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飲み会の意義とはなんですか?
「飲み会」というものに対して、皆さんの意見を聞かせてください。 私は「飲み会」というものに対して、違和感があります。どうしても理解できないところがあるのです。どういうことかと言いますと、まず、私には今年新社会人になった彼がいます。入社してからこの数ヶ月間で、彼は数え切れないほどの「飲み会」に参加していました。平均して週に4、5回ほどでしょうか。飲み会はどれも20時や21時頃から、つまり、会社での定時が終わり、きっちり残業もしてから始まり、終わるのは早くて終電の時刻にすれすれ間に合う時刻、遅ければ1時や2時まで続き、皆タクシーで帰るのだそうです。 あまりの頻度の高さと、開催時間の長さに、「そんなにやりすぎじゃない?」「長すぎじゃない?」「そんなにやって、何のために?」という良くない印象を、私はまず持ちました。ところが、彼は言うのです。「飲み会に参加するからアピールできる点がたくさんある。」「飲み会に参加しなければ聞けない話がある。」「飲み会には意義がある!」と。 こちらもこちらで、彼の就職とともに学生の頃よりメールも電話も減り、寂しい思いをしているのです。飲み会を良く思わない原因にも、その寂しさは含まれます。飲み会のある日なんて、私が起きた頃には彼は会社に着くくらいで一日メールがこず、そのまま飲み会へ行ってしまうのです。そんな私に、彼は悪びれもなく「飲み会への参加をやめるつもりも、減らすつもりも毛頭ない。」と言うのです。私たちは、幾度となく喧嘩をしました。そして、ちょっと、ほんわかしたホームドラマを見て「この家のお父さん、毎日早くに帰って家でご飯食べて、良いお父さんやなー」と言いますと、きっぱりと「家庭を持って、飲み会を減らしたとしても最低4回は行く。」と言って、その場の空気を濁すのです。 彼曰く、飲み会の場は接待の場であり、尚且つ自分のアピールの場でもあると言います。話をうまくすること、さっと気遣いができること、こいつは良い奴だと思わせること、全てが決して遊びとは程遠い、世間を渡るために必要なのだと、胸を張って言うのです。それでも私が納得できないでいると、しまいには「○○ちゃんには分からないよ。」と言って諦めるのです。 私には、数年間をドイツで過ごした叔母がいます。その叔母が言っていた言葉に、「ドイツの人は出勤時刻にきちんと会社へ行って、定時には必ず帰る。残業はしない。夕方には家へ帰って、家族とショッピングへ行ったり、夕食も一緒に食べる。会社の人との付き合いは、家族ぐるみでする。会社仲間の家族同士が集まり、夜になると皆でビールやらソーセージをテラスで食べているのをよく目にした。」というものがあります。 私は、これをとても良い文化だと思いました。彼の言っている事は最もかもしれない。ですがそれは、会社の上司やその上司や、そのまた上司がずっと続けてきた事で、「そういうもの」として確立されているからだと思います。本質を考えた時に、その方法は本当に正しいのでしょうか? 会社では仕事をきちんとしたあとで、夕食を作って待っている妻もいる、寝るまでに少しだけ遊びたいと思って待っている子供もいる。そんな家庭があるのにも関わらず、親父連中は固まりになって居酒屋へと出向き、帰ってくるのは真夜中過ぎ。そんな、家族と切り離した、飲み屋通いが、事実プラスになるような体制はおかしいのではないでしょうか?また、例えば、いやいや僕は家族が大切だからと、「飲み会」には一切参加せずに、しかし会社ではきちんと働いている人は、世は渡っていけないのでしょうか?彼が言う、「飲み会でしか学べないものがある。聞けない話がある。」が本当ならば、そういった人は、それを学べず、聞けず、置いていかれるのでしょうか? 長々と、申し訳ありませんでした。鬱憤がたまっていたのかもしれません。よろしければ、ご意見をいただければと思います。
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- mat983
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>本質を考えた時に、その方法は本当に正しいのでしょうか? 郷に入っては郷に従えの格言がありますが、 どちらも正しいのです。 ただ、「飲み会の場は接待の場であり・・」 「飲み会はどれも20時や21時頃から・・」 とありますが、接待を午後8時からはしません。もっと早い時間です。 会社の飲み会と接待がごっちゃになって書かれています。 接待はやむを得ませんが、飲み会はコミュニケーションの場として必要ですが、度が過ぎます。 これでは却って疲れてしまい、翌日に響きます。 悪い日本的慣習を引きずっています。 お酒の入らない場=ミーティングで十分に意思疎通できます。
補足
コメントをいただき、ありがとうございます。 「会社の飲み会と接待がごっちゃになって」とありますが、そうだと思います。私と彼の年齢が離れている事もあり、どうせ、「今日は会社の飲み会だ。」とか、「今日は接待だ。」とかいう違いを言っても分からないだろうと思われているのかもしれません。しかし、思い返してみると、たまには会社を18時頃に出ていたこともありました。 度が過ぎると、私も思いそう言うのですが、彼には通じず、書いた通りに言い返されてしまいます。また、「疲れる」ことに対しては彼自身なんとも思っていない様です。仕事が終わった。上司に誘われて飲み会に行った。疲れて帰ってきた。明日も朝早くから仕事だ。あんまり寝れないや。そうやって、時間に追われ、自分の体を押して頑張っている事がステータスとでもいうように言ってくるのです。 ミーティングで充分に意思疎通ができたとしても、「飲み会通い」はいつしか習慣となり文化となり、なくなってはくれないのかもしれません。あとは本人の意思が行くか行かないかを決めるのでしょうが、彼は断固として「行く派」で、これもどうにも動きようがありません。