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元被差別階級に関して。
1.僕は都会に住んでいるのですが、田舎ではまだ差別が 残っていると聞きます。本当でしょうか?現在でも差別を 受けつづけているのでしょうか?それとも、左翼系の活動 の理由として使われているだけでしょうか? 2.この人たちのことを語るのはいまだタブーでしょうか? 僕の印象としては、公の場でかたることはできるが、場の 雰囲気がぎこちなくなる。という感じです。 僕は、こういう人たちがまだもし存在するなら、土地を移動して 混血が進んで早く、なんだかわからないように曖昧になって ほしいと願っています。
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- pensom
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補足です。 もう、2代目、3代目、4代目になっています。 1代目の方たちは、亡くなった方も沢山いるでしょう。 やはり、親が「私たちが正しい!」と言えば、子供もそう信じるはず。 だから、中には新しい場所を見つけようとしない人も多いのでしょうね。 仙台市も、ただここから出ていってくれと言うんだったら、何かきっかけを作ってあげるべきだと私は思います。 そこに、動物公園を作るからとか、公園を作るから退去するようにというのは、何度も通知しているらしいんですが。 実際、公園と私たちどっちが大切なの? と言う、疑問も数多く出たみたいです。 この場合は、被差別階級の「血」の問題ではなく、何故行動を起こさないのかという、イライラ感。それと、無料といえる状況で家を手に入れている、市民のジェラシーから出来ているものですね。
- pensom
- ベストアンサー率27% (10/36)
初めまして。私の実家は仙台だったのですが、少し差別を感じたことがあったので、回答させてください。 仙台に、追廻地区というのがあります。 ただ単に、これは地名なのですが、この場所は、戦争で引き上げてきた人たちが、戦争のせいで家を失った場合、ここに住めるという場所だったんです。 勿論何十年も前のことですが、いまだにここに住んでいる人たちは、今もなお差別を受けているといえるでしょう。 大半の仙台市民は、何故、職を持って引っ越せる状況なのに、住み続けているの? と思っていると思います。 確か、住めるのは、仙台市から家を借りているという状況なので、何年かの契約になっているはずなんです(年数は分かりませんがとっくに過ぎています)。 私はそこに行ったことがあるんですが、異様な空気でしたね。一昔前にタイムスリップしたみたいな。古い家ばかりがあって、引っ越した人たちの土地が、ポコポコ空き地になっていて、仙台市に認められていないせいか、トイレが水洗化していないんです。だから、匂いが、昔のトイレの匂いだったのを覚えています。 ただ、住んでいる人たち曰く住む為の金を仙台市に払ったそうなんです。 でも、それは誰が聞いても家を買う金額とは程遠い安いもの・・これは長い問題に なっています。 私はどちらが正しいか分かりません。ここの住所に番号をつけてあげなかったり(ここの地区の人は住所が皆同じ)下水処理をしてあげない仙台市(住みにくい環境にしている)が差別的という人もいるでしょう。 ただ、所々の家は、家を改築したり、建て直したり、先程の空き地に、野菜や花を植えたり・・。家賃を払ったり、家を購入している仙台市民にとっては、「なんで私たちだけ?」と考えています。 私もいつになったら・・と解決してくれることを待っているのですが。
お礼
回答ありがとうございました。 難しい問題ですね。差別の悪循環かもしれませんね。 そういう状況は避けようがなく存在してしまうのかもしれませんね。 僕が仙台市民だったら同じように感じているような気がします。 ただ、もしかしたらそこに住む住民はある程度年がいってしまって、 もう他の土地に引っ越す体力もなく、また他の土地で仕事を見つけることもできないのかもしれませんね。 僕はこういう場合「寛容」(市役所が彼らのために安アパートと 仕事を用意するなど)が大事だと思うのですが、現実問題 そう簡単にはいかないでしょうね。そこに住み着いている人に はもうすでに柔軟な思考を受け入れることや、今の生活を 帰ることができないかもしれません。 ただ、その町の存在が他の市民にとって悪い影響(犯罪、異臭など) を与えるのであれば、市役所は何らかの措置をとらなくてはいけない と思います。 回答ありがとうございました。
- iktzy
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被差別というのはまだあると思いますね。現代的な一般感覚では信じがたいですが。それも世代間の代謝による記憶の淘汰が進んで、だんだん忘れられていく傾向にはあるのではないでしょうか。ただ、親子間で経済的な貧しさの連鎖があるので、暮らし向きの良し悪しで何となく様子が違うな、と思われることはあるかもしれません。また、子供は知らなくても親の世代が知っている場合は、親の心の中に深く内面化されているかもしれないので、事実や知識として子供に伝わらなくても、親のストレスから精神的に伝わってしまう、ということがあるのかもしれません。どれも無根拠で馬鹿げたことだと、私は思います。新しい世代の誕生が一番の解決法ですね。 こういうことがあった、ということを語るのはタブーではない重要なことだと思います。事実を忘れ去ることは、繰り返す可能性を生み出すことですから。しかし、誰かを特定して語ることはだめだ、と思います。それはタブーというか、倫理的にありえないことだと思います。事実自体を指摘することがはばかられるとすれば、それは一つの圧力がまだ現代でもあるということでしょうね。まだ歴史的な傷がうずいている、ということでしょうか。差別する側にとってもそれは罪悪感を背負った傷なのだ、と思います。 混血が進むといいですね。ほんとにいいことをおっしゃるなあ、と思いました。戦前の天皇制の下では朝鮮の方が被差別的に扱われましたが、天皇自体が朝鮮から来たという説もありますし、朝鮮の方の血が混ざっているということも聞きます。要するに、現実的に純粋なものなどありえないのです。差別する人と差別される人は、交換可能なんだ、と思います。
お礼
被差別階級の人というのは、どういう風にして発生したのでしょうね? 士農工商という制度が決められた同時期に、幕府への反発を 回避するために作られたのでしょうか? それではどのような人が、そのような階級に貶められ他のでしょうか? 前科のある人?知恵の遅れた人?卑しい職業についていた人? それともユダヤ人のように、能力はあったけど卑しい職業 (当時、金融。についていたから、違いましたっけ?)に ついていたから? なんだか、語るのがいやになってきました。 もしよろしければ教えてください。 よろしくお願いします。
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お礼
たぶん、その居心地のよさに彼らは何世代にも渡っていついて しまったのかもしれませんね。 ただ、階級格差の認識は犯罪などにつながるとどこかで聞いたことがあります。 もし、何か問題が起きそうな前兆があるなら市役所は早めに 手を打つべきだと思います。 (素人考えです。すいません。)