• 締切済み

人生一度きり

二度目はやはりないのですよね。ということは現世はあきらめて来世にかけるという考えは成り立たないのですよね。しかし不幸にも現世が不幸な人間はどう生きればいいのですか? 分らないので教えてください。

みんなの回答

  • daijun8
  • ベストアンサー率29% (7/24)
回答No.5

今に感謝できることに感謝できる心が 幸せな出来事をもたらしてくれるそうです 「ありがとう」という言葉には人生を幸せにするパワーがものすごくあるそうです おいしいものをごちそうしてもらったときに 「おいしくて幸せです ごちそうさま」といえたら 相手は「またごちそうしたいな」って思う 自分がどん底のように思えるときこそ 「ありがとう 私は○○でとても幸せです」って言葉にすることは 大切なことのようです 一番困るのが自分が不幸だと思うことが居心地がよくなっていること それだと幸せになろうにも難しいですよね 本人が幸せを感じたくないのだから あなたは何に執着してしまうのですか 何が手に入らないから不幸なんでしょうか 考え方ひとつで執着しないでいられるなら一番ですが どうしても執着してしまうなら それは横においておき 既に人とコミュニケーションができる幸せ 毎日呼吸してお日様の元で生活できる幸せ ・・・きっと数え上げたら限りなくある今の幸せに気づいてください 根気よく感謝を繰り返していくうちに 自分の人生が不幸だと思う心が消えていきますよ  人生って今このときを指すんですよね  質問者さんは、過去の産声を上げて大切に育てられた赤ちゃんの頃のことは「人生」に含めてないと思いますよ  究極的には今どんな気持ちで息をしているかが全てじゃないかと思います 私が好きなHPを参考にのぞいてみてください たまたまのぞいたお菓子屋さんのHPです 作成されたのは自他共に認める幸せな方だと思いますが、 私はこのHPから幸せのコツを学べた気がします

参考URL:
http://www.oh-shita.com/slowlife/essei/38.html
noname#63315
noname#63315
回答No.4

ずっと不幸であるかは今のあなたの行動次第です。 人生一度きりとあなた自身が思うなら、いつまでも不幸に酔ったままににらないことです。 しかし、あなたの今までの質問内容は、質問というよりも愚痴を聞いてほしいといったものですね。 質問ではなく愚痴だから、他人の回答にはまっすぐと耳を貸さず、論点から逃げた内容のお礼しか書けないのかもしれませんね。 またその他顕著なのはあなたの名前です。 退会、入会を繰り返していますが、数字を変えているだけで、見る人が見れば分かるものですね。 あなたは自分の名前として書いているだけといった意識があると思いますが、客観的に見れば、不幸な自分のアピールと、かまってほしいという意識が強く伝わってきます。 あなたは、幸せな人間を嫌っているのに、相談している相手は幸せな人間かもしれないということは考えたことは無いのでしょうか? もしあなた自身が分かっていない場合は、それもまた自傷行為の1つだと考えたほうがいいでしょう。 分かっていて行っているのであれば、「自分は不幸だ」と思い込む為の逃避行為であることに気づくべきです。

  • katoponta
  • ベストアンサー率18% (2/11)
回答No.3

お金持ち、幸せ者、不幸せ者、みんな平等なのは時間だと思ってます。 苦しい時の時間はつらいですが我慢だとおもってます。 じっとしてれば時間はすぎます。 60、70才まで不幸が続く人ってまれだとおもいますよ。

noname#63966
質問者

お礼

>60、70才まで不幸が続く人ってまれだとおもいますよ。 まれな人間ですけど何か?

  • rongo-dog
  • ベストアンサー率4% (13/295)
回答No.2

でもね、イクラ、お互い良いように対処しても、相手が、嫌だといえば、駄目なときもあります。 サインの交換をして、納得して、投球しても、キャッチャ-がバッタ-にサインを教えて、ピッチャ-の足を引っ張ったり。 企業が、自己保身のため、個人を攻撃対象としてみなし、あること、ないこと、風潮し、攻撃する。 地獄としか思えません。 おもてなししても、相手が、足をぴっぱられたら、どうにもなりません。 地獄と思えるようになることもあります。 なら、生きてもとも思います。

  • doorakanai
  • ベストアンサー率27% (758/2746)
回答No.1

極楽浄土などは一切信用しない者ですが 現世が不幸 というのはその人が死ぬまで分からないのでは? 現世が不幸ではなく、現在が不幸なのでは? であるならば、浮かぶ背もある。 いいカードを引く事もある。 今、絶望しなければならないわけではないと思います。 私は今まで失敗続きですが、その時の選択は その時の自分の精一杯だった、と納得しています。 人生の2度目は確かにありませんが 1度の人生の中では何度でも再生できると思います。 高岡智照の本を読んでみて下さい。 数え切れない程の挫折をして、でもそれを全て抱えて 出家した人です。

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