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気持ちの整理の仕方(知人の自殺)長文です

数日前、知人が亡くなりました。自殺でした。彼は39歳でした。 彼は迷惑防止条例違反〔痴漢行為です)を起こし、そのため、職を失い、親、親族、妻子供に絶縁され、住居もなくなり、耐え切れず命を絶ちました。 迷惑防止条例違反を起こしたため、自業自得とも言え仕方が無いことかもしれません。 彼は職場の先輩であり、私とはゲームやアニメ等などの趣味が合ったために、いい歳して話し合える仲間として親しくしていました。 事件を起こし、すべてを失っていった彼に会いに行きました。 家族に絶縁されたこと、仕事を求めて都会に行くこと、家を処分すること、その他いろいろな手続きに追われ忙しくなること等の話をしました。 そしてその数日後、彼は自ら命を絶ちました。 今考えると話の最中にサインはありましたが、わかることが出来ませんでした。 「妙に達観したような話し方に乾いた笑い」をショック時期を越えて現実を見つめなおして努力している途中で笑いに力が無いのかな? 「もう会うことも無いだろうけど・・・。」遠くに仕事に行くので言っているのかな? 楽観的なんでしょうね、私は。 話から聞くと、私が彼に最期に会った人だったようです。 経緯もなんなので、親族の希望により、しばらくはひっそりとして周り広めないでほしいとの要望もあり、なくなったことを知っているの数 人だけと言う状況です。 「もし、あの時気が付いていたら・・・」等の後悔をしながら、また逆に「自分なら止めることが出来たと思うことはおこがましいのでは?」 等思ったり、 「故人を気にしてどうするんだ、何も考えず楽になれ」と思いながら「忘却するのは,薄情ではないか?」と自問自答して自己保身ばかり 気にしている自分に自己嫌悪におちったり・・・。 やはり、私にも生活がありますので気に病みすぎて、どうかなってしまってもいけませんから気持ちの整理をつけようと思うのですが、どのよ うに考えるのがいいのでしょうか?

みんなの回答

  • M-MY
  • ベストアンサー率35% (5/14)
回答No.6

理由は違いましたが、私も知人を自死で亡くしました。 そして私も恐らくは、仕事仲間で彼に会った最後の人間です。 私もサインに気づいていました。あれ、いつもと違うな、珍しいな、と思いました。 別れ際に「ありがとう」なんて言う人じゃありませんでした。 私も後悔しました。苦しかったです。気づけなかったこと、救えなかったこと。 もっと何かが出来たんじゃないかと思うことは止められません。 ただ、亡くなった方はkh1968さんを迷わせるつもりはなかったと思うのです。 ですから、きっとkh1968さんが苦しんでいることにすまないと、そしてそこまで気遣ってくれてありがたいと思っていると思います。 もしkh1968さんの立場が逆だったらどう思うか、それが答えになると思いますよ。 生きていても、後悔や自己嫌悪はつきものです。 彼が逝ってから数年経ちますが、私は恐らく忘れないでしょう。 苦しむための思い出ではないはずです。私も、忘れないのはそのつもりです。 忘れるなといっているのではないですよ。 kh1968さんがご自身で納得のいく答えを見つけられることをお祈りします。

  • hagemayo
  • ベストアンサー率0% (0/0)
回答No.5

自殺を助けられなかった、とあなたが気に病む必要はないです。 彼は自分の行動の結果、最終的に死を選んだ。 止めて欲しかったかもしれないけれど、それでも何も言葉にしなかった。 それならそれでいいじゃないですか。 彼が死を選んだことを尊重しましょうよ。 そして、気の合う親しい仲間が死んでしまったことを悲しんでください。 感情のままに悲しむ。 そのほうがなくなった彼にとってもうれしいのではないでしょうか。

  • madisan
  • ベストアンサー率29% (82/277)
回答No.4

あまり気にせずにとっとと忘れてしまうのが一番良い。 この世の中に”絶対”ということはなかなかないが、人は何れ必ず死ぬ。 物見方を変えると、人は死ぬ瞬間に向かって生きているのであり、 生きているということは、まだ死んでいないだけ、ともいえるのだ。 自殺という死に方は、今の世の中だと負け犬のように見えてしまうが、 今後、人口増加などの問題から崇高な意思決定と考えられる日がくるかもしれない。(時代は巡る) 少なくとも(絶望の淵にいたとしても)、彼の選択は自らの選択であり、それはそれで尊重されるべきなのだ。 彼は自分意思でそれを選択したのだから、貴方は何も気を病む必要はない。日常の生活の中で、たまに彼を思い出してあげるだけで十分な供養になると思います。

  • tyty7122
  • ベストアンサー率31% (238/764)
回答No.3

産業医へ相談を。産業医以外ならば精神科医がいいだろう。 >今考えると話の最中にサインはありましたが、わかることが出来ませんでした。 これは、今だからこそサインがあったと思い込んでしまうのであり、貴方の代わりに他の誰であったとしても察知など到底できなかったはずだ。貴方が悪いわけではない。 >「もう会うことも無いだろうけど・・・。」 解雇された会社の同僚にこのように話したとしても、自殺を想定するのには無理がある。遠くに引っ越すのだろうという読みこそ自然だ。実際に、転職して遠くに行く元同僚が今回のと全く同じ台詞を言うことは珍しくも何とも無く、一般的とさえ言える挨拶の文言のひとつに過ぎない。 >話から聞くと、私が彼に最期に会った人だったようです。 これは偶然に過ぎない。彼が貴方と会っているときに既に自殺を決意していたとは私には思えない。むしろ、貴方と会った数日後の諸々の手続きの忙しさが途切れた瞬間にふと我に返り、発作的に自殺に走ったのだろうと思う。仮に彼が貴方を最後に会う人と決めていたのであれば、貴方と別れた後に時間をおかずに自殺を決行したはずだ。 参考までに、参考URLの中の「職場における自殺の予防と対応」(各ページの下に全体版がある)を紹介しておく。 >「忘却するのは,薄情ではないか?」 そんなことは無い。人生の中には多くの死別がある。そして人の死に方も様々だ。たとえ親戚との死別であっても、しばらくすれば忘れてしまうのが普通であり、自然だ。そして残された人間は自身の人生を歩んでいく。そこで踏みとどまってしまっては、死んだ人も悲しむことだろう。 そうそう、もうひとつ、WALKING TOURという有名なFLASHを紹介しておく。直リンクは禁止されているので、そのFLASHのURLが記載されているサイトを紹介しておくので、気が向いたら目を通して欲しい。

参考URL:
http://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/anzeneisei12/index.html,http://d.hatena.ne.jp/keyword/WALKING%20TOUR
noname#100021
noname#100021
回答No.2

こんばんは。 私には経験はありませんが、とてもショックな出来事だったことはお察しできます。 実は私は以前軽いうつ病だった事があります。軽いと言っても何度も死ぬ事を考えました。 でも死ぬ事はできませんでした。 私はその時に、自殺をする方というのは、自殺をする時点ではもう正常ではなく、 突発にしてしまうのだ、という事を感じました。 人間の無意識下の防衛本能はとても強いものだとその時感じました。 そういう私の経験からですが、多分kh1968さんにお会いした日は、生きる事を考えていたのだと思いますよ。 でその数日間に何かあったのでしょう。その方もそのおかしくってしまう直前までは生きていくつもりだったと思いますよ。 お会いになった時は生きていくおつもりだったと思うので、 きっと何も気づく事なんてなかったと思います。 また、ご自身で命を絶たれた方にしろ、事故などで亡くなられた方、寿命を全うしなくなられた方でも、 「自分に何かする事があったのでは」と考えてしまうものだと思います。 私は特に何も信仰してはいませんが、亡くなった方の事をあれこれ考え悲しんでいると、 亡くなられた方は成仏できないのではないか、と思っています。 今はご冥福をお祈りして、楽しかった思い出だけを覚えているようにされた方が その方のためにもよいのではないでしょうか?と考えています。 あくまで経験などからくる私見ですが、何かkh1968さんの気持ちが楽になるような参考になれば、とてもうれしいです。

回答No.1

刑法に触れる婦女暴行ではなく、条例違反レベルでの結末としては、ちょっと不思議なほど激しいものですね。その方は神経の細い方だったのでしょう・・・。 私の持論を押し付けるようで恐縮ですが、人には予め定まった宿命というものが存在すると思います。 (その宿命を何人も予想できないから世の中は成り立つ、という考えです。) その時点での自殺が、その方の持って生まれた運命だったのではないでしょうか? 悲しみは時間に解決してもらうしかないと思いますが、思い出すことをムリに絶とうとすることは不要ですし、その逆もまた同じです。 助けられなかったとは言え、貴方は自殺に直接でも間接でも、関与したわけでは無いのですから、自分を責めるのはよしましょう。その方の本意でも無いと思います。 こんな考え方ではどうでしょうか?

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