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堂々と、動じない人間になるには

自分に自信がありません。他の人の視線が気になり外に出ると挙動不審でキョロキョロしてしまいます。携帯で歩きながら話していても人が通ると会話の内容を聞かれてしまうと思い話を止めてしまいます。 もっと、堂々と、何事にも動じない男らしい人間になりたいです。 どうすればそんな人間に変われますか? 変われるものなら一生懸命に努力します。 アドバイスよろしくお願いします。

みんなの回答

回答No.8

すごい人達が来ましたね。この面々は、すごいですね。 みんな、冗談なんていってないからね。 本ですよね。PHP文庫 加藤 諦三さんは、いかがですか? 元うつだったんだろうって、うつの経験者ならわかる人です。手に取るだけでもいいから、みてみてください。

回答No.7

あなたのような人は、『人に嫌われたくない』、『人に馬鹿にされたくない』、『人に嫌な思いをさせたくない』と強く思っている傾向があります。もちろん、その気持ちは誰にでもあります。人の目を全く気にしない人は世の中に1人もいません。しかし、人間は多種多様ですから、万人に好かれるということは有り得ません。 私からのアドバイスは、『人に好かれよう』とか、『人から良く思われよう』とするのではなく、むしろ『人に嫌われよう』、『人に馬鹿にされよう』、『人から変な目で見られよう』とするのです。それも、ちょっと悪口や陰口を言われるくらいではなく、あなたを殺そうとする人が現れるくらい嫌われようとするのです。もちろん、これもキツいですけど、人の目を気にして自分を出せないよりはずっと開放的です。 しかし、『人の悪口を言え』とか、『人に暴力を振るえ』と言ってるわけじゃありません。あくまで自分の個性や習慣を表に出すだけですから、その個性や習慣を嫌う人や馬鹿にする人が出てきても仕方がないということです。しかし、それに慣れればどんな人と接しても怖くないはずですよ。

回答No.6

しかし具体的に何をすればいいのかわかりません。よろしければアドバイスねがいます。また、そういった考えの本をご存知でしたら教えてください。勉強したいです。よろしくお願いします。 >>>という事なのでアドバイスをします。貴方が全てに自信がないと思っている事は、『自分は何者か?分からない』という事がその元に有ります。その疑問は『貴方のもう一つの心』が抱かせている疑問と言えます。その事が在って『自分を肯定出来ない事が』貴方の自信の無さにつながっています。 人間は誰も『自分一人』で生きていると思っています。他の言い方をするならば『自分は自分の自我意識』だけで生きていると思っています。これは、大いなる誤りと言えます。 『精神疾患』と言うものが有ります。これは「自我意識」だけを認めて、自我意識だけで生きてゆこうとしている『姿』と言えます。精神疾患というものは、自我意識が『もう一つの意識』を無視して生きてゆこうとして、大変困難な状態に置かれている状況と言えます。 他の観点からこの事を説明するならば、『精神疾患の症状』と言うものは、無視された『もう一つの意識』からのメッセージと言えます。『もう一つの意識』と言うものが余りに分かりにくいために、『漠然とした不安、或は罪悪感や、生き難い想いとして色々な症状』として顕れます。 貴方の為してゆこうとする事は『人間の不安の解決』というものかと思います。人間の不安の解決と言うものを求めるならばそれは『禅』の中に在ります。不安は自分で不安を作っているものです。環境のせいだけには出来ません。自分の中の不安を作っているものを掴みなさい、というものが『禅の』教えている所のものです。 『禅匠』と言う人達は若い頃から『不安になりやすい性格』だったと言えます。その最たる人が「お釈迦様」と云えます。云った事は『一切皆苦』という事です。これは『精神疾患』の事です。健常者はこんな事は言いません。『冬来たらば、春遠からじ。或はトンネルの向こうには出口がある』 『精神疾患』というものは「心が否定的な考えに陥ってしまう事、或は、否定的な状況を作り出してしまうこと。」他の言い方をするなら「心が固定されてしまい、他の事が考えられなくなる事」という事かと思います。 貴方が自分に自信がないという風に感じたと言う事は実に良い事と言えます。自分自身に気が付くチャンスが到来したと言えるからです。『精神疾患と云っても、人生苦と云っても、悩みと云っても』全てが同じ事が原因で起こされています。 それは『心の対立と矛盾』という事です。簡単に説明してみます。『人間には心が二つ有ります。』一つは「自我意識」です、これは分別する事が専門の脳です。自覚できます、分かりやすいです。 もう一つ有ります是は「仏性」という風に仏教では言います。処が是は自覚し難いです。分別出来ない事を担当している脳です。分別出来ない事を「永遠」というかと思います。これは『無意識の意識』といいます。無意識でやったことを把握しています。自我意識と後退で人間を支えているために、自我意識は「知っているけれども知らないと思っています」 それで『禅問答』というものが出来上がりました。禅問答は「自我意識」には解けない問題です。『精神疾患や、悩み、苦しみ』というものも「自我意識」では解決出来ない事です。 それは脳の機能に在ります。禅問答が解けるという事と、不安の解消が出来ると言う事は、同じ事の原理によります。自我意識には脳の機能からいうと不可能な問題を抱えてしまう事が『精神疾患』と云えます。ですからその解決と言う事は『自我意識』には出来ないという諦めが必要となります。その諦めた姿が『大死一番』という事になります。 その時「自我意識」に替わって抱えていた問題を解決してくれる者が「仏性」というものです。それは『右脳』の意識です。無意識を司っている所の意識です。そのときの感想は「見知らぬ他国で親父に会ったみたいなもの、暗闇で自分の嫁に会ったみたいなもの。」という事です。 禅についての参考になるものは鈴木大拙博士の書いたものをお薦めします。博士は25才で「見性」体験をしています。それから90何歳の亡くなるまで、禅仏教の研究に生涯を捧げた方です。入門書に近い本から、かなり専門的なものまで色々と有ります。かなり取り組みやすいと思うからです。 何事も自分の事だけとなりますと、本当の事が見えてこない場合もでてきます。『人間全般の悩み』というふうに考えるとかなり冷静に自分も含めて、観察できるかと思います。禅問答が解けることは『生死の問題が解決する事です』不安の解消と、この人生での『生死』によっても左右されない所の、本当の自由が手に入ります。

