あと、難しい事かもしれませんが
アヘン戦争ってありますよね
英国が中国に対し麻薬を売りつけようとして、中国が断って戦争になりました。
この場合中国はどうしたらよいでしょう
1.我慢して国民が麻薬中毒になり、荒廃していくのを見守る
2.負けるの覚悟で戦争する。
結局戦争しなくても、力の弱い国家はなき寝入りするしかないのかもしれません
負ける覚悟の上の戦争は愚か者のする事という方もおられますが、人間殺されるのをわかっても、抵抗するのが本能です。
毎日、いじめっこに苛められても、腕力で勝てない相手に、どうしたらよいか?
自分からケンカをして負ける人は単に笑いものかのか?
それとも、抵抗してこれ以上苛められないように喧嘩して努力をするのか・・・
これは人によりいろんな考えがありますので正解はないのかもしれません。
ここ最近の世論では、ダメでも抵抗しようという考えが 右翼的・・・
何しても無駄だから無抵抗のまま死のうというのが左翼的と言われてますね。
1904年~1905年、日露戦争
1904年、アメリカは日本を仮想敵国として「オレンジ計画」を策定。
日露戦争での日本の勝利は、白人の敗北としてアメリカで排日運動が高まり、
「事後法」による移民や日系人の排斥へと推移していきます。
当時、日本人は先人の努力で黄色人種の中では世界でも特別扱いでした。
一流ホテルへ宿泊できたのは黄色人種の中では日本人だけでした。
アメリカ移民の先輩中国人は鉄道の線路工夫がやっとで奴隷状態でしたが、
日本人は農業などで次々と荒れ地を豊かな農地へ変えていきました。
それは白人にとっては魔法でした。白人より優秀な黄色は許せないことでした。
白人移民は技術も才能もなく貧乏でした。
白人は日本人の農地や店舗を強奪しても神から許されると考えました。
「事後法」による移民や日系人の排斥へと推移していきます。
1906年、アメリカで新帰化法。帰化申請を白人とアフリカ人に限る。日本人は帰化不可。
1913年、排日目的の「外国人土地所有禁止法」。
アメリカ市民になり得ない外国人(日系1世)の不動産取得、保有、使用、譲渡を禁止。
法案のなかには、日本人の営業不許可や日本人学童を隔離するものまで含まれていた。
1922年ケーブル法成立。アメリカ市民(日系2世)が非アメリカ市民と結婚した場合は市民権を失う。
1924年、「移民法」で日本人の移民を全面的に禁止。別名「排日移民法」。
これまでアジア人の中では特別扱いだった日本人についても
他のアジア諸国と同じ人種差別的な取り扱いとなる。
1941年12月7日 日米開戦、日系アメリカ人は敵国日本と同一視される。
1942年、日系人12万人の強制収容(3分の2はアメリカ市民)。ドイツ人イタリア人は自由。
日系2世がアメリカに忠誠を誓い従軍しました。
1946年、収容所が閉鎖される。日系人は家屋の破壊や資産喪失に愕然となりました。
今のアメリカ西海岸の農地の多くは日系人が荒れ地を開拓したものを強奪されたものです。
当時の日本は抵抗する道を選びました。
自ら死ぬことを抵抗し、なんとか生きようとするのを 見苦しいと取るか(どーせ負けるなら、抵抗せずに素直に自殺しよう)
自分は人間だから、何とか生きようと努力することを生きようとすることが(0.1%でも可能性があるなら、なんとか生きよう)よしとするかは、それぞれ人の判断しだいです
当然、負ける可能性が高いなら戦わず、素直に自殺しよう。勝てる可能性が無いのに戦うなんてトンマでアホ臭い・・というのも一つの考え方です。
お礼
白人は恐ろしいですね。 残忍なのは狩猟民族だからでしょうかね。 ありがとうございました。