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努力を全くしてないのに、人様を羨ましがってばかりいる人って、どう思いますか?

質問はタイトルのとおりなので、ご回答を宜しくお願いします

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.2

逆に、 努力を重ねても報われる可能性が低いのが昨今の不景気の 総合的実情でもあるわけで、 「努力を最大限にこなしつつもその努力が報われずに悶々とした 内面」ばかりの人が国内に充満していても、必ずしも良い 社会状況とはいえない。 更に 「努力を全くしてないのに、人様を羨ましがってばかりいる人」 といえども、実際問題、経済的&精神的 何らかの阻害要因に 起因して「努力」を向けられる対象が見つけられなかったり、 その「努力」の根源的「生命力」が枯渇していたら、「努力」 する対象が仮にあったとしても「努力」への行動に踏み切れる 実行力が表象される確率も少なくなるわけで、その「願望」と 「現実」とのギャップの内面的混沌性を少しでも軽減する意味で 「願望を実現した他の人」を「羨まし」がる気持ちも分かりますし、 「他人を羨む気持ち」を変に屈折させて「強度の嫉妬心」まで 高め犯罪に走る人よりも素直に「羨ましい」と素直に内面を 露呈できる人の方がよっぽど健康的でしょう。 「羨ましい」と素直に内面を露呈することは、ある意味、 「願望を実現した他の人」の努力を認めてあげる趣旨のみならず、 漠然とした目標しか有していなかった人には、素直な内面の露呈 、更には一つの努力の方向性への光明ともなりうるわけです。 最も、その努力を (何らかの内的&外的 阻害要因に起因して)果たせない状況 なので、その「願望を実現した他の人」に架空の成功した自分 を投影して自己満足している部分もきっとあるのでしょう。  ですから、世間的見てくれはかっこ悪いですが、 「努力を全くしてないのに、人様を羨ましがってばかりいる人」 がいても、いたって健康的な精神状態の人だと個人的には 思います。そのレベルでおさまっている限りにおいては。  たちが悪いのは、「人様を羨ましがる気持ち」を 「強度の嫉妬心」にまで不本意に高め特定の犯罪&それに 準じる行為を実行してしまう人々です。 一例では「秋葉原無差別殺傷事件」の加害者も その一人だったでしょう。 結論としては、 「努力を全くしてないのに、人様を羨ましがってばかりいる人」 に関しては、それはそれでその人の生き方なので、善悪を 問うまでの事はないとは思うのですが、「他人を羨む気持ち」 がいつ何時「強度の嫉妬心」(犯罪の素因)に変容するか、 その点に恐怖を感じます。特に、相応の努力を しても努力が報われず目標の挫折が「強度の嫉妬心」の元凶 になりうる可能性もありうるので、「努力を全くしてない」 事が「強度の嫉妬心」(犯罪の素因)に直結しているとも必ずしも 言えず、(実現性の低い)「努力」を重ねてきた人ほど 変な執着心が身につき「強度の嫉妬心」(犯罪の素因)に変容する 可能性も高いので、一概に「努力を全くしてない」事が 社会的に悪に繋がるとは言えないような気も致します。 ましてや、「努力」の対象が違法的&反不道徳的な色彩を 帯びたものだったら、本末転倒でしょう。 ですから、「努力」という言葉を極端に妄信するのも ある意味愚かです。ただ、適度な「努力」は社会生活には 不可欠とも言えますから、その範囲の「努力」を放棄 している人間は社会的非難に値するのでしょうね。 「努力」というと一見 美辞麗句のようですが、 過度に妄信するのも、常識の範囲を下回るのも、何れも 自己破壊に繋がるような印象も受けます。 社会と自己とを照合して、バランスのとれた適度な「善なる努力」 を維持するのがベストなのでしょうね。 あくまで、個人的意見です。

その他の回答 (3)

noname#155097
noname#155097
回答No.4

努力をする習慣をつけられなかった。 努力をする能力に欠けていた。 努力をする環境がない。 可哀想な人。誰も相手にしてくれない。

sketemiel
質問者

お礼

皆様ご回答ありがとうございました

noname#68215
noname#68215
回答No.3

こういう人にはなりたくないな。と思います。

  • sytkn
  • ベストアンサー率43% (54/125)
回答No.1

ウザイので、今後の付き合い方を考えます。 (相手が病気である、精神的に病んでるとか・・・。そう言う場合は別ですが) 昔の友人で必ず「○○ちゃんはいいよなー」が口癖な努力しない子がいましたが、現在は所在も知りません。

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