ご質問を拝見して興味を覚えましたので、簡単ですが調べた結果を年表式でお知らせします。
年代・日付に関しては自信がありません。
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1875年(明治8)9月20日 江華島事件
李氏朝鮮26代国王高宗(王妃は閔妃、父は大院君)の時代。
日本の軍艦が李氏朝鮮国釜山港に入港し、発砲訓練。江華島の草芝鎮砲台から砲撃を受け日本が反撃。
日本が李氏朝鮮国に賠償請求。⇒日朝修好条規(1876年2月26日)
【日朝修好条規】
朝鮮の独立国家承認(中国清王朝の影響力排除)し、日本に治外法権や無関税特権を認め、
日本の公使館を設置。
1882年(明治15)7月23日壬午軍乱
後始末として済物浦条約を締結(1882年8月20日)。日本軍駐留。
1884年(明治17)12月4日甲申事変
天津条約(1885年1月4日)日清両国の朝鮮に対する相互牽制。
1894年(明治27)3月29日甲午農民戦争(東学党の乱)
朝鮮政府は清国軍の応援を要請。日本軍は天津条約における日清両国の勢力均衡と日本公使館と日本人
居留民の警護のため出兵。事件後の軍駐留をめぐって日清開戦(1894年8月1日)。
⇒日清戦争⇒1895年4月17日下関条約⇒4月23日三国干渉(露、仏、独)
【下関条約】
朝鮮に対する清の支配を排除
1895年(明治28)10月8日王城事変(閔妃殺害事件)
⇒ 春生門事件(親露派クーデター未遂事件)、高宗ロシア公使館亡命
朝鮮から「大韓帝国」に国名を変更(1897年10月12日)。
1900年(明治33) 義和団事変
鎮圧後、ロシア軍は中国東北部(満州)に駐留。日露の軋轢。
1904年(明治37)2月23日日韓議定書調印
「第1次日韓協約」1904(明治37)年8月22日締結。日本人が大韓帝国政府の財務、宮内府、軍、警務等
の主要ポストに就任。警護のため日本人警察官を派遣。
⇒日露戦争⇒1905年7月桂-タフト協定(米が日の朝鮮支配を承認)⇒1905年9月ポーツマス条約
1905年(明治38)8月 日英同盟
イギリスが日本の朝鮮支配を認める。
1905年(明治38)11月17日第2次日韓協約(乙巳保護条約)
大韓帝国の外交権を日本が掌握。韓国京城に統監府をおく。
1910年(明治43) 韓国併合
韓国統監府を「朝鮮総督府」に改め、統監府長官を韓国統監から「朝鮮総督」に改称。
以後、昭和20(1945)年まで存続。
1945年(昭和20) 第二次世界大戦終結
米ソの対立で、38°以南を米国軍政統治、以北をソビエト支配。
1948年(昭和23)8月15日大韓民国建国
国連監視下の自由総選挙(1948年5月10日)による制憲国会を経て建国。1948年12月12日に国連承認。
金日成を首相として朝鮮民主主義人民共和国の建国を宣言。共産圏国家が承認。
なお、参考URLは思わず読み入ってしまったHPで、日本と韓国・朝鮮との関わりを掘り下げて書かれています。
お礼
皆様貴重なご回答をありがとうございました。とても勉強になりました。今後日本と北朝鮮の外交がどうなるかはわかりませんが、円満に解決できれば良いですね。