるものもあるようで、改めて感慨深いものを感じております。 以前は息子に対しても、偏差値至上主義を押し付けてきた私でしたが、荘厳なチャペルでの西南の学校説明会を受け、やはり偏差値よりも人道教育ありき!と、それまでの身勝手な思いを悔い改めたところでした。 それによって息子も私も、西南学院を視野に入れて受験を考えるようになりました。 質問を入れる段階では不安や疑問に感じていたカトリックとプロテスタントの違いも、先にMAY1814様に教えて頂いた「エキュメニカル」によって、一瞬にして不安が吹き飛んだように思います。 道は違っても山頂は同じ・・・とても素晴らしい言葉ですね♪ これまでの人生、頑なに宗教をシャットアウトしてきた私でしたが、人間素っ裸になってみて思うことは、心豊かに熟した魂を携えて天に召されたい・・・ただそれだけでした。 心の隙間を買い物依存やボランティアなどで必死に埋めてみましたが、所詮小さな一人間の力。 大いなる天の力の前にはなすすべもなく、ひたすら車輪を漕ぎ続けるハムスターでした。 それに気付いた今、やはり神の傍で教えを乞いたいと強く願ってしまいます。 MAY1814さんがお近くにいらしたら、友として親しくさせて頂きたい思いです(^_^;) このような場を授けて頂き、またお心の篭ったご回答にとても感謝です! MAY1814様にとって今後ますます幸多き人生でありますように。。。 ありがとうございました♪
- reverie013
- ベストアンサー率18% (26/143)
回答にて状況をご説明してくださりありがとうございます。 既に別の方から適切なアドバイスを頂いていらっしゃいますが、 ちょっと自分もあんまりな言いようのまま捨て置くのも何かなと思い 補足という形で改めて書かせていただきます。 魅力は十分に感じていらっしゃるようですので、 入信はせず、とりあえず教会に足を運ぶと良のではないでしょうか。 いつ礼拝があるとか、気をつけるべきことは ご友人が教えて下さいますよね^^ 何度も足を運んでいれば、正式に入信したいかそうではないか、 自ずと答えは見えてくるはずです。 まずはお試し感覚で触れ合ってみると良いと思います。 傍からは見えなかった良い点・悪い点も見えてくるかもしれません。 最終的にはご自身の判断次第です。 息子さんと宗教が異なってしまう、という点については、 不安があれば身を寄せられる教会の牧師さん (名称が違ったら申し訳ありません)に相談してみては如何でしょうか。 また、入信する前に、ご友人にどういったことで お金が必要となる(場合がある)のか、 信者同士の地域の交流など、定期的な集まりがあったりするのか など、詳しい話をお伺いしてみましょう。 生活状況から無理が出るようでは、 逆に心を痛められることになりかねません。 HU-LALA様に今以上の幸せがありますように、お祈りしています。
お礼
再びのメッセージ、とても有難くそして嬉しく拝読しております。 あんまりな言い様だなんて、私は少しも思いませんでしたよ^^ むしろ、的確なアドバイスであり本当にそうであるべきだと、納得と理解に頷きながらお言葉を頂戴し、とても参考になりました。 これまで無意識に過ごしていた自分の世界でしたが、ふと見渡せば、こんなにも教会や様々な教えが沢山あったのか・・と今更ながらに驚いています。 自分の心に真にマッチする教えや信仰に出会った時、自分なりにもっと前向きに人生を大切にしながら生きていけるのではないか、と思う一方で、キリスト教の右も左も解らない無知な自分が教会へ足を運ぶことが果たして許されるのだろうか?という疑問や葛藤。 宗教は一歩間違えれば戦争すら引き起こすきっかけになってしまうのは歴史上の事実なので、事前知識もなく本当に私のような者が神に救いを求めに行っても良いものだろうかと、ふと立ち止まってしまいました。 ですが、疑問が生じた際には素直にそれをぶつけ、ひとつひとつ教えて貰いながら理解していけるようであれば、気負うことなく一歩ずつ神に近づけるのではないかと思い直しました。。 難しい宗派が云々よりも、自分が今後神を真に信じられるのか、教えを頂きながら今以上に心の成長を遂げられるのか、詰まるところ自分次第なのでしょうね。 私自身が幸せと感じられたらそれでいいのだと思うに至りました。 少なくとも現在、様々な問題を抱え絶望の深淵で、我が生死さえも自己による勝手な操作で断ち切らんと願った忌まわしい心の底辺からは救われると信じたいです。 お優しいreverie013様こそ、どうぞお幸せに恙なくお過ごしくださいませね。 本当にありがとうございました♪
- reverie013
- ベストアンサー率18% (26/143)
こんにちは。 拝見していて、私にはHU-LALA様がなぜ宗教に入りたいのか、 願望が漠然としていて掴めませんでした。 心の荷を降ろしたいだけなら、友人や親族への相談でも賄えるのでは。 以前別の方にも進言したのですが、 特に大した信仰心も無く、入信に迷いが生じているようであれば、 迷いがある内は入信は見送られた方が宜しいかと思います。 ご友人に勧められたからという安易な感覚で (失礼な言い方ですみません)信仰をされるというのは いかがなのでしょうか。 本当にその宗教の信念に感銘を受け、信じて付いていきたい というほどの熱意があるべきだと思います。 無くても入信は簡単でしょうが、人間関係のしがらみで 抜けるのは一苦労でしょうし、 入信した時周りと自分との温度差を感じるかもしれませんね。 入信されるなら、宗教や同じ宗教でも地域によって随分 差があったりするかと思いますが、 多少なりとも洗脳に近いものが存在しますので 妄信的になり視野を狭めてしまわないようご注意下さい。
お礼
早々にご回答頂きありがとうございます。 私見ですが、クリスチャンの皆さんはカルト宗教とは違って、聖書によって生きる指針を心の中に見出す・・という勝手な捉え方をしていました。 言葉足らずだったかもしれませんが、町の小さな教会というのは、「イザ!入信せん!」という気負いなくとも、誰にでも門戸を開いており、来る者拒まず去るもの追わず・・・というイメージが強く、悩みを抱えている者であればノンクリスチャンであっても誰でも気軽に神とお話できる場所、と思っておりました。 まだクリスチャンになろうという時点ではなく、教会のホノボノとした温かさに触れることで心の傷を癒し、また明日への鋭気を養わんとする場所だと思っていたのですが、やはり「宗教」としての相応の学習と覚悟が必要な場所なのでしょうか? >宗教の信念に感銘を受け、信じて付いていきたいというほどの熱気・・・ 友は、「気軽に教会においで。皆さん優しいし楽しいし、癒されるし救われるよ」と言ってくれています。 私自身、信仰として真にクリスチャンにならんと思えるまでは何ヶ月、何年かかるか全く不明な状態です。 もしかしたら数回通うだけで、本能的にココだ!と思う可能性も無いわけじゃないと思っていましたが、「教会へ赴く」という行為自体、よくよく考えて覚悟して行くべき場所なのでしょうか? 詳しく書けそうもありませんが、DVによって十数年の忍耐と自己啓発を繰り返すうちに、頑張っても頑張ってもハムスターが車輪を漕いでいるような虚しさを痛感し、廃人のようになってしまった自分の心を見出しました。 そんな折り、友から頂いた「君は愛されるため生まれた」という歌に出逢い、聴きながらボロボロに泣き崩れておりました。 救いを求めたいと強く願っています。 それが教会へ通ってみようと思う第一歩となった次第です。 が、不勉強ゆえに宗派や教義の違いによって右往左往し、更に気遣いやストレスを蓄積しに行く結果になるようであれば、もっと立ち止まって考えてみるべきでしょうか。 ありがとうございました。
お礼
ご丁寧で温かなコメントをありがとうございます。 まさに、MAY1814さん=私の友?・・・と錯覚するほど、彼女が与えてくれるメッセージそのままでした(^_^;) 友はたおやかで自然体で人としてとても魅力があり、そのお子さん達も教会育ちのせいか優しく思いやりがあり、理想的なファミリーです。 どんなに辛い困難が押し寄せても愚痴らず、常に「神」と、「神を信じている自分」を信じ、笑顔で乗り切っていくといった素敵な人です。 一方、私は強迫観念と言えるほど責任感が強すぎるゆえ、何に対しても必死で取り組み、ある種心に余裕がない人間に思えてならないのです。 友からしてみれば、「自分で何でもこなさねばと思って躍起になっている時点で神の存在に気付いていない。神様はきっと救ってくださるはず」と思うようです。 実際、最近は何に於いても頑張れば頑張るほど身体を壊すのが関の山で、まさにハムスター車輪を漕ぐ状態なのです。 埋めようとしても埋まらない心の隙間を自分自身が認め、人間のエゴを思い知らされている状況と言うか・・・。 以前一度、教会の婦人会に連れて行って貰ったことがありました。 賛美歌を歌い、どなたも自然な笑顔で温かく、それまで宗教には全く興味がない私でしたが、町の教会には行ってみたいな・・・と思うに至りました。 自分の意思というより、神様が背中を押してくれたのでは?とすら思う程に、とても空気が温かくてちっとも厭な気分にはならなかったのです。 これまでも人生の節目節目でクリスチャンの方々に接する機会は多々あったのですが、その当時はさほど惹かれるものはありませんでした。 きっと今、心がとてつもなく疲弊しているため救いを求めてしまうのでしょうか。 でもそれは、私にとって決して悪い選択ではないような、むしろ今後の残された人生を見つめ直すに必要なものでは・・・?と直感的に感じています。
補足
>MAY1814様☆ (すみません、字数制限にひっかかってしまったのでこちらにお礼コメントの続きを書かせて頂きました。) 息子は西南学院という学校を目指しています。 お恥ずかしい事に、こちらがキリスト教を主体とした教育を行っていると知ったのもつい最近の事です。 友人も数多くここを卒業していますが、皆さん至って穏やかで心優しい素敵な紳士淑女ばかりです^^ 過日、改築したばかりの校内の大きな礼拝堂で学校説明会が行われ、デン!と鎮座したパイプオルガンに仰天しました! こちらでは品行方正でごくごく健全な学生さんが育っている事にも大きな安心感を抱いております。 むしろ昨今のような殺伐とした時代ゆえ、心の教育を主軸とした西南学院は親として魅力を隠しえません。 教会でのマナーも教えて頂いてありがとうございます♪ 一般常識的な配慮をすれば誰でも受け入れて頂けそうで安心しました。 友も、何年もミサには来るけど洗礼を受けていないノンクリスチャンも沢山いらっしゃるから安心してと言ってくれるので、私も気負わず徐々に慣れていけたらと思います。 ありがとうございました!