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国際結婚した方で、将来的に配偶者の国に永住する予定がある方

地球の反対側の人と結婚しました。 1歳と4歳の子がいます。 彼は、日本へはいわゆる出稼ぎに来ているので、 将来的には自分の国へ帰りたいそうです。 何度聞いてみても、その意思は変わらないようです。 私も、彼についていくつもりでいます。 専門職についていますが、それも時期が来れば、きっぱりとやめるつもりでいます。 あちらでは、運が良ければ、仕事も見つかるとは思います。 でも、今やっている仕事のやりがい、そして安定とは比べものにならないだろうと思います。 あちらの国には、数ヶ月ですが住んだことがあります。 やはり、慣れないことが多く、つらい思いもたくさんしました。 夫は数年ぶりの帰郷だったので、あちらの友達ともこちらの友達とも飲み歩いて、なかなか一緒にいてくれませんでした。 でも、それでも、夫のことが大好きなので、いないと生きていけないと思います。 子どもたちが大学を出るまでは日本で暮らし、その後2人で夫の国へ行こうと約束しています。 実際に、ご主人(奥さん)の国への移住を考えている方、不安はありませんか? あちらの国で、もう無理だ~と思っても、離婚など考えないという自信がありますか? なんでも結構ですので、よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • nishikasai
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回答No.7

三度目の登場です。 あなたのお礼の述べ方が上手だからおじさん、ついつい回答したくなっちゃうんです。他の回答者へのお礼についてもついでに回答しちゃいます。 >たまにはお茶漬けが食べたくなる お茶漬けはSAL便(飛行機)の小型包装物というのを利用してください。わたしはときどきブラジルに住む友人に送るのですがB-4くらいの封筒にふりかけや茶漬けの素のように乾燥した軽い日本食品を送ります。団子にならないようセロテープを貼って均等にします。なんと440円で送れるんです。千円分の食品と切手代が440円。これだけでまあ一万円分の感謝のことばが返って来ます。あなたがブラジルに住めばお母さんにやってもらってください。よく大きな荷物に重いものをたくさん詰めて送る人がいますが、一万円くらい送料がかかります。 >ボランティア的なやりがいですか・・・。 そうですね。給料が上がることだけが、評価ではありませんよね。 もし本当にそう思い、ご主人の給料だけで暮らしていけるなら日本語学校をおすすめします。わたしの義理の妹はブラジルで日本語学校の校長をやっていました。儲かりませんが生徒に慕われて幸せそうでした。もう後継者に譲り日本に帰国しましたが。 >子供が成人した頃には年金がもらえるので、 海外で暮らしている期間は空(から)期間と言いまして年金を納めた期間と合算で25年あれば年金はもらえます。わたしも納めた期間は25年にも20年にも届きませんが、空期間がありますから25年を超えます。今年からもらいはじめました。あなたももらえますからご安心ください。 >主人は、AM州の、小さな田舎町出身です。 アマゾナス州ですか。たぶん、ご先祖はアマゾンのトメアスで胡椒かなんかを栽培していたのでしょう。 >でも、そこではまともな仕事がないから、AM州で一番大きな都市で仕事をするそうです。 マナウスですか。ま、観光ならおすすめですが、住むのはどうですかねえ。あそこは別名「緑の地獄」と呼ばれていたんです。しかし、あなたもアマゾンですでに短期間暮らしているのですからご存知なのでしょう。ご存知なのに行く気になっているのですからあそこで暮らしていける自信がおありなのでしょう。暮らしていける日本人と暮らせない日本人がいます。三年も住んだら真っ黒に日焼けします。 >あちらにいたとき、サンパウロで働く人たちの特集番組を見ました。 まるで、日本で働いている人たちのごとく、朝から晩まで働いていました。反対に、主人の出身地の小さな田舎町では、平日の昼間から、大の大人がたくさん町を歩いていました。同じ国内でもこれほどにも違うのかと思った覚えがあります。 そうですね。サンパウロは大都会です。サンパウロから見たらアマゾンは別世界です。どっちが幸せかはそりゃ人によるでしょう。わたしは都会派です。 >日本かAM州か、の二択ではなく、首都に出る、という選択肢も入れて今後考えることは必要ですね。治安だけが心配ですが・・・あそこは。夜は、赤信号で止まっちゃいけないんでしょう? 夜外出するときは、銃を持ってなきゃいけないとか・・・。でも主人によると、「どこでも危ない」そうですが。 よーくおわかりのようです。サンパウロで赤信号で車を一時停止するときは窓を閉めていつでも発進できるようにしておいてもし黒人が車に近づいたら赤信号でも飛び出せと教えています。マナウスはその点だいぶましでしょうが、アマゾナス州で一番の都会ではやはり・・・ >日本で暮らした後、AM州で暮らしてみて、ダメならサンパウロに出て、それでもダメなら日本に戻る、とワンクッションおくこともできますね。 非常にクレバーな考え方です。たぶんサンパウロに出ることになるでしょう。理由はご主人の仕事の関係、あなたの仕事の関係そしてあなたがアマゾンの気候その他に耐えられなくなると予想されるからです。 >40台後半まで日本、その後SPで仕事、おじいちゃんおばあちゃんになったら、主人の出身地の田舎町に帰る、それもありかもしれません。 うーん、どうかな。わたしが貴方の立場なら次の3つのうちの一つです。 1.ご主人になんらかの講習を受けさせ、単純労働者ではなくプライドをもてる技術者になってもらい日本で暮らす。そして時々故郷に帰るけど死ぬまで日本で暮らす。 2.定年まで勤めて老後を年金でアマゾンで暮らす。立派な家を建てて冷房を完備させプールを作って快適に過ごす。ボランティアで日本人会館かなんかで日本語を教える。活け花などの心得があればアマゾンのブラジル人上流階級夫人を集めて教えてあげる。 3.もしサンパウロに住むのであれば、40代後半というのは疑問です。逆に考えてください。ブラジルに住んで工場労働者をしている日本人が45歳で日本に戻ってホワイトカラーになれますか? せいぜい工場で単純労働者になる程度でしょう。もしサンパウロでホワイトカラーの職をのぞむなら今しかありません。(すすめたくありませんが・・・) 遠慮なくいろいろ書きましたが参考になれば幸いです。あなたはお礼の述べ方が上手です。ということは気配りができるやさしい女性なのでしょう。ご主人と幸せになれると思います。でもご主人がブラジルで経済的に行き詰ることは考えられますのでそのときは説得して共に日本に帰国することでしょう。

rosavermelha
質問者

お礼

>あなたはお礼の述べ方が上手です。 いえ、本当は、もうちょっと短くまとめたいんですが、いろいろ思うところが多すぎて、つい長々と書いてしまうんです。 でも、そう言っていただいて嬉しいです。 >お茶漬けはSAL便(飛行機)の小型包装物 >なんと440円で送れるんです。 そうなんですか?!全く知りませんでした。 非常にいいことを聞きました。 >日本語学校をおすすめします。 日本からの派遣教員は期限付きなので、現地採用で雇ってもらえるなら、そんないいことはないです。 >三年も住んだら真っ黒に日焼けします。 トメアスはハズレですが、マナウスは正解です(笑) 本当によくご存知ですね。 あちらは、頭がクラクラするほど暑かったです。 4歳の息子が、日本にいるときの調子で、真昼間でも外で遊びたがるものだから、私はたった半年で8kgもやせました。 でも、クーラーがあって、日焼け止めをしっかり塗って、外に飛び出す小さい子もいなければ、大丈夫だと思います。 40代で行ったときには、今ほど柔軟に慣れることができないかもしれませんが。 住む「自信」はないんです。 嫌なこともたくさんあったけれど、楽しかったこともたくさんありました。 結果なんとかなってしまった、ということなのかもしれません。 >もし黒人が車に近づいたら赤信号でも飛び出せと教えています。 やっぱり・・・。 回答者さんは、そこまで「危ない」とわかっていても、都会がいいのはなぜですか? 都会の利点ですか?自分が選んだ道、というような割り切った心境なのですか? >わたしが貴方の立場なら次の3つのうちの一つです。 1については、他の回答者さんにもありましたが、「日本で何かを成し遂げる」ということが大事なのですね。 大学にしろ、技術者にしろ、日本で夫がプライドを持てることを実現してあげたいなと思います。 2については、一旦(主人だけでも)ブラジルに帰ったときに、無理だと思えばこのコースかな、と思います。 しかし、読むだけでリッチな気分のする生活ですね。 3については、おっしゃるとおりです。 つまり、意欲だけではダメだと。 となると、基本は2番かな・・・。で、夫が試しに故郷の町へ帰って仕事を「してみる」のは可、と。 ふと思いついてした質問ですが、質問してみて良かったです。自分の考えが少しまとまってきました。

その他の回答 (6)

回答No.6

お礼をありがとうございました。 ご主人が、日本に住みたくてしょうがなくなる方法が考えられるといいですね。もちろん、貴女やお子さんたちへの愛情が、今一番の要因でしょうから、それ以外に何か。 ご主人は大学を中退されているとのことですが、復学することは考えられませんか。地元の大学への編入学、欧米、あるいはご主人の出身大学で、通信制で単位が取れる大学はありませんか。探してみれば案外見つかるような気がしますよ。「中途半端にしてしまった」という後悔の念は、年月と共に深まっていくものですから。 将来的には自分の国へ帰りたい、というのは、親族や友人の存在以外にも、母国のほうが自分が正当に評価されるという思いもあるかもしれません。ですから、日本に居ても、学位が取れる(むしろ日本に居るからこそ、貴女が経済的に支えられるというメリットは大きいでしょう。)ということになったら、ご主人の気持ちも少し変わるのではないかと思います。そして、日本でもステップアップしていくことが出来れば、この国で出来るところまでやってみようという意欲につながるかもしれません。 神様は負いきれない重荷を負わせる方ではありません。最善が与えられますように。

rosavermelha
質問者

お礼

再度の御回答ありがとうございます。 「日本に住みたくてしょうがなくなる方法」ですか。 結構ガンコですし、日本という母国に住んでいる私がただ言うだけでは、「お前はわかってない」と思われるだけのような気がします。 時間がたって、日本に慣れて、「やっぱり日本がいいかな」と自然に気持ちが変わってくれることを密かに期待してはいますが。 主人は、大学1年生で中退し来日、その3年後に私と長男と共にまた母国へ帰りました。 ちょうど、同級生が卒業する年で、それを見て寂しそうにしていました。 最近は、あまりそのことは言わなくなりましたが。 やはり、経済的な理由で続けられなかった、というのが一番ネックのようです。 通信制の大学は、いいですね。 やはり、学生に戻るとなると、一旦仕事をやめないといけませんし、私も働いてはいますが、やはり稼ぎ手が一人と二人では違いますし。 大学の留学生枠で、日本語を学ぶのならチャンスがあると思います。 でも夫は、それより早く母国に家を買いたい、と言っていますが・・・。 母国と日本での通信制大学なんてあるんでしょうか?あればとても魅力的ですね。 あちらでは、子どもが大きくなってから、40代くらいの方が大学に行くこともよくあるみたいです。 もし日本で無理でも、いつかは叶えてあげたいです。 >神様は負いきれない重荷を負わせる方ではありません そうですよね。どんなことも、無駄ではありませんよね。

  • saregama
  • ベストアンサー率47% (555/1166)
回答No.5

まだ20代ですか!お子様が大学卒業しても40代。まだまだ先がありますね~。 ご主人の母国は好きですか?好きじゃなきゃ務まりませんし、好きなだけでも務まりません。ご主人の母国の田舎が好き!というのでなければ、やはり都会をお勧めします。 実は夫の国の田舎で苦労して、結局日本に逃げ帰った者です。結婚当初は私も首都圏に住むことを提案したのですが、「都会は物価が高い!」で一蹴されてしまいました。結果、仕事がない上人間関係が煩わしく、お人好しな夫は利用されまくり・・・日本に逃げ帰った私を追って来て、今は肉体労働ですが安定した職に就けて本人は母国より気が楽だと言っています。肉体労働でも仕事の流れに気を配れば結構頭の使いどころもありますし、何しろ母国より保障がきちんとしているのが安心です。 日本に来る前は離婚も考えましたね。苦しむ夫を楽にするためならと。あのときは人一倍自尊心の強い夫がアジア系外国人への偏見に凝り固まった日本で生活していけるとは思ってもみませんでしたから。でも離婚しても既に外国人と結婚歴がある時点で夫が幸せになれるとは思えなかったし、何より夫より大好きな夫の家族と縁を切りたくはありませんでした。 あなたが今のお仕事を辞めなければならないことについては何も言えません。日本で働いていた独身のときに、夫を日本に呼んでいたらかなり違った人生になったかもとは思いますが、私自身日本の仕事から逃げたかった方ですし、これはもう向き不向きの問題ですね。日本である程度の蓄えをして、あちらの国では収入や安定は度外視して、もっとボランティア的なやりがいを求めるなんてことはダメですかね? 子供が成人した頃には年金がもらえるので、大好きな夫の国で老後の隠居生活を夢見ています。物価も安いし!楽しみにしています。

rosavermelha
質問者

お礼

御回答ありがとうございました。 まだまだ先の話なんですけどね。 夫の国は、好きな面と嫌いな面が半々くらいです。 好きな面・・・人が親切、おおらか、適当でも許される、果物がおいしい、自然がすごい、空気がきれい、地震や台風がない、物価が安い、掃除が簡単な家、公立病院はタダ、など。 嫌いな面・・・人の心に土足で入る、金を貸してくれとうるさい、政府がいいかげん、たまにはお茶漬けが食べたくなる、交通事情が最悪(事故が多い)、治安が悪い、役所・停電・停水、何でもひたすら待たなければいけない、仕事がないし賃金が安い、など。 経験者のお話、参考になります。 首都圏には、結局行かれずに、日本に来たのですね。 ご主人とは、離婚するつもりで日本に来たら、ご主人が追ってきたのですか? 日本で暮らす方がラクだ、という例もあるんですね。 私の場合、夫と別れることは、回答者さんのように夫との家族との別れも辛いし、子どもから父親を奪うことも辛い、 そして日本での仕事自体が、夫と同国の人とのかかわりが大きい仕事なので、辛くなってしまう、 苗字も家裁でわざわざ夫の苗字に変えたので、離婚しても夫の苗字のまま・・・ と、めんどくさいことこの上ありません。 ボランティア的なやりがいですか・・・。 そうですね。 給料が上がることだけが、評価ではありませんよね。 >子供が成人した頃には年金がもらえるので、 そうです。実はそれもあります。 40台後半になるころには、まだ年金はもらえませんが、受給権が発生するからです。 夫には、その年金の受給権の話をして、 「だから、子どもが大学卒業してからね♪」と話を持っていったのですよ(笑)

回答No.4

悩ましい問題ですね。我が家では、お互いがお互いの国に永住する覚悟で居ますし、準備も進めています。それは、お互いが、相手にとっての最善を望んでいるからです。人生永い間に、様々なことがあります。お互いの親を看取ることもあります。子供の教育のことも在ります。自分たちの老後のこともあります。私は今主人の母国に居りますが、私の両親のことを考えると、近いうち一時日本に帰ることも視野に入れています。 将来への計画を立てて、準備することは大切です。私たちはそれぞれの国に住居を構えていますが、老後一人になった方が、自分の終の棲家を決めて、どちらか一方を処分して、生活の糧にするつもりで居ます。 でも、これはあくまで、「そうできればいいな」と思って努力し、準備していることです。実際は、何らかの事情で、まるっきり関係の無い第三国で老後を迎えるかもしれませんし、思ったほどの蓄えも無く、そのときの状況に甘んじるしかないかもしれません。ですから、今の時点で、あまり不安に思ったり「離婚」の心配まですることは無いように思いますよ。 その時々で、最善と思われることに全力を尽くして、後は、天命を待つ、という方がお互い気楽です。もしかして、今は質問者様の地元にいらっしゃるのですか?ご主人が帰郷されたときにあなたとあまり行動を共にされなかったということが一番気がかりな気がします。もしかして、今、ご主人は日本で疎外感を感じていらっしゃるのかしらと、ふと思いました。不要な心配だったらごめんなさいね。でも、あなたがご主人のお国で経験した不快なこと辛いことをいまご主人が経験しているかもしれないということは常に心において、ご主人を守り支えて差し上げてください。人生にストレスなんてつき物ですから。 前向きに、そしてお幸せに。

rosavermelha
質問者

お礼

御回答感謝いたします。 そうです。本当に悩ましいんです。 お互いの国に永住する覚悟があるっていうのは、すてきですね。 お互いの両親の問題、子どもの問題もありますね。 子どもは、まぁ成人してしまえば、後は好きに生きてくれ、と今から思っていますが、 親は、悩むところです。 距離が半端ではない(飛行機で2日、往復30万)だけに、 おいそれと帰ることができませんし。 >そのときの状況に甘んじるしかないかもしれません。 そうですよね。人生何があるかわかりませんよね。 私も、回答者さんがおっしゃるとおり、「そうなればいいな」という気持ちで考えたり準備したりする一方、 時折ふと、「本当に大丈夫だろうか」と不安がよぎることがあります。 それで、質問してみました。 離婚の心配というか、自分の国で暮らすというのが、これほど心地よく、 相手の国で暮らすというのが、これほど大変なことだとは思ってもみなかったので、 もう限界だと思ったら、そういう選択肢もあるのだろうか、と思ったんです。 まぁこれも、限界だと感じてから考えればいい話ですよね。 今は私の地元にいます。 夫の国の国民性というのもあるのかもしれません。 日本人ほど仕事に熱心でないというか。 平日の夜だろうが、既婚だろうが、しょっちゅう飲みに行くみたいで・・・。 昼間は結構一緒にいてくれたんですけどね。 疎外感は感じていると思います。 日本での友達はたくさんいても、母国で親友たちと空港で別れるときは男泣きしていました。 私の国で暮らしてくれていることは感謝しています。 でも、ついその気持ちを忘れてしまうことがあります。 私の国で20年暮らしてくれるのなら、その後、私があちらで20年暮らすのは、至って平等、なんですけどね・・・・。

  • nishikasai
  • ベストアンサー率24% (1545/6342)
回答No.3

あなたのご主人の気持ちはよくわかります。 大学を中退しているということは本国ではインテリであるのに、こちらでは工場労働者であることに強烈な不満を抱いているのでしょう。 わたしならまずこのように説得します。 日本では日本語の読み書きが抜群にできないと事務職にはつけないのでそちらはあきらめてガテン系の専門家になりましょうと勧めるのです。わたしの知人のブラジル人ですが、このような経緯でいま社長をしています。収入は毎月100万を超えています。 1.電気工になった。 2.数年後熟練工になり頼りにされるようになった。 3.独立した。 4.会社組織にして人を雇って中堅の会社に成長させた。 日本は非常に教育水準の高い国でホームレスの中にさえかなりのインテリがいます。従って逆にガテン系の地位が高いのです。熟練工は尊敬されます。別に電気工でなくてもどんな分野でもいいです。専門学校に行きたいなら行かせてあげればいいのです。もちろん学校に行かなくても上記の人のように自然に熟練工になるのでもいいです。 もしその説得が成功しない場合、あなたはブラジルに行くことになりますが、もしわたしが女性で貴方の立場なら次のようにいたします。 最初の一ヶ月 - 夫の故郷で毎日楽しく友人たちと暮らす。そして久しぶりのブラジルで新聞を読んだりテレビをみたりして肩慣らしをする。就職情報も得る。 次にサンパウロ市へ出ます。絶対に出ます。これだけは譲りません。理由は就職するにしても商売をするにしてもサンパウロに出ないと成功しないからです。小さな地方都市では、経済規模が小さすぎ就職も難しいし商売も成功しません。サンパウロで彼は大学中退までの学歴があるし、日本語もかなり覚えたでしょうから日本企業に就職できます。ブラジル企業に就職するには長年の日本生活がハンディになります。日本企業なら逆に有利になります。貴方は日本人でキャリアもありますからもっと簡単に就職できます。サンパウロならブラジルですから彼は幸せでしょうし、あなたも商社マンの奥さんとかいろんな日本人が周りにいますからホームシックになりませんし、経済的にも安定します。田舎町では不幸になり、結局日本に戻ってくるような気がします。実際、多くのブラジル人が戻ってきています。実を言うとわたしの義弟も半年前ブラジルに帰ったのですが、仕事がなく来月、再来日するそうです。参考になれば幸いです。

rosavermelha
質問者

お礼

再度の御回答ありがとうございます。 まるで、私たちの気持ちや状況を手に取るように理解していただいて、正直、なんでそこまでわかるんだろう?と驚いております。 そういえば、主人も同じようなことを言っていました。 日本語を勉強して、通訳にでもなったら、という私に対し、 トヨタなどが行っている技術講習を受けて、技術者になりたい、と。 >次にサンパウロ市へ出ます。絶対に出ます。これだけは譲りません。 ごめんなさい。正直、苦笑いしてしまいました・・・。 というのも、きっと主人も、「譲れない」だろうなぁと思ったからです。 主人は、AM州の、小さな田舎町出身です。 でも、そこではまともな仕事がないから、AM州で一番大きな都市で仕事をするそうです。 あちらにいたとき、サンパウロで働く人たちの特集番組を見ました。 まるで、日本で働いている人たちのごとく、朝から晩まで働いていました。 反対に、主人の出身地の小さな田舎町では、平日の昼間から、大の大人がたくさん町を歩いていました。 同じ国内でもこれほどにも違うのかと思った覚えがあります。 日本かAM州か、の二択ではなく、首都に出る、という選択肢も入れて今後考えることは必要ですね。 治安だけが心配ですが・・・あそこは。 夜は、赤信号で止まっちゃいけないんでしょう?夜外出するときは、銃を持ってなきゃいけないとか・・・。 でも主人によると、「どこでも危ない」そうですが。 日本で暮らした後、AM州で暮らしてみて、ダメならサンパウロに出て、それでもダメなら日本に戻る、 とワンクッションおくこともできますね。 40台後半まで日本、その後SPで仕事、おじいちゃんおばあちゃんになったら、主人の出身地の田舎町に帰る、それもありかもしれません。

回答No.2

初めまして。 アメリカ人の夫と日本で結婚して、アメリカ移住13年の主婦です。 ご主人は、お子さん達が大学卒業するまでは日本で住む、と 仰っているのですよね?素晴らしいご主人ですね。 お子さん達の将来をちゃんと考えていらっしゃる。尊敬致します。 ご主人はちゃんと、あなたとお子さん達の事を考えていらっしゃる と思います。 子育てが終わった後に、ご主人のお国へ移住なら 心配事がかなり軽減されるのではないでしょうか? 二人きりで二度目の新婚生活!って考えてはいかが? 私は息子が2才になったばかりの頃、移住してきました。 それまで私は日本では、かなり高給な専門職で管理職もしていたので 私はトドラー連れで、その上収入減での移住。 経済的にはかなり辛い数年がありましたが、私は日本食レストランで アルバイトをしました。でも、何よりも夫の頑張りと思いやりで 今は幸せです。現在、私はアメリカで大学生をやっています。 毎日が楽しいですよ。 今は田舎に小さな家を買って暮していますが、4年程前までは 市内でも最悪のゲットーに住んでいました。銃撃なんて日常茶飯事の 場所。。。でもね、夫の頑張りと思いやりで、私はいつでも幸せ でしたよ。 ご主人の国に移住する不安は、すご~く解ります。私が通ってきた道 ですから。やっぱり不安ですよね。 でも、あまり不安を抱えすぎないで。 外国へ移住する時は「何があってもどうにかなるさっ」って 気楽にかまえる気持ちが必要だと思います。 ど~ん!と構えましょう♪ あなたはとても教養とご主人に対する愛情がおありだと 文章から感じられるので「何があってもどうにかなります」よ! 不安を抱えるよりも、ご主人のお国に移住してから 日本ではなかなか出来ない事、 「何をして楽しもうか?」ってポジティブに考えるのがお薦めです。 「不安」よりも「楽しみ♪」って思うのが成功の秘訣。 どうか、お幸せな結婚生活を送ってくださいね。

rosavermelha
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。 実際に移住されているのですね! 二度目の新婚生活ですか。そう考えると楽しくなりますね。 子どもが大学を出る頃移住、というのは、私からお願いした部分もあります。 夫は、大学を中退して日本に来ました。 当初は、日本には学費を稼ぐために来て2、3年でまた母国に戻り、大学に戻るつもりだったようです。 ところが私と出会って結婚、子どもも産まれ、帰るタイミングを逃したそうです。 時々、半ばやけくそ気味に、「君たちのために日本にいる」と言ったかと思うと、 「今すぐ帰ることは考えていない」と自ら言うこともあります。 彼自身、帰りたい気持ちはあっても、いつ帰れるかわからなかったり、日本にいるうちに心変わりしてきている面はあると思います。 短い文章ですが、たくさん苦労があったのでしょうね。 日本食レストランでアルバイト、今は大学生ですか。 言うのは簡単ですが、実際にそうなるまでにはいろいろあったのでしょうね。 でも回答者さんがおっしゃるとおり、夫の支えがあればこそ、ですね。 >「何があってもどうにかなるさっ」って >気楽にかまえる気持ちが必要だと思います。 私の友達も、「まぁいっか」が大事、と言っていました。 やはり考えすぎるのが一番よくないようですね。 悪い癖です。 どんなことが楽しいか、何をやろうか、そう考えようと思います。 貴重な体験談、参考になりました。

  • nishikasai
  • ベストアンサー率24% (1545/6342)
回答No.1

ブラジルに17年住み現在東京で通訳をしているおじさんです。 あの国は治安が悪いし、仕事はないし、難しいよねえ。出稼ぎの人がブラジルに帰るとどうなるかというと、もっとも多いパターンは次の通りです。 就職→ブラジルに十数年も帰っていないので日本ボケしていて仕事が見つからない。 自営業を始める→上記と同じ理由で倒産。結局日本に労働者として戻ってくる。 もし貴方がわたしの娘であれば以下のようにアドバイスします。 1.あなたが片時も夫と離れたくないのであればいっしょにブラジルに帰って運命を共にする。あなたはキャリア・ウーマンのようだから日系の企業に就職して経済的に夫を支える。 2.慎重にやりたいのであれば一年間だけ夫婦別居する。夫はまずその一年間で立派な企業に就職してみせ、普通の給料をもらえることを証明する。または自営業を立ち上げ軌道にのせる。それを確かめてから家族でブラジルに渡る。 どちらがいいかって? そりゃ(2)に決まってます。でも人間には愛という厄介でお金には換えがたいものがありますから・・・

rosavermelha
質問者

お礼

ご回答感謝いたします。 回答者様の御回答は、いつも興味深く拝見しております。 やはり、就職先を探すにしても、自営業をするにしても、今からできること(その方面での勉強や人脈確保など)が必要だと思っています。 >1.いっしょにブラジルに帰って運命を共にする。 あちらで、私ができそうな仕事を今から考えています。ただ、私の行く地方は、日系人が少ないところで、日本企業といってもわずかですが・・・。 あちらで仕事をしてみて、だめそうならまた2人で日本に帰るという手もありますね。 私の仕事も、試験採用なので、一度やめてしまうと、また同じ条件で・・・というのはなかなか難しいのですが、 試験に合格しなくても、そこまでに経験が20年近くあれば、派遣社員やパートのような形で、一応の就職はできるだろうと踏んでおります。 外国人が、日本で労働者として働くにも、年齢的になかなか難しいものがあります。 所詮肉体労働ですし・・・。それでも、夫・妻ともに外国人の場合、40過ぎても50過ぎても、健康を害してでも、肉体労働を続けざるを得ない家庭もたくさんありますね。 ただ、最近の傾向としては、いつまでも工場では未来がない、と、日本で、日本にいる外国人向けの商売を始めたり、 日本語をがんばって勉強して、派遣会社の通訳の仕事についたり・・・と、みなさんいろいろ工夫しているようです。 >2.慎重にやりたいのであれば一年間だけ夫婦別居する。 それも、実は考えました。 向こうで暮らせる目処がたったら、私は潔く今の仕事をやめて、出発しようかと・・・。 でも、まだ20代なのでそうなのかもしれませんが、まさに、「片時も夫と離れたくない」のです。 これが、40代、50代ともなると、気持ちが変わるものなのでしょうか? 若いころは、「他の女の子に目がいったらどうしよう・・・」と心配していたことが、 年を重ねると、いい意味で信頼ができてきて、多少離れていても大丈夫ぶ、という風に気持ちが変わるものなのでしょうか・・・? もしそうならいいのですが。 とりとめもなく長文失礼いたしました。 でも、御回答いただけて、とてもうれしかったです。