回答No.5

他人の視線が気になったらどうぞ見てくださいと思い、会話を聞きた がっていたら聞かせてあげるだけです。 そうすれば、自分は意外と物事に動じないと感じられるはずです。

noname#71840
noname#71840
回答No.4

僕もあなたと同じような気の弱い人間です。 生きていく上で、かなり損ですよねこの性格。 とにかく簡単な治療方法は無いと思いますが、 僕にとって、常に自分を持つという事が良いでは無いかとおもいつつあります。 他人の目を気にしすぎても仕方が無い。 自分は自分で良いのだ。 こんな失敗は気にするな。 哲学的な考え方だと思います。 ナポレオンヒルの成功哲学という本を僕は良いと思いました。 この本が納得できると気持ちがだいぶ変わると思います。

profest
質問者

お礼

ありがとうございます。 今日早速本を買いました!読んでみますね!楽しみです

回答No.3

それはジレンマになりますが、貴方が『動じても良い』という事が分かった時です。動じても良いと言う事を受け入れられない事が貴方を『動じてしまって困ったと』思わせています。それは貴方の「人間の心」に対する「無知或は認識不足」と言えます。 人間は『欲しい』と思っているものが手に出来ない場合が有ります。生きてゆくためのコツがわからない時と云っても良いものです。そのこつが分からない場合は『反対になってしまう』場合があります。 欲しいものが皆遠くなっていく時が有ります。それは自分の我の使い方が誤っている場合などです。人間が欲しいものを手にする時は、捨てる勇気が有ってそれから欲しがる事が大事かと思います。捨てる勇気がなくて「ただ欲しがってばかりいる時は」多分手に出来ません。 それは今の貴方の場合です。貴方が『捨てる勇気』が有った場合は『動じない貴方を手に出来ます』貴方には捨てる勇気がないのです。そのために『欲しいものが手に出来ない状態に在ります』

profest
質問者

補足

ありがとうございます。 おっしゃることが何となくですが、理解でき納得できました。 しかし具体的に何をすればいいのかわかりません。よろしければアドバイスねがいます。また、そういった考えの本をご存知でしたら教えてください。勉強したいです。よろしくお願いします。

  • bouk
  • ベストアンサー率49% (334/680)
回答No.2

自意識過剰なのでは。 誰もあなたを見てないし、誰もあなたの会話に聞き耳を立てていません。profestさんは赤の他人様についてそれほど関心がありますか? profestさんが思う動じない人間になるには、鈍感、無関心になること(?)。

noname#29549
noname#29549
回答No.1

 年配者の意見として、気分を損ねないで考えて下さい。  歩きながら携帯での会話することは、マナーの問題で会話を止めるのが普通だと思います。堂々と動じない人間とは、例えば仕事のトラブルや駆け引き(商談など)で堂々とおちついて対応できる人の事です。何事にも顔(表情)に出さず、ポーカーフェースでいられる事や冷静に対応する事だと思います。貴方が学ぶ事は、武田信玄の「風林火山」の意味を考えたり、座禅などで無の情態にして考え、後ろめたい行動を慎めば他の視線が気になる事はなくなると思います。

profest
質問者

補足

ありがとうございます。 座禅ですね。ぜひ試してみようと思います。何かおすすめの良書はございませんか?竹田信玄の風林火山も調べて勉強してみますね!

